悪役令嬢ならぬ悪役令息になってしまったかわいそうな男の記憶
かわいそうな人生だ。
俺の生まれは特殊だ。気付いたらあの暗い洞窟にいたし、少しの間ではあるが確かにオフィーリアと過ごしていた。でも、いつだったか。その記憶はプツリと途中で糸が切れるように思い出せなくなってしまった。
次に俺の体はぬるい水のようなものへと入り込む。不思議な空間だった。今思えば、あれは母の胎内であったのだろうか。よく分からない。
幼少期は勉強に作法、剣の稽古など休む間も無く体と頭を動かし続ける毎日だった。面倒だと感じることは数え切れないほどあったが、投げ出したいとか休みたいとかは思わなかった。ぼんやりと夢見心地な俺はよく大人しい子だとか頭のいい子だとか大人に持て囃されたりもしたが、高慢な子に育つこともなく、すくすくと育っていた。
そんな俺が数えで4つくらいの時だっただろうか。オフィーリアにどこか似た雰囲気を持つ、将来は顔面パレットのオフィーリアにあった。父と母にあなたの許嫁よ、と紹介された恥ずかしそうに下を向く少女に、その時の俺は一瞬で心を奪われた。
守らなければ、と感じる反面、どこかで本当にそれでいいの?と問われた気がした。
結果的に俺は幼少の頃からあの女の手のひらの中であったのだ。
婚姻を結んだ翌年には弟のラルクが生まれた。ラルクは俺とは違い、だいぶ子供らしい子供であったようで、両親たちはラルクを可愛がった。成長していくラルクとそれを見守る俺。顔のよく似たこの兄弟は仲良しね、と評判であった。
殿下とはいつ会ったのか。そこらへんの記憶はあまりない。きっと興味がなかったんだろう。しかし、ゲロ甘な顔だなと思ったことだけは確かなので、確実に何かあったはず……。
しかし、俺を合わせて、4人。この4人はよく行動を共にした。
今思えばそれが間違いの始まる兆候であったのかもしれない。オフィーリアはよく殿下のことを見ていたなと今になって思い出したのだ。そのうち何かやらかしそうな悪どい面よりも、正統派イケメンの方が良かった、ただそれだけだ。
しかし、今はそれに特に何の感想も浮かばない。
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初等部、中等部、俺たちはよくわからないがいつも円の中心にいた。麗しの王太子殿下に恋をしたもの、その取り巻き連中(男)に熱を上げたり、オフィーリアに気に入らないと喧嘩を売ったり。
くだらないことだらけだった。
もしかしたらそんな汚いものを見せられ、オフィーリアはあんなにも醜くなってしまったのだろうか。
特に何の事件もなく無事に高等部へと上がる俺たち。しかし、高等部での生活を楽しんでいたそんなある日、大きな夜会があったのを思い出す。そういえばそこに見たことのないご令嬢がいた。そのご令嬢は表情のよく変わる愛らしい顔立ちをほのかに染めて俺たちに挨拶をしたのを覚えている。
目があったご令嬢はトロリとその大きな目を蕩けさせて俺に微笑んだ。
そういえば、オフィーリアが狂っていったのも、俺の周りのものたちが使い物にならなくなっていったのもその夜会がきっかけだったように思う。
アルベルトやその取り巻き連中が生徒会室にあのご令嬢を連れ込むようになった、最初は嫌っていたラルクもそのうちにその集団の中に入っていくようになった。仕事をこなすものは俺だけになり、オフィーリアを構ってやることもできない日々が続いた。
気づいたらオフィーリアはあの優しく穏やかな淑女から、権力を振りかざし好き放題やる所謂高慢なご令嬢へとなっていた。
オフィーリアとアルベルトのお気に入りのご令嬢。あの二人はあまり仲が良くなかったように思う。顔を合わせれば睨み合い、嫌味を言い合う。愛らしかった顔も、嫌いなものの前ではあんなにも酷いものになるのだなと感心した覚えがある。
しかし、ある日事件は起きてしまった。
オフィーリアがそのご令嬢を手にかけたのだ。狂ったように笑うオフィーリア。
「これでみんなまた私を見てくれるわ」
もう動かないご令嬢の濁った目と目があう。
「、オフィーリア、 お前、なにを 」
「まあ、レガン、貴方いつからそこにいたの? 今邪魔なものを始末したところだったの」
「こんなこと許されると思っているのか、」
「許されるも何も、私は罪に問われないわ」
「は?」
「だって」
オフィーリアの顔が醜く歪む。俺はそれを呆然と見ているだけで。
「この罪は貴方のものになるのよ、私の愛しい人」
オフィーリアの金切り声が響く。こちらに向かってくる沢山の足音。これが俺の破滅への足音だ。
女というものは凄いもので。オフィーリアはドアを開けて飛び込んできたアルベルトや取り巻き連中へと助けを求める。そこにいるもう息をしていないご令嬢。
「ーーーシャルロッテ!!?」
駆け寄るものたち。
「ああ、誰だ、こんな、こんなッーーー!!!」
取り乱した様子のアルベルト。お前に寄り添うようにしているそこの女がお前のお気に入りを殺したのだと言ったら、オフィーリアはここで切り捨てられるのだろうか。
「殿下、シャルロッテ様を、あ、ああ、れ、」
その”れ”の後に続く言葉はなんだ?
オフィーリアがこちらに醜く笑う。
「レガンが、手にかけているのを、私見てしまいましたの、」
俺が驚愕に目を見開く中。耳元で聞こえた何かの空を切る音。
反射的に頭を傾ければ、そこに突き刺さる細身の剣。この剣の持ち主は、
「ーーー見損なったよ、兄さん。………いや、殺人犯め」
「ラルク、」
俺とよく似た顔が嫌悪と憎悪に歪む。俺は唖然としたままその顔を見ていた。そこで違うとハッキリ言っていれば、現状は変わったのだろうか。……いや、変わらなかったに違いない。
「レガン、貴様ーーーー!!!!!」
「アルベルト、違う、俺は、」
「此の期に及んで言い訳か。見苦しいぞ、レガン…!!」
なぜだ
「ご令嬢殺しのレガン、貴様のその罪、許されないものと思え」
なぜだ
「衛兵を呼べ、この罪人を早急に捕えるのだ」
俺じゃないのに、なぜこいつらは、信じてくれない?
「アルベルト、」
「俺の名を呼ぶな。貴様に呼ばれるなど虫唾が走る。なぜ私は今までお前と共にいることができたのだろうな?」
酷い裏切りと、拒絶だけが俺に手渡されたものだった。
生徒会室に集まってきた衛兵にがっしりと抑え込まれる俺。ちらりとシャルロッテと呼ばれたご令嬢に目を向ければ、その近くで膝をつき涙を流す弟が目に入った。
「 あ 、」
俺はまた何も言うことができなかった。ラルクが泣くところを、久しぶりに見た気がした。弱々しくご令嬢の名前を繰り返し呼びながら涙を流し続けるラルク。
ーーーーーおれがまもるといったのに
すまないとご令嬢の名を呼び、謝り続けるラルク。
ああ、ラルクとあのご令嬢は想い合っていたのだろう。ご令嬢の首にかかる華奢なネックレス。あれはラルクが俺の大切な人にあげるんです、と照れたように笑いながら見せてくれたものと同じものだった。
そして、俺の記憶はここで一旦途切れ、
次に目を覚ましたのは、暗く、カビ臭い牢獄の中でだった。
くらいそこには、なにもない。おれのとこにも、なにもない。