彼女、自分、生活
主人公は女の子の生原余です。
ブツブツ話ているのは語り部と思ってください。
「たっだいま!」
玄関の扉がガチャという音をたてて開くとすぐにそんな叫び声が聞こえた。
「おーい。きーぃ。返事しなよー。」
トタパタと音を立てて、階段を駆け上がる音が響く。住宅地の外れ、緑生い茂る山麓の林に立つ一軒家。音に気を付ける必要は無い。まあ、例え住宅街や団地の中ででもあいつは気にせず音を立てるだろうけど。
否、違うか。あの振る舞いは作っているだけだ。気にはするだろう。けれど、静かに行動するかと言われたらそうはしないと思う。
あれは外に向けて作ったもの。所謂ネコ被りというやつだ。だから、外に目があると分かっていて、大人しくするはずも無い。迷惑に思われようとも、自分は元気だ。明るい。そう主張するための振る舞いを続けるだろう。
「ほーら、返事してよ、きー。」
その声とともに自室のドアが大きく開けられる。入り口には仁王立ちになった余が右手にレジ袋を携え、リュックを背負って、左手を腰に当てた体勢でいた。
家にいる時くらいネコを剥がせばいいのに。
「おかえり。余。」
僕は勉強机からドアの方へ体を捻って答える。
「ただいまー。って、あっ、ずっるい。先に宿題始めてる。私は買い物行ってきたのに!」
否、切り替えが上手く出来ていないのか。作り過ぎで。
「はいはい。ありがとさん。でもお前なんか遅かったじゃん?」
「いやー、それはさ、あれだよ。なんかバスが早く出たみたいでさ。一時間待ちぼうけだったよ。」
我が家へ通じているバス路線は運転士が適当なのか、それとも田舎だからダイヤ調整を怠っているのか、また他に理由があるのかどうなのかは分からないが、時刻表からプラスマイナス十分は時間変動するのは常識だ。
「それはご苦労。んで、何を買ってきたの?」
「うんっと、お肉昨日買い忘れたでしょ?だから、ササミと豚バラと牛こま。あとは納豆が安かったから。」
余はレジ袋を確認しながら言う。
「そうか。それはありがと。でも昨日も納豆買わなかった?」
「いいじゃん。美味しいし。」
また、納豆が増えたか。いつかみたいに安かったが理由で冷蔵庫の一角が納豆で埋まらないようにしないと。
外向けの調子のまま余が買い物をすると同じものばかり買ってきたりする。
「はいはい。んじゃあ、夕飯作るか。」
俺は余に呼びかけて立ち上がる。
余は「うん。」と言ってすぐに部屋を出て行った。そして、余は一度自分の部屋に荷物を置いて、また階段をトコトコと下りて行く。
俺はスタンドのスイッチをオフにしてから部屋を出て、ゆっくり余を追いかける。
今日は余、元気そうだ。否、調子が良さそうと言うべきか。いつもよりはということだから。
よく知っている奴の状態を評価しようとするとどうしても相対的な評価になる。まあ、よく知っていない奴だったらその人を身近な人を基準に相対的な評価をすることになるのだから、どちらも比べていることには変わりがないといえば、間違いなくそうなんだけど。
しかし、よく知っている奴の場合、本人同士、今までのそいつと今のそいつを比べることになるから、よりは小さな変化を読み取る相対化しか出来ない。
機微を読み取るうえではそれは重要だ。とはいえ、それで少しいつもより調子がいい様に見えたとしても一歩引いて見たら、全くそうでは無くて、本人は常に負担が掛かっている場合もままある。辛いと思い続けている可能性も否定出来ない。
だからもう、僕は余を何も色のついていない眼鏡で見ることは出来ないのだ。偶に気が付くだけだ。余の不安定さに。
キッチンへ行くと、余はブレザーから私服に着替えてエプロン姿を着けていた。
僕も色違いのエプロンを着けて隣に並ぶ。
「キャベツとモヤシ洗って。」
「了解。」
「ああ、あとキャベツは切っておいてね。」
僕は「はいはい」と頷きながら冷蔵庫よりそれらを取り出す。
キャベツは三枚剥いてから洗い、モヤシは面倒なので袋を開けたらそのままそこに水を流し入れてすすぐ。
「余。今日は何?」
「肉野菜炒めと味噌汁。だって時間ないもん。」
余はハキハキとそう言う。
「確かに、今日は宿題多すぎだよな。」
「ホントにそうだよ!何で月曜日からこんな出すんだろうね。」
余は味噌汁の出汁を取りながら持っている菜箸をブンブン降って言った。
熱い。
湯が飛んできた。
「週の頭から疲れさせてどうすんだろうな。」
「それね。なのにバスは来ないし、帰ったらきーは宿題してるし散々だよ!」
「それはご苦労。」
余のテンションは高いままだ。ちょっとうざい。
「まあいいんだけどさ。きーは結構終わったの?特に数学。」
「いや、案外終わってないよ。漢文の書き下しと逐語訳、思い出したから、それに時間かかった。」
僕は洗ったキャベツを切りながらそう答える。
「なんだ。数学終わらしてたら教えてもらおうと思ってたのに。」
「ああ、数学。でも今日の所、計算ばっかりであんまり考えなくてよくなかった?」
僕は今日に授業を思い出しながら答える。
「んまぁ、そうだけど、それでもなんか答えあった方が安心するじゃん。」
味噌汁を作っているはずの余はキュウリを乱雑に折り始めた。
また、キュウリか。
「おい、またキュウリか。」
「うん。美味しいじゃん。」
余は折ったキュウリを鍋に放り投げながらいう。
「いや、まあ、うん?」
「あれ?嫌いだっけキュウリ。」
余は小首を傾げる。
「いや、そうじゃないけど。」
「だよね。きー、ちっちゃい頃からよくキュウリ齧ってたもんね。」
「いやまあそうだけど。」
味噌汁の具にはちょっとなあ。
「じゃあいいじゃん。」
うん。
文句は食べてから言おう。
もうキュウリの破片は味噌を入れる前の味噌汁を泳いでいる。手遅れだ。
「ほら、余、キャベツとモヤシ。人参は良かったのか?」
「あっ、忘れてた。」
「切る?」
「いや、もういいや。さっさと食べよう。」
そう言って、余はフライパンに油を敷いて肉を炒め始める。
僕は台拭きを洗って食卓に行く。
台所ではジュウジュウといい音がしている。換気扇を付けていても香ばしい匂いに食欲をそそられる。
「ねえ、きー。お味噌入れて。」
「はいよ。」
僕は冷蔵庫から味噌を取り出し、鍋を火から外して味噌を溶く。
「ああっ、きー。お皿お皿!」
「ん?どうした?」
「だからお皿お皿。炒め終わったのにお皿用意しておくの忘れた。とってとって。」
余は忙しなくフライパンを木ベラでガリガリと擦りながら、催促してくる。
フライパンがそろそろ寿命で、そうでもしないと瞬く間に焦げ付くのだ。
「ああ、はいはい。」
俺は棚から取り出した平皿を調理台にポンと置く。
「サンキュ、サンキュ。」
余はそう言いながら肉野菜炒めをガサッと適当に盛り付ける。
「ああ、やっぱりちょっとくっついたちゃったか。」
余はフライパンに引っ付いた肉を剥ぎながらそう言っていた。
「ああ、いいよいいよ。そろそろ買い換えないとだめだな。」
「だね。」
余はそう言って流し台で焦げたフライパンを水に浸ける。
「ご飯と味噌汁持ってきてね。先に配膳しとくから。」
「おっけ。」
そう言いながら余は肉野菜炒めが入った大皿や湯呑み、漬物などを運び始める。
僕はお盆に味噌汁とご飯を乗せ、食卓まで運んでいく。
後は余が箸と取り皿を持って来るだけだ。
僕らはエプロンを外して、椅子の背もたれにかけその椅子に座る。
「んじゃあ、いっただきまーす。」
余はそうやって小学生みたいに大きな声を出す。
僕は余のそんな様子を半眼で見つつ「いただきます。」と静かに言って味噌汁に箸を付ける。
キュウリだ。
キュウリがゴロゴロと入っている。
食べてみると微妙にシャキッとした感じは残っているが、なんか全体的にクタッとしていて、ちょっと青臭い匂いが口の中に広がる。
微妙だ。
余はちょくちょくキュウリ入り味噌汁を作る。うん、僕はどうにも好きになれない。具なし味噌汁とキュウリのサラダを食べたいと思ってしまう。
僕は何も言わず肉野菜炒めを取り皿にとって食べる。
美味い。
キャベツとモヤシと豚肉を炒めて塩コショウを振っただけなのに美味しい。フライパンのせいで所々焦げているけれど、それを嫌に感じないほどだ。いっそ香ばしくていいとすら思う。
「美味しいな。」
「うん。」
余は肉野菜炒めを食べながら頷き返した。
僕はもう一度味噌汁をずずっ飲む。
「ね?美味しいでしょ。」
それを見た余はと得意げに言う。
「そうだな。」
あまりにも意気揚々としたしたり顔。咄嗟にそう答えてしまう。
「でしょ。」
余はそう言ってまた黙り自分の味噌汁に入っていたキュウリを俺のお椀に移してくる。
お前、実はキュウリ、嫌いとかそういう話じゃないだろうな。
だったら怒る。いやまあ怒らんけどもこんな事で。
僕が増えたキュウリと、余の顔とを交互に見る。
余は不思議そうな顔だ。
「好きなんでしょ?あげるよ」
あ、そういう事。
いらぬ気を遣わせてしまった様だ。本当にいらぬ気を。
「あっ、ありがとう。」
僕がぎこちなく礼を言うとにんまりして、自分の飯に戻っていく。
このキュウリめ。増えやがって。
僕は肉野菜炒め、ご飯、キュウリの順番で食べていく。たまに途中漬物を食べたりして口を誤魔化す。
肉野菜炒めが美味しく作られているのだから、余の味覚がおかしい訳では無さそうだ。でも、何故かキュウリ味噌汁だけは微妙。もう本当に何とも言えない味だ。食べられない程でもない。けれど、とにかく後を引かない味なのだ。
余は美味しそうに食べている。ニコニコだ。
そうか、お前は美味しいと思うんだな。
僕はまた肉野菜炒めを取ろうと大皿を見ると肉ばかり残っていることに気がついた。僕はバランスよく肉を取っているから余が取ってないのだろう。
また肉残してやがる。
「おい、余、肉も食え、肉も。」
「えー、めんどくさい。」
余はそっぽを向いたまま答える。
「めんどくさいってなんだよ。」
「いや、だって噛まないといけないし。」
余は噛むのが苦手だ。だからある程度の大きさに切って、すぐに飲み込む。それの所為で肉を丸のみして喉を詰まらせことが何度もある。
体に悪いだろうに。腹が弱い僕には出来ない。
「だから、普段からちゃんと噛めって、腹壊すぞ。」
「大丈夫だよ。もう慣れたから。へへへへへ。」
その笑い方。
「いやそうゆう問題じゃなくて、ちゃんと喰え、お前、がりっがりじゃねえか。」
僕は余の痩せて少し骨の出た体を見回す。
すると余は胸を抱えて、大げさに言った。
「エッチ。女の子を舐めまわすように見て。きー、女の子に体型の話は禁句だよ。」
「はいはい、そうだなー、まあ、今さらだけどなー。」
僕は味噌汁をすする。
「ほらまたそうやってはぐらかす。ねえ、他の女の子にもそんなことしてるの?」
「してねえよ。お前こそ、そういう事言ってはぐらかそうとしてるだけだろ。」
僕はそう言って、大皿から余っていた肉を摘み余の口に突っ込む。
「ふがもご、はもへ。」
「は?なんだって。」
余は流石にちょっとだけ噛んでからごくんと飲み込んだ。
「もう、やめてよ。」
「じゃあちゃんと食え。」
「はいはい。」
「はあ。」
余はそう言いながらしぶしぶ肉をつまんだ。
それからはなんかブーブーと文句言いながら残った肉を分けて食べる。余はもぎゅもぎゅと少しだけ口を動かす。
僕達の通っている高校はここら辺の地域では、そこそこ知名度は高い。一応頭の良いと言われている人の集まる高校だ。まあ、この地域一番という訳では無いけれど。一番賢いと思われているのは近くにある伝統校。そこは起源を辿れば藩校にまで遡れる高校だ。そんな大層なところがあるにも関わらず、戦後の人口増加の所為で作られたのがうちの学校。そんなもんだから下手にコンプレックスを抱いていて、うちの学校はそこに追いつこうとする為、教師は無理な量の宿題を出したり、補修を増やしたりして必死に教育しようとする。どれほどなのかと言えば、多くの人が受験に使わない教科の教師、つまりは体育科や芸術科の教師が団結して生徒に休みを取らせるようにと、数学科や英語科の教師に宿題を減らせ、休息を取らせろと詰め寄ったことがあるほどだ。
結果、変わった事は特に無かったけれど、そういう考えの大人もいたという事がわかったので、日々徹夜が続いたり、終わらなかったら不当に怒られたりして憤っていた生徒たちの、大人に対する不信感がほんの少しだけ解消された。
まあ、僕なんかは誤魔化して適当に終わらしているのでそこまで辛い思いはしていなし、多くの生徒ほど感動はしなかったけれど。それでもまあ進学校では体育、芸術というどうしても日陰者になっているイメージだったので、強く出たのを聞いて驚いた。
体育の教師ですら落ち着いている人が多い学校だ。だから、そんな先生達が、あのプライドの高いインテリ教師に向かって行ったと考えると、なんだかそれはとてもすごいことだと思えた。
僕は適当に宿題の穴を埋めていく。答えの配られていない数学を先に終わらし、英語の予習に移る。
数学の授業は毎日ある上、その度に宿題が出て毎日提出しなければならない。しかも正解するまで再提出し続けなければならないという苦行だ。だから、それだけを終わらしてから他に行かなければ翌日が大変になる。
ちなみに、学年の方針としては自学では数学は最後にするようにという指導がなされている。このような数学科と他の教科との乖離も気になるとこだが、まあ、おいておこう。
みんな思っているが言わないことだ。
そんな感じにぼやぼや宿題をこなしていくとすぐに一時間半ほど経った頃。
一度、隣の部屋から余が来たので数学の答え合わせをし、お互いに間違いを正した。その後、余はまた部屋に戻って行ったので予習に戻る。
そこからまた、一時間ほど経った。
もうすぐ十一時か。
勉強机から立ち上がる。
そろそろ風呂に入るか。
僕は隣の余の部屋にそう言いに行く。
「おい、余、先、風呂入っていい?」
余は勉強机から顔を上げる。
「んあ、あーー、先にもらっていい?今日は帰るよ。」
すると余は思案顔でそう答えた。
「了解、もう三日帰ってないっけ。今日は大丈夫なのか?」
「うん、まあ、多分いないと思うけど、あんまり帰んないとそれはそれで問題だからね。」
余は「ハハッ」と乾いた声で笑う。
「まあ、そうだな。じゃあ、先入ってくれる?」
「うん、ありがと。」
「おう。」
余は適当に教材をまとめてから立ち上がる。
「まあ、こんだけ人の家にいて、帰んないととか言えないけどね。」
そう呟いて風呂場に向かって階段を下りて行った。
余が風呂から出た後、僕も風呂に入ってジャージに着替える。
頭を拭きながら余の部屋に向かうと、余はブレザーに着替え、明日の分の教材を棚の本立てから鞄に移していた。
「余、服、洗っとく?」
「ああ、昨日洗ったから大丈夫。またすぐ来るし。」
余はそう答えてカバンを持ち上げる。
「じゃあ、忘れ物ないな。」
「うん、まあ、どうせ明日の朝寄るよ。」
「だな。」
僕は余について階下へ向かい、玄関を出る。
それからいつものように余を送るため、人気のない田舎道を並んで歩く。
余の家はそれほど遠くない。けれど夜中に女子の独り歩きは心配なので送るためだ。まあ、田舎なので、こんな時間、誰かが歩いているのに遭遇したことも無いから、怖いのは獣の類。そんなのに出会ったら余一人でも僕と二人でも太刀打ち出来ないだろうけど。
「ねえ、きーぃ。ありがとね。」
二人共黙っていたが、突然、余はそんなことを言い出す。
「ん?ああ、まあ、夜は危ないしな。」
「えっ、ああ、うん。そうだね。」
「ん?どうした?」
「ううん。何でもない。」
余はそう首を横に振る。
「そうか、ならいい。」
「明日また寄るね。泊まるかどうかは、今日次第、かな?」
「了解。」
僕はそう短く答える。
すると少し前を歩いていた余はくるっと振り向いた。
「ありがと。もうここまででいいよ。」
もう余の家は見えている。
「そうか。じゃあ。おやすみ。」
「うん。おやすみ。」
僕は来た道を引き返し、余はそのまままっすぐ歩いていく。
一応、何度か振り向いて、余の家の電気が点いたことを確認する。
余と僕は幼なじみ。付き合っている訳でもない。けれど、あいつは僕の家に来るし、僕もそれを受け入れる。お互いにお互いの生活の一部に入り込み、侵している。この関係を上手く言い表す事は出来ない。強いて言うならば、やっぱり、幼なじみだろうか。微妙だけれど。まあ、友達、親友、家族、それとも恋人、どれとも違う。幼なじみだ。
僕達は何をしているのだろうとよく思う。
原因はある。理由なんてない。
あーあ、わかんねえや。
読んでいただきありがとうございます。
それ程、長い話ではありませんがよろしくお願いします。