運河、異常、特別。
「ああ、下りると別世界だね。」
階段を下りて運河の横に立って言った。会談上の道路は交通量が多いけれど下の小道は観光客らしき人がぽつぽつと歩いているだけだ。
僕の少し前に立つ余からはまださっき二人で食べたジンギスカンの香りが漂ってくる。多分僕も同じ臭いがするのだろう。
美味しかったけれど中々の臭いだった。
「おお、上だと何だかこんなものかって思ってしまったけど、下りると、うん、いいな。」
上の道路では観光バスやトラック、それから乗用車が多く目に入る。その所為で生活感というか現実感が端々に垣間見えて、近所の川を見たときの気持ちとさして変わらなかった。
しかし、階段を下りた後にある通路は坂が壁となって、視界から上の道路が消える。正面のレンガ造りの倉庫群とゆったりとした運河の水面を見ていると現実感を失い、別の世界に来たように錯覚しさえする。
階段を下りただけで普通の現実から特別な別世界へと周囲の雰囲気が一変した。
緩やかに地を這う風が余のマキシ丈ワンピースをふわりと揺らす。
少しかかとの高い靴と黒と白を基調にした服装のおかげなのか、余はいつもより大人びて見える。運河を背景にしている姿はとても絵になる。歩けばたったの数歩の所にいるはずなのに、余は清楚で無垢で僕とは全然別のところに立っているようにすら感じる。ただ、現実感を持っているのは微かに香るジンギスカンの残り香だけだ。
僕ら二人は並んで少し歩く。
北海道とはいえ夏至も過ぎた六月の末。殆どの人が衣替えを終えているようだけれどやはり僕たちの袖は長い。
余はマキシ丈の黒いワンピースに白のカーディガンを羽織っている。ワンピースの腰に巻いたベルトが余の細いウエストを強調していて、スタイルの良さが引き立っている。
余は漫然と周囲を見渡しながら穏やかに歩を進める。
「ねえ、きー。ここ、私みたいね。」
突然、黙りこくっていた余は口を開いた。
「ああ。」
確かにふと見せる現実感のない雰囲気は似ているように思う。
「うそ。」
「なんで?」
「全然思ってないでしょ。」
余は優しい笑みを浮かべた。
「そうかな?」
「そうだよ。」
どうだろう。
「だって、反対だもん。」
「ん?」
「普通の対義語が特別か異常かって話。」
余は自嘲気味にそう言った。
異常か。
余も自分自身の異常性を殊に理解している。
初めの頃は驚くばかりだったのでどうだったか記憶に無い。けれど、「発作」の後に余と気まずくなることも無かったと思う。それが余が一方的に謝ってくるようなことも無いが、なんとなく自分自身の行動に対して余は気持ち悪さを感じている様にも思う。これを以って自分のことを異常と言ったのだろうか。
しかし、今、この時の余には異常性など微塵も感じさせていない。
今日の余は特別だ。
小さい頃の、まだうちの家に両親が帰る時もあった時分、時たま遊びに来た小さな余はこう美しく、はかなげに笑っていた。余がいろいろなものを奪われるまではそうだったのだ。
今は異常な余が現れているのではない。
「今日は特別だよ。」
余にそう伝えると、余は少し驚いてそれから笑った。
今日の微笑みは作っている訳でも、狂っている訳でもないようだ。
読んでいただきありがとうございます。