第三部第十五章
場所は変わって、ここは東山青蓮院。
慈円は、安楽、住蓮らへの処罰がいよいよ出されるという情報を耳にすると、自らの情報網を駆使して、正確な処罰の内容を知ろうとした。
慈円自身も、今回の法然の直弟子達による女犯の嫌疑に関しては、当初「ありえないこと」と、懐疑的であった。
「法然門下の者たちに限って、そのようなことが……」
と、彼も、今回の事態が何かの誤解であろうと、当初は思っていた。
しかし、事態は長引き、思い処罰が下される可能性が高いと噂は広まっていく……。
ついには、なかなか情報が入手できないもどかしさに、彼は尊長に会見を申し入れたが、尊長からは「多忙のゆえに……」と、断りの返事が来た。
「あいつめ、馬鹿にしおって!」
慈円は怒りをあらわにしたが、いかんせん、現状での力関係は、今や尊長の方がはるかに上ではあった。
それでも、何とか、後鳥羽院に近い人々に近付き、情報を手に入れたが、慈円はそれを耳にすると「何ということよ!」と驚きの言葉と共に、体をわなわなと震えさせ、呆然自失の体となった
慈円が驚いたのも無理はない。
その情報によれば、専修念仏に加えて高声念仏の停止が発布されるということと、法然自身も流罪になる見通しだというのである。
「流罪とは……」
最後まで、仏教界の調和を目指し続けた慈円にとって、このような結果は不本意であったのである。
早速彼は密かに法然の一番弟子信空に使者を送った。――「会って、法然の今後のこと話し合いたい」と。
「何とか出来るやもしれん……」との思いからであった。
法然の念仏教団にこのような措置を取ったところで、庶民の念仏信仰が無くなるわけではない、かえって御上への反発心が燃え上がろうというものであることを、彼はよく認識していたのである。
――何とか上皇を説得し、今回の措置を見直していただき、また、このことをきっかけに、法然の念仏を、山の念仏に戻す最後の機会には出来ないものか?
――上皇に何とか高声念仏を思いとどまらせ、また法然の流罪だけは免れさせようと思ったのだ。そうすれば、朝廷への民衆の反発も最小限となろう。また、意気消沈しているに違いない、信空以下、法然の弟子達をそのまま叡山に取り込んでしまうことも不可能ではない。叡山にとっても将来的にはそれは良いことでないか?
彼の心は逸った。
慈円の親書は早速吉水の里に届けられた。
「慈円様からのお招きであるか!行かねばなるまい!」
信空も、門弟たちへの厳罰、並びに師の流罪だけは避けたいという思いは同じだった。
親書を受け取った彼は、夜遅く、人目を忍んで、慈円のいる青蓮院を訪れた。
二人の話し合いは短時間で終わった。
信空は最後にこう慈円に言った。
「私も慈円様と全く同じ気持ちです」
慈円も頷きながら答えた。
「そうか、そなたの説得にすべてがかかっている、頼むぞ!」
青蓮院を後にした信空はその足で、法然が幽閉されている九条兼実の別邸小松殿に向かった。
そして、その深夜……。
「……」
無言のまま、小松殿を後にする信空の足取りは重かった。厳しい寒さが一段と体に堪えた。
ため息をもらしながら、彼は自分の師へ_の説得の言葉を思い起こしていた。。
「師自らが専修念仏、また、高声念仏の停止を宣言さえすれば、おそらく此度の流罪の処置も取り消されましょう。慈円様が、あとの面倒は見ようと仰ってくださっています。念仏の伝道教化はうちうちにでも出来ましょう。今は一歩退くのが賢明かと_。どうか賢明なご判断を!」
懸命に説得する一番弟子の進言に対して答えた法然の返事を、信空は絶望的な溜息で受け入れるしかなかった。。
曰く……。
「流刑、さらに怨みとすべからず。辺鄙に赴きて田夫野人に念仏を勧めんこと、季来の本意なり」
時は建永二年二月二日、その翌日に加えられた、法然の流罪のみに止まらない、法然教団への決定的打撃の中身を、しかし、信空も、いや法然ですら、まだこの時点では予測はしていなかった……。