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告白



挿絵(By みてみん)






 水彩で桜の花を描く時に、青を淡く薄く溶かし込んで花びらに乗せたことがある。美術教師から、花の本質を見抜いていると言って褒められた。


 本質を見抜く。


 それは何より大事なことで、とりわけ人間関係の構築においては欠かすことの出来ない能力だ。

 朝霧はそうして伽耶を見出し、見抜いた。変化を敏感に感じ取り、咲き初めを捉えた。

 美しい鉱物とも花ともつかない彼女に、大衆の目が向く前に。伽耶を自分の隣に据えてしまおう。緩やかに甘い束縛で。


 いつも通りの校庭のベンチは、今日はやけに点々としたペンキの剥げが目についた。鳥の声が大きく聴こえ、砂塵の一粒一粒までがくっきり見える気がする。鋭敏になっている。緊張しているのだ。初めて好きになった女の子への告白という一大事を前にして。

 昼休みが終わる前に、伽耶に伝えなくては。


 伽耶も朝霧も昼食は友人と摂る。伽耶は女子たちとオブラートに包んだ笑顔で接し、朝霧は取り立てて表情を繕うでもなく淡々として。伽耶と違って朝霧は男子に気遣いなどしないのだが、その浮世離れした存在感から一目置かれている朝霧の周囲には、放っておいても人が集った。朝霧も、煩わしさが度を越さない限りは、彼らを適当にあしらい、変に角を立てることもなかった。

 伽耶と朝霧が二人揃って、校庭のベンチで昼休みの食後を過ごすことは周知の事実となっていて、それは様々な憶測を呼んだが、当人たちが興味本位の視線や疑問をかわすことに慣れていた為、何となく二人を見守る空気が出来つつあった。


 あと十分のタイムリミット。


 教師の覚えめでたい二人が揃って授業を遅刻する訳には行かない。朝霧はホットカフェオレを唇を湿すようにして飲みながら、次に発する言葉に備えた。いつの間にか、伽耶と朝霧がここで話す時は、二人共、ホットカフェオレを飲むことが不文律のようになっていた。朝霧には喜ばしいことだが、今はそれどころではない。

 すると伽耶が言った。

 告白は断ったの。

 

 どうして?


 つい、朝霧は間の抜けた問いを発してしまった。

 伽耶の目が朝霧を見る。真っ直ぐに。朝霧の鼓動を大きく鳴らすに十分な眼差しだった。

 伽耶は逃げなかった。


 他に好きな人がいるから。


 小振りの唇がささやかに、速めに動いた。


 僕は風見さんが好きだよ。


 気づけば朝霧は、口にしていた。メフィストではないが、まるで魔法に掛けられた気分だった。勢いに任せて言ったようで少々、決まりが悪くて、朝霧は改めて言った。


 風見さんが好きだよ。




 帰宅して、鞄を机の横に置き、朝霧は菫青石を慈しむように撫でた。虫眼鏡を使わなくても、その紫がかった青が明瞭に見える。十分だと思った。肉眼の視野に、今は満足している朝霧がいる。

 窓を開けると風が強く吹き込んで、桜の花びらを室内に舞い込ませた。キリムの絨毯の上に咲く雪。


「言ったのか?」


 後ろに立つメフィストフェレスが尋ねる。何のことかは言わずもがなだった。

 朝霧は庭の桜に目を遣ったまま答えた。


「ああ」

「それで?」

「泣かれたよ」

「それはそれは」


 伽耶は朝霧の告白を聴いたあと、目をみるみる潤ませて、ついには両手で顔を覆ってしまった。細い肩が小刻みに震え、朝霧は抱き締めたい衝動と戦った。泣かせる積りはなかった。また、どうして泣かれたのかも解らない。

 混乱する朝霧に、ようやく聴き取れる大きさの声で伽耶が言った。


 嬉しい、と。

 

 ありがとう。

 私も、高遠君のことが好き。


 けれど朝霧は違う世界の人のようで、自分などが好きになってはいけないと思っていた。朝霧に優しくされて、自分は朝霧の特別だと自惚れることも怖かった。

 伽耶は微かに嗚咽を漏らしながらそう告げた。


「告白されたとお前に言ったのは、お前を試してたのか」

「さあ。でも、それもどうでも良いよ」

「キスなりしたか?」

「いや。人目もあるし」

「なかったらしたか」

「……したかも」


 メフィストフェレスに答えてから、朝霧は赤面した。状況をリアルに想像したのだ。伽耶の膨らんだ花色の唇。そこに自らのそれを宛がうと考えただけで気持ちが高揚して、地に足がつかない心地になる。そんな自分は初めてで、これが恋というものかと恥じ入り驚く。

 メフィストフェレスは腕組みして、そんな朝霧を斜に構えて眺めた。猫めいた瞳孔がすう、と細くなる。春風の中、メフィストフェレスだけが冬を纏うようだった。



 

 老舗デパートの一階、化粧品売り場には花とは異なる強い芳香を漂わせた化粧品が所狭しとディスプレイされていた。メフィストフェレスは塩キャラメルをくちゃくちゃ食べながら萌葱色の三つ揃えのスーツを着て、それらを醒めた目で見ていた。造花の花畑のようだ。

 こんな物で自分を飾ろうとする人間の気が知れない。所詮は皮一枚、剥げば血と臓物、骨が納まっているだけの器に過ぎないのに。


「フォーラント様がなぜこのような場所にお運びに?」


 尋ねたのはごく普通の女性店員を装う相手だった。化粧品売り場の接客だけあり、きっちり化粧を施した顔は華やいで美しく、また、どこか魔力をも感じさせた。


「お前も酔狂だな、エリヒトー。人間社会に混じって過ごす。しかもこんな店でな。夜にテッサリア(ギリシャ中部)の古戦場を彷徨うのはもう止めたのか?」


 エリヒトーは嫣然と笑う。人工の電気に照らされた彼女は、マネキンのようにも見えるが、その実は魔女だった。笑む赤い唇を押さえる指の爪には、紫とピンクが塗られスワロフスキーが光っている。


「今でも時折、参っておりますよ」

「そうか」

「はい。それに化粧は魔術の一環でもありますしねえ」

「それだ、それ」

「はい?」

「お前に誘惑して欲しい若造がいる」



 次の日、古文の教師が病気入院したので、急遽、代わりの教師が朝霧たちの教室を訪れた。彼女が姿を現すと、教室内がざわめいた。

 とりわけ、男子生徒には口笛を鳴らす者もいた。


 朝霧もまた、驚きの表情で教師を見ていた。

 その教師は、若いながらに朝霧の亡くなった祖母の面影を濃く宿していたのだ。

  



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