すごくすごく傷ついて
プリンの田中さんに出てくる安藤の話です。
全く関わりないので、スピンオフでもないです。
大学の同級生に、「連絡欲しい」とメモ付きの電話番号を渡された。
その時、性格が悪いことに、―――使えるかも―――そう、思ってしまった。
崎田詩織は、テーブルの上に置いた電話番号を見て悩んでいた。
お付き合いなどはするつもりは、全くない。
そもそもそういう対象としてみたことがなかった相手だ。
大学構内以外で会ったら分からないかもしれないとまで思う。
だが、あれを告白と捉えるならば、返事をしなければならないのでは、と考えて。
でも、こっちの番号が表示される状態でこの番号にかけるのはためらわれる。
できれば、番号は教えたくない。
かといって、非通知で掛けるなんて、同じ科目を取ってよく会う同級生に対してひどい態度だと思う。
大学で「ごめんなさい」と言おうにも、二人きりになるシチュエーションがない。
食事時に声をかけて噂になるのも勘弁してもらいたい。
詩織はため息を吐いて、諦めてスマホを持ち上げた。
「何それ」
その時、頭上から声がした。
「健君っ?」
驚いて振り返ると、スーツ姿の幼馴染が不機嫌な顔で立っていた。
思わず手の中のメモ用紙を握りつぶした。
「勝手に入ってこないでよ!」
詩織が怒った顔をしても、表情一つ買えずに「今更」と吐き捨てた。
彼―――安藤健は、詩織の兄の友人であり、詩織の五つ年上の幼馴染だ。
この家が建った時から隣同士で、詩織が生まれた時には、健はすでに隣のお兄ちゃんだった。
兄とはもちろん、詩織とも仲が良く、いつも遊んでくれた。
去年、健君は大学を卒業した。だけど、就職してからも、受験生だった詩織を気遣って息抜きに映画に連れて行ってくれたりしたのだ。
もちろん、今でも、兄とも詩織とも仲が良く、互いに夕食を食べに行き来する仲だった。
だから、健が「今更」と言ったのも、今までだったら当たり前だった。
今も、きっと夕食ができたとかで呼びに来てくれただけだ。
だけど、詩織は健君と口を利きたくなかった。
詩織は、すごくすごく傷ついて、健君ともう顔を合わせることもつらかった。。
「詩織、手の中の何?その番号に電話かけるつもり?」
眉をひそめてくる健に、詩織は渡された時の気持ちを思い出して、罪悪感が沸き起こる。
誰かの好意を、他の人間の気を引くために使えると思うだなんて、最低だ。そんなことを考えてしまう自分が大嫌いだ。
だから、殊更に無表情を装って返事をした。
「別に。ただの友達だよ」
詩織が言うと、健は馬鹿にするような笑いを漏らした。
「ただの?馬鹿だろ。友達が連絡先を、わざわざメモに書いて渡すはずないだろ」
そんなことも分からないの?―――いつも言われる言葉だ。
詩織はきゅっと下唇をかみしめた。
彼が詩織に好意をもって、こういうメモを渡してきたことは、分かっている。分かっているけれど、いろいろ悩んだ末に、電話をかけるしか方法がないかなと自分で判断したのだ。放っておいてほしい。
「健君には関係ない」
詩織が顔を背けると、怒った声が降ってきた。
「なんだと?」
あまり詩織に向けられることのない、健君の怒りの声に、詩織の肩が揺れた。
健君は、無駄なほどに外面がいい。
いつも温和な笑顔を浮かべて、優しい口調でしゃべる。
少し垂れ気味の目が、笑っていなくても笑っているように見せているのもあるし、綺麗な顔立ちをしているので余計に良い印象を他人に与えるのだ。
だけど、基本的に毒舌だ。
あまり勉強が得意でない詩織に勉強を教えるときに
「俺に試練を課すために分からないふりをしているんだと思っていたよ」
などと真剣な表情で言う。
何かを失敗してしまったときには、じっと苦悩しているような表情をしてから―――「馬鹿」と、一言発した。
ひどいとは思うが、嫌味を言われていじける詩織が楽しいらしく、その後には笑って、しっかりとフォローをしてくれるのだ。
今の大学に受かったのだって、健君がいてくれたからだ。
嫌味は言われるけれど、怒られているわけじゃない。
こんなふうに健君に苛立たしげな声を出されたことは、あまり無かったと思う。




