0-2.異世界に来た時の話
<<前回のあらすじ>>
失踪した父親への反発心から、確たる目的も無いまま肉体労働に身をやつす少年、朝霞 歴。
希望の見えない日々にうんざりしながらも、連綿と続く日常に心を磨り減らしていくのだった。
気づくと朝になっていた。
極めて魅力的なまどろみの誘惑を断ち切り、目覚ましを止めて立ち上がる。
「今日から生まれ変わろう」
改めて口に出すとなんとも間の抜けた朧げな決意だ。どうせ続くわけなどないと内心思いながらも、仕事に向かう姿勢を意識的に変え「生まれ変わって」みることにした。
具体的に言うと、同じ場所で働いている人達と最小限以上の関わりを持ってみようと思っていた。
俺に足りないのは仕事に対する誇りだ。
それを持てるようになる仕事の進め方や心構えを誰かから学べれば、自分自身を肯定出来るようになるかもしれなかった。
午前中の仕事をこなし、昼休みに入る。
周囲はギャンブルの話かアニメの話をしている人がほとんどだったが、俺はそのどちらにも語るべき言葉を持っていない。
それらの話をされても困るので、輪には加わらず一人で食事を取っている人を探す。
少し外れた所に黒髪でメガネをかけた、同じ年頃と思しき人が細々と弁当を食べているのが目に入った。
「隣、いいですか?」
「あっ、はい」
いかにも真面目そうな風貌な人は嫌な顔ひとつせず、少しだけ隣にズレて座るスペースを空けてくれる。なんだか幸先が良い。
「今日も暑いっすね」
「そうですね」
「……」
「……」
会話が終わる。
ギャンブルもアニメも知らないが、それ以上にこの人のことを知らないと今気づいた。それでも自分の目的を果たすために、無理矢理質問をひねり出す。
「この仕事どれぐらい続けてるんですか?」
「そうですね……もうすぐ一年ぐらいですかね」
我ながら見事な質問だと思った。目の前の彼と俺との共通点は仕事だ。答えられないはずがない。
そして一年も仕事を続けているのであれば、自分の仕事に対してなんらか思うことがあるだろう。ぜひとも話を聞いて姿勢を学びたかった。
「僕はまだ三~四ヶ月ぐらいなんですけど、キツくありません?」
「そりゃキツいですけど……でも、仕事ですから。それにキツい方がいいんです」
「えっ」
思わず聞き返してしまう。苦痛に快感を見出しているタイプの人なのかと一瞬疑ってしまったが、どうやらそうではないらしい。
「みんな噂してますけど、実際その通りなんで。別にいいんですけど」
「噂?」
「あぁ、だから話しかけてくれたんですね」
噛み合わない会話に首をかしげると、メガネの先輩は小さなため息をついてこう言った。
「昨日もニュースでやってた乱射事件、うちのクラスであったんですよ」
楽しい昼休憩の会話が一気に重苦しい空気に変わる。
「それは……、大変だったんですね。まぁ人生色々ありますからね」
ひきつった笑みを浮かべながら、どこかで聞いたような上辺だけの言葉を返すしかなかった。
「犯人が友達で、僕だけ見逃してくれたんで。なんかキツい仕事してれば生きてても許されるような気がするんですよね」
重い。
予想だにしない重い一言を食らって、それ以上かける言葉が見当たらない。話題を変えようにも、今俺の会話の引き出しに入っているのは乱射事件かトラック事故の話題ぐらいだった。
多分、同情してもらおうと思ってこの話をしているわけではない。俺が家族のことについて聞かれたら父親の話を包み隠さず話すように、流れで話してくれただけだろう。本人の中ではある程度消化されており、隠す意味もないと感じているのだ。
その上で――予防線、とでも言えばいいのだろうか。今後関係を深める上で避けては通れない話を、今しているのだろう。
「しんどいっすね」
「すみません、こんな暗い話。でも、ずっとこんな気持ちなんで、あんまり話せることがないんです」
そう言うと、メガネの先輩は黙り込んでしまった。これ以上かけられる言葉はない。重苦しい空気の中、無言で弁当を平らげると、軽い会釈をしてその場を立ち去った。
銃を乱射されたわけでもないのに流れ弾に当たったような気分だったが、思いがけず仕事に対する意識を聞けたのは不幸中の幸いだった。
労働を「罰」として受け入れる。
仕事に誇りを持つこととは真逆だったが、納得はできた。
贖罪を理由に無意味な日々を続け、その最中で目標を立てたり能力を身につける。禊を終える頃には別の自分が完成している、というわけだ。
なんとなく、今の自分に合った考え方のような気がした。
問題は、この罰を受けるに値する俺の罪は何か、ということだ。解決しない疑問のような気もしたが「答えが出せない」という答えが出るまでは考えてみることにする。
少しだけ展望が開けたような気持ちで、午後の作業を迎える。
ぼんやりと思考を巡らせながら資材を運び続けていると、現場監督と目が合った。
「おい、そこの、ちょっとやっといてくれ」
明らかに言葉が欠落している指示が飛ぶ。
どうやら資材を積んだ車を出すための誘導を手伝って欲しい、ということのようだった。
道路に出た後、運転手に分かるよう大声とジェスチャーを使って、現場の近くの交差点まで誘導する。
ゆっくりとバックしてくる車の後部が壁にこすらないように注意しながら誘導していると、塀の上を歩いている猫が目に入った。
「今、巷にかわいいネコちゃんが溢れています!!!!その理由とは!!??」
昨日見た明るいニュースの出だしを思い出す。
そういえば猫が繁殖している理由はなんだったのだろうと、今更ながら気になった。暗い気持ちになっていたとはいえ、あのニュースを見ておけばさっきメガネの先輩と話す時の役に立ったかもしれない。
雑念混じりに後ろ歩きを続けていると、突然大きなクラクションが聞こえた。
しまった、と思った時にはもう遅かった。
衝撃とともに車から遠ざかり、高速で景色が数回転。
地面が近づいて来ると、視界がスローモーションのようにゆっくりと流れていき、脳内に走馬灯が過る。
細切れにされた場面はハイライトシーンと言うには退屈で、何のために生きてきたのか本当に分からなくなってくる。
最後に思い出したのは、寝起きの父親がサンダルをはいて外に出ていく様子だった。
「ちょっと煙草買いに行ってくる。すぐ戻る」
瞼の裏に焼き付いた、最後に父親を見た時の情景。
さっき抱いていた疑問が氷解する。
こんな罰を受けるに値する俺の罪は何か?
あの男の子供に生まれたことだ。
スローモーションが解けると再び強い衝撃が体を襲い、アスファルトの黒が視界を埋め尽くした。
第三者から見たら見事に放物線を描いて吹っ飛んでいただろうな、などと不思議と間の抜けたことを考える。まだ息があることに自分でも驚いていたが、血と共に体温が流れ出していくのを如実に感じていた。
すぐそこまで近づいて来た死の実感を前に、急激に恐怖が押し寄せてくる。
目の霞みと、耳鳴りのような音のせいで周囲の様子が分からない。
なんとか顔をあげてみても、ぼやけるばかりで像を結ばない。
赤黒い色とともに視界が狭くなり、瞼が重みを増していく。
死ぬのは、嫌だ。
誰にも顧みられることなく、ただ歩道に転がる石のように死んでいく。
生きている時だけでなく、死ぬ時ですら路傍の石のままなのはあまりにも虚しかった。
出来れば誰かに見つけて欲しい。
力を振り絞って見えない誰かに助けを求めるように手を上げようとする。
少し持ち上げたところで一気に力が抜け、視界が暗転した。
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目が覚めると、俺は木漏れ日の中にいた。
優しく暖かな光が葉を透き通らせ、吹き抜ける爽やかな風が周囲の木々を揺らす。
土と木の匂いが鼻孔をくすぐり、どこかから聞こえる虫や鳥の鳴き声が、のどかな休日の朝を思い出させるようだった。
周囲を見渡しながら状況を整理する。
仕事をしていたらトラックにはねられて死んだ――はずだ。
しかし、トラックはおろかさっきまでいたはずの現場すら見当たらない。
何処ともしれない森……あるいは山の中にいるだけだ。
首をかしげながら立ち上がって少しだけ歩くと、一気に景色が広がる。
石で舗装された質素な道と、その脇に並ぶ煙突つきのレンガの家。
なんとなく「作り物のようだな」と思った。
もちろん、俺がそうしていたように古今東西あらゆる家は人の手によって作られたものだがそういった意味ではなく、どこか現実感に欠けているような気がしたのだ。
近寄って触ってみるものの、家はハリボテではなくしっかりとそこに建っていた。
あまり趣味がいいとは言えないが、窓から中の様子を覗くと、タンスやテーブル、サイドボードといった洋風の家具が立ち並んでいた。
サイドボードのガラス戸の中にはティーカップが整然と並べられており、テーブルの上にはわざわざ蝋燭の刺さった燭台が置いてある。
雰囲気作りを徹底した瀟洒な暮らしを送っていることが伺えた。
不意に、足音が聞こえてくる。
覗きをしていると思われてはたまったものではないので、急いで窓から離れて道路に戻る。
「なぁ聞いてくれよケン、この前の火事があっただろ」
「ああ、凄かったなアレ」
「だろ? だから酒場で知り合った奴に笑いながら話してやったんだよ」
「へぇ。で、それがどうしたってんだ?」
「燃えたのはソイツの家だったのさ!」
「「HAHAHAHAHAHA」」」
洋画でしか見ないようなやり取りをする男達が、俺の目の前を横切っていく。
否、洋画のような印象を受けたのは、やりとりだけでない。
目鼻立ちがくっきりとした彫刻のような顔立ちと、青い瞳。ムラのない美しい金髪と、俺よりも二回りは大きい体躯。
何より固そうな布で作られた服と、腰に帯びた剣。
どこをどうとっても、俺が住んでいた国で見るなら映画かアニメの中しかないような出で立ちだった。
中世ヨーロッパと表現するのが的確かどうかも分からない、現実感に欠けた――異世界。
そんな世界に、俺は来てしまったようだった。