十二、枝葉(花の散った後)
枝葉氏は座っていた。
ただ座っていた。
弓道場の床の上に正座し、それ以外は何もしていない。
余計なものを極限まで取り払う事が禅の精神とするならば、正座という状態以外を全て取り払った今の状態は、その極地と言ってもいいだろう。
明鏡止水。
その鏡を踏み割り、水面に波を立てるのが私となれば、俗物ここに極まるといったものだ。
しかし、意外にも、声をかけてきたのは枝葉氏からだった。
「どうした、御客人?」
落ち着いた声。その声からは、娘が殺された憤りも、悲しみも、怒りも、何も感じ取ることが出来ない。
悪い意味で落ち着いている。
もしも警察がこの場に居たとしたら、きっと逆に訝しむ事だろう。
「どうしたと言われましても、大体予測は付いているでしょう。大樹氏が殺害された事件についての調査に参りました」
真っ直ぐ来る相手への搦手は得策かもしれないが、あまり得意ではない。包み隠すこと無く、単刀直入に要件を話すことにした。
「率直にお聞きします。枝葉さん、あなたは昨晩何をして過ごされていましたか?」
「それこそ何ということもない。見ての通りの老人なのでな、昨日は何時も通り敷地内を見回った後、二十一時には床に着いた。大樹とは葬儀の後は会ってすらおらん。朝は五時には起きて弓を引いていた。そろそろ終えて朝食にするかと思ったところで春子が呼びに来てな。後は御客人の知るとおりだ」
「それを証明できる人物は?」
「いると思うのかね?」
質問を質問で返されてしまった。
いる訳が無いと思った。愚問というやつである。
「強いていうならば、朝の六時には小夏も一緒に弓を引いていたな。だがまぁ、大樹が発見されたのは八時過ぎ、九時前といったところだったか? ならば六時から九時の間だけのアリバイが有ったところで、どうしようもないな」
もっともである。もっともであるが、何故そのことを自分から話すのだろうか。これでは自分の疑いを晴らす気が無いようではないか。
「確認しますが、何時も通りと言う事は、普段から敷地の警備を行っているのですか?」
「恥ずかしながら結果だけを見れば警備出来ていなかったわけだが……。その答えは是だ。我々柊家の男子は巫女の守護を使命としている」
「それでは、昨晩は怪しい人物は見かけませんでしたか?」
「見ていたら報告している」
それはそうだ。
それにしても、やはり先程からやけに答えがあっさりし過ぎている。
そこまでの責任を負わせるのは流石に酷だとは思うが、見方によっては大樹氏の責によって、大樹氏が襲われたとも考える事が出来る。にも関わらず、余りにも反応が淡白では無いだろうか。
「枝葉さん、あなたは自分の娘が亡くなって、悲しくは無いのですか?」
これは少し踏み込みすぎた発言かもしれない。人の心に土足で踏み込む発言かもしれない。だけれど、これくらいの事をせねば、枝葉氏の素顔を窺い知る事は出来ないだろう。
「答えにくい質問を随分とはっきりするのだな。良かろう、これも若さと言うやつか。しかし、悲しいか……か」
しかし、
「不思議と思ったよりも悲しくはない。なんと無くだが、心の何処かでこのような事態は想定していた。言ってしまっては何だが、葉山島にとっては、柊家にとっては、このような事は慣れたものだ。たとええそれが自分の娘だったとしてもな。きっと儂達はもう感覚のどこかが麻痺してしまっているのだろう」
その答えは素っ気無いものだった。まるで他人事。むしろその顔色は、話し始めた時よりも更に落ち着いたものになっている。
「まぁ、そう陰鬱な理由ばかりでは無いと思うがな。娘は、大樹は亡くなったが、儂にはまだ春子たち、孫達が居る。その存在はとても大きい。例え儂がここで死んだところで、次の世代まで、儂の存在、行いが繋がっていくことが確信できるというのは、中々に良いものだ」
「それは大花氏が守られた、この島の秩序が続いていくからという事でしょうか?」
その名前を出した瞬間、枝葉氏の瞳孔が開いたのを私は見逃さなかった。
「…懐かしい名前だな。誰から聞いたのか。と言ってもおおよそ予想は付くがな。大方、大樹から聞いたのだろう。どうせあいつは大花の事を良くは言っていなかっただろうが」
自分から言うという事は、大樹氏と大花氏の確執は、半ば公然のものだったのだろう。
本当は大樹氏から聞いた訳ではないが、ここで本当の事を語ったとしても、私の頭がおかしくなったと思われるだけだ。ともすれば、本当に犯人として祭り上げられかねない。
死人に口なし。だがその口は借り放題だ。ここは一つその口で語らせて頂こう。
「ええ、大樹氏の伴侶の最後を『見通し』たのも大花氏だとお聞きしております」
「ふふ、随分な言い方だな。それではまるで、大花があの男を消したみたいでなないか」
しらを切っているのか、本当に無関係であるのか。この段階では判断することは出来ない。
「最早知っての通りだろうが、この島には悲しい過去も有る。だが、その度に私達、柊家の人間はこの島の秩序を保つために尽力してきた。誇りはすれど、驕りはしない。その過去には後ろ暗い部分はなかったと自負しておるよ」
「なるほど。それは重畳。ここまで話しておいて、今更聞きにくい事もありませんので、ここでお聞きさせて頂きます。大花氏はもう亡くなられているのですよね。どのような最後だったのですか?」
「別に答えるのは構わんが、その質問にはどういう意図がある? 大花の死は大樹の死には関係ないだろう?」
「単刀直入にお話しましょう。あなたは、大樹氏が大花氏を殺害したと疑っていませんでしたか?」
正直に答える訳がない。だが聞いておかない訳にはいかないだろう。大樹氏と大花氏の確執、それが行き着いた先が『それ』なのだとしたら、話はとても分り易くなる。分かり易過ぎて目眩がする。
「大花氏が大樹氏との対立の末、大樹氏の夫を殺害した。そしてその報復のために大樹氏が大花氏を殺害した、話としては理解できる流れではありませんか?」
そして、そのまた報復に、あなたが大樹氏を……とは言わなかった。
大樹氏は私達に、自分の伴侶がこの島のために犠牲になったのは、仕方に無い事だったと語っていた。今となってはそれが本心だったかどうかは分からない。
けれども、例え本当にそう思っていたとしても、その気持と、首謀者への復讐心とは十分に両立しうるものではないか?
「なるほどな御客人。リアリストな見た目とは裏腹に、思ったよりも想像力が豊かなようだ。いや、断片的に巫女同士の諍いの歴史だけを聞けば、そのように話を組み立てるのも、案外当然なのかもしれないな」
「その心は?」
「御客人。その話からは二つの誤解が見て取れる。まず一つ、大花の、私の妻の死はまだ確定していない」
「どういうことですか?」
「そのままの意味だ。死体は誰も見ていない。ある日、忽然と姿を消してしまった。死亡ではなく、行方不明だな。少なくとも儂は、大花が死んだとは微塵も思っていない。その一点だけでも、儂の容疑は大分薄れるのではないかな?」
薄れる、というよりも雲散霧消した気分だ。なにせそれが本当なら、動機がなくなってしまう。
「とは言っても、本当はどこかで、生存を諦めているのではないですか?」
我ながら酷い苦し紛れだ。その糸は蜘蛛のそれよりも遥かに儚い。そしてその意図は裏返せば、冬木氏が死んでして欲しいと願っている事と同義。
私は会ったこともない人の死を、その伴侶の前で願っている。これを畜生と言わずに何をそう呼ぶのか。
しかし、枝葉氏はそんな私を諌めることもなく、淡々と続ける。
「それは、御客人が大花の事を知らないからだろうな。あいつは殺しても死なんよ。少なくとも、大樹に殺せるようなタマでは無かった」
「中々の女傑だったのですね」
大樹氏を思えば、容易に想像は付くが。
「女傑というよりも怪物だな。生存、その一点においてのみ、儂はあいつの能力を疑いはせんよ」
「……なるほど。実際にお会いしたことがありませんので、なるほどとしか言う事が出来ませんが。それで、私が誤解しているもう一点とは何でしょうか?」
「うむ。どちらかと言えば、こちらのほうが大きな誤解かも知れないな。御客人は、大樹が大花を殺したので、その報復として儂が大樹を殺害したと疑っていた訳だろう?」
そこまでは言ってはいない。言ってはいないが、そういう事だ。なので否定はしない。
枝葉氏はそんな私の態度を肯定と受け取って話を進める。
「御客人にとっては残念な事だろうが、その点では、私と大樹の利害は一致していた」
「つまり?」
どういうことだ?
「つまり、儂もまた、巫女を護るべき立場の儂でさえもまた、大花に限れば死んでも構わんと思っていたという事だ。利害の一致している相手と諍う理由もあるまい」
なんということもないように、ただ単に事実だけを語っただけという様な口調。事実その内容には、なんの脚色もされていないのだろう。つまりは真実。何故? 何故?
「何故?」
「大花が大樹の夫、木葉を奪ったからだよ」
木葉、それが大樹氏の夫の名前か。
しかし、それは置いておくとして何故。
何故? 何故?
それは、大樹氏の動機であって、枝葉氏の動機にはならない筈。
「大花氏が木葉氏の命を奪ったことは分かります。それで大樹氏が大花氏を恨む事も分かります。ですが、それで枝葉さんが大花さんを、自分の妻を殺そうと考える動機にはならないでしょう?」
「そこが一番の誤解だな、御客人。儂は最初から今まで、大花が木葉を殺したとは一度も言っておらんよ。そしてもし、事実がそうであったところで、儂も大樹も一向に構わなかっただろう。そして今のこの立場も何も変わることが無かっただろう」
「話が迂遠になってきましたね。申し訳ございませんが、話の要領を掴めません。じゃあ何を奪ったと言うんですか?」
「心だよ」
「はい?」
「大花の奴は、木葉の心を奪った。あろうことか、あいつは、自分の娘の夫と不貞を働いたという事だ」
なるほど。
私の中での枝葉氏に対しての疑いが、急激に薄くなった瞬間だった。




