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異世界に転生した俺が『   』になった話  作者: 碓氷つむじ
第一章 異世界に転生した俺が『神の見えざる手』になった話
7/8

1-1.てのひらをたいように②

<<前回のあらすじ>>

暦がこの世界に来て一ヶ月。

情報を収集するためにシスターの授業を聞いていると、そこに見覚えのない少女が訪れた。

 そこにいたのは、視界に入ったらまず目を向けずにはいられない、誰もが振り向くような――今の俺とは真逆の「存在感に満ちた」人間だった。


 どことなく気の強そうな印象を与える、切れ長の目と高い鼻。それと相反する、人懐っこさを証明するような優しい笑み。平時であれば近寄りがたさをおぼえるであろう整った顔立ちは愛嬌に満ち溢れ、春の日の陽溜まりのような暖かさを湛えていた。

 道行く人とさして変わらないはずの地味な服装は、名画に寄り添う額縁のように、かえって少女の綺羅びやかさを際立たせている。

 片手に持っているバスケットにかけられた布を、吹き抜ける風がめくりあげようとする様を「まるで映画のワンシーンのようだ」などと思った所で、不覚にも少女の姿に釘付けになっている自分に気がついた。


「ただいま!」


 見惚れていた俺の羞恥を吹き飛ばすように、溌剌とした声が響く。彼女の来訪で沸き立つ室内でもしっかりと通る鈴を転がしたような声は、視線から察するにたった一人にのみ向けられたもののようだった。


「あらあら、ラズリ。おかえりなさい」


 まっすぐに向けられた視線を受け止めたシスターがそう告げると、ラズリと呼ばれた少女は一目散に駆け寄って行く。両側で結わえた艶やかな赤髪が揺れる様は、どことなく尾を振る犬を思わせた。


 俺と変わらぬ年頃であるにも関わらず、幼子のように胸に飛び込んできた少女をそっと抱きしめたシスターは、そのまま背中を優しく叩く。

 目を瞑って心地よさそうにそれを受け入れる少女の姿は、やはり飼い主によく懐いている犬のようだった。

 沸き立っていた周囲はまるで神聖な儀式を見守るように静まりかえり、二人の次の言葉を待っていた。


「あ、勉強中に邪魔しちゃったかな?」

「いえ、今終わった所ですから」

「そっか、それならよかった」


 瞑っていた目を開けると、ラズリは先程開くドアにぶつかりそうになった子供に向き直る。

「それとごめんね、ドア危なかったよね。……ってなんだ、クロか」

「なんだはないだろ。なんか転んだからよかったけど、気をつけてよラズ姉ぇ」

「あはは、ごめんごめん。コレあげるから許してよ」


 持っていたバスケットを子供に差し出すと、上にかかっている布を取り払う。その瞬間、静まり返っていた子どもたちが歓声をあげた。


「ラズ姉ぇ、ありがとう!」

「シスター、早く食べよう!」


 バスケットの中に入っていたのは数種類のパンと菓子だった。見ているだけで胸焼けしそうな甘そうなものばかりだったが、甘いものに飢えている子どもたちにはちょうどいいのだろう。

 バスケットを受け取った子供がシスターの元へ運び、期待に満ちた顔を向ける。


「駄目ですよ、今食べてしまうとお夕飯が……」


 そこまで言ったところで何かに気づいたように顔を上げ、ラズリの方へ目を向けた。

 俺もつられて視線を追う。

 そこにはダンボールに入れられて雨に打たれる子犬のように憐憫を誘う表情を浮かべているラズリがいた。

 軽い溜め息をつくと、シスターは元々言おうとしていたことと正反対であろう言葉を続けた。


「と、言いたいところですが、せっかくラズリが持ってきてくれたんですから、一緒にいただきましょう」


***************************************************************************


「ふぁ、ふぉうだふぁずねぇ、ふぁんといふぇばさ」

「コラ、口に物入れながら喋んないよ」


 いつものどこか厳かな雰囲気とは異なる活気に満ち溢れた食卓で、子供がラズリに話しかけていた。

 差し出された水を飲み干した子供が言葉を続ける。


「パンといえばさ、この前お供えしてたパンが減ってたんだよ。ラズ姉はどう思う?」

「神様が持ってったのかな。…………まぁ、大方誰かが勝手に食べたんだろうけど、神様って考えた方がシスターは喜ぶだろうし」

「ふーん、やっぱそうか。まぁシスターとラズ姉が言うならそれでいいや」


 どこか後ろめたい気持ちを抑えながら会話に耳を傾ける。交わされる言葉の端々から、施設の子どもたちがこのラズリと呼ばれる少女にシスターと同様の信頼を寄せていることと、ラズリがこの場にいる誰よりもシスターに強い想いを抱いていることがわかった。


「僕も早く働けるようになってラズ姉みたいになりたいよ」


 パンを食べ終えた別の子供が独り言のように呟くと、ラズリはその子供に向き直る。


「アンタはそんなことしなくていーの。ちゃんと勉強して、自分のために働きな」

「それを言ったらラズ姉だって」

「私はいーの、シスターやアンタらが喜ぶのが自分の幸せだから」


 そう言って微笑むラズリに言葉を無くしたのか、子供は静かに頷いて食卓を離れ、別の子供と話し始める。


「お仕事は変わりありませんか?」


 おもむろに口を開いたシスターに、ラズリは先程よりも明るい笑みを返した。


「うん、絶好調。やっぱり酒場は私の性に合ってるみたいだね」

「そうですか。貴方が言うならそれでいいのですが……」

「そんなに心配しなくても大丈夫だって。あそこに来る男なんてみんな大きい赤ちゃんだから、ここでこの子達の面倒みてんのと変わんないって」


 笑い飛ばすラズリに、シスターはなおも不安そうな眼差しを向ける。


「そうだ、そんなに不安ならさ、見に来てよシスター。私が働いてるトコ」

「いえ、私のような者が酒場に行くのは……」

「とか言って~、昔はよく行ってたんでしょ? みんな知ってるよ?」

「そ、それは必要にかられていたからで……」


 深く恥じ入った様子のシスターをラズリは笑い飛ばすと、謝りながらポケットから何かを取り出した。


「あ、そうだコレ」


 シスターに差し出されたのは、遠目でも中身が詰まっていることが見て取れる巾着袋だった。それを見たシスターの眼差しは、これまで見たどの顔よりも真剣な物に変わる。先程までの母娘を思わせる温もりは霧散し、二人の間に張り詰めた空気が漂っていた。


「受け取れません」


 シスターは端的に拒絶の言葉を伝える。それ以外の言葉はないと言わんばかりの、頑とした意志を感じさせた。


「さっきもあの子に言ったけどさ、これが私のためなんだって」

「何度も言っています。ここは巣立つための場所です。囚われてはなりません」

「だから――」


 声を荒げようとしたラズリが、心配そうに見つめる子どもたちを見て言葉を収める。


「しょうがないな。でもいつかは受け取ってもらうから」

「受け取りません」

「……『支援者』から受け取るのも限度があるでしょ。どれだけ貰ってるのか知らないけど」


 『支援者』というのは文字通り、この施設へ資金や物資を提供して支援している人達のことだ。いかに豊かな国とはいえ、シスター一人で大勢の子どもたちを養っていくことは出来ない。街の人々からの支援を受けることで施設の運営はなりたっているようだった。

 とは言え、実際にどこからどの程度お金を受け取っているかはシスターのみぞ知る、といったところで、他の誰も把握をしていないらしい。

 誰にも気づかれることのない今の俺であれば全ての資金源を知ることも出来たが、そこに渦巻いている様々な事情を暴き立てるには懺悔室を覗き見るような覚悟――あるいは無神経さが必要なことを察して、あまり深く追求しないようにしていた。

 ただ一つ確実に言えることは、シスターは街の人々から援助を惜しまないほどに信頼され、尊敬され、慕われているということだった。


「ま、いいや。この話は改めて今度。今日はもう一つ話があってさ」


 押し黙るシスターに対して、ラズリはばつが悪そうに頭を掻いて話題を切り替える。


「ルビーがどっか行っちゃったんだけど、シスター、行き先知らない?」

「ルビーが?」

「そそ。ちょっと前までちゃんと店に出てたんだけどさ、急に来なくなっちゃって。家行ってもいないし、もしかしてこっちに帰って来てるんじゃないかと思って来たんだけど」

「いえ、帰ってきていませんし、何も聞いていませんね」


 初めて聞く名前だったが、会話から察するに、この施設でラズリと共に育ち、同じ場所で働いていた人なのだろう。


「そっかー。んじゃ、私から騎士団に相談しとくね」


 浮かない様子のシスターを励ますように、極めて明るい調子で言葉を続ける。


「いやいや、そんなに心配しなくても。魔物なんてもういないんだし、どうせあの子のことだからすぐに見つかるって。お店に来る人にも話聞くしさ」

「で、あれば良いのですが……」


 二人の間に、先程までとは別種の重い空気が漂い始める。


「じゃ、そろそろ行くね。早いとこ届けたほうがいいだろうし」

「え、えぇ……そうですね。よろしく頼みましたよ」


 耐えきれなかったのか足早に立ち去ろうとするラズリに、シスターは沈痛な面持ちのまま静かに返事をする。別れを惜しむ子どもたちをかき分けてドアをくぐると、ラズリは再びこちらに振り返った。


「それじゃ、いってきます」


 気落ちするシスターを精一杯照らそうとしているのか、彼女はこの部屋を訪れた時と同じ眩しい――太陽のような笑顔を浮かべていた。

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