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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
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第一部第九章

 こうして、住蓮が信空に、時子との出会いのいきさつを説明せんと、過去の記憶を辿っていた丁度その頃である……。

 彼の過去への思いに応えんとするかのように、ここ祇園舎のはずれにある犬神人の里でも、時子が、今まで秘密にしていた自分の過去を、源太にまさに今から語り始めんとしていた。

 二人は既に場所を源太の小屋に移していた。---源太が、周囲の目につかぬ方が良いであろうと判断したからである。

「源太さん、本当にお気遣いありがとう」

 小屋の中で腰を据えると、時子は涙を拭って、源太に語りかけた。

「話します。――私の話、聞いてください。お願いします」

「おときさん……」

 この人ならすべてをありのままに話せる。時子はそう自分に言い聞かせると、押し殺していた思いをぶちまけるかのように、一気に源太に向かって話し出した。

「実は、昨日の都大路でのお勤めの折、偶然見かけたのです。――叡山座主の護衛の武者の中に私の兄がいるのを」

「何とそんなことが――そんな!」

 あまりに唐突な告白に、源太はそれ以上の言葉を失ってしまった。しかし時子の真剣な眼差しを見れば、その話、嘘ではないことは一目瞭然であった。

「……」

 突然の思いもよらぬ告白に、言葉を失い、黙したままの源太に、時子はかまわず語り続けた。

「近江の地、馬渕の里で別れて以来、もう何年になりましょうか……」


 時子の話は近江馬渕での幼少時代にさかのぼった。――彼女は思い出をかみしめるように、ゆっくりと話し始めた。

 両親が管理する荘園、領地での楽しい日々、豊かな自然との触れ合い、そして……。

「住蓮様ともそこで始めて出会ったのでございます」

 彼女は住蓮が奈良から自分の荘園に下ってきたいきさつまでを一気に語り終えると、目を瞑った。

「兄と、私たち二人、とても、それは楽しい楽しい日々でございました」

「なんと、そうであったか……」

 源太はようやく、ここまで事情を聞くと、そうポツリと呟いた。

 時子は続けた。

「あの方と初めて会った日のことは鮮明に今でも覚えております…。住蓮様はその物言い、振る舞い、全てに質実剛健さが漂い、すぐに私の父母からも気に入られましt。そして早速次の日からは、荘園の管理の仕事を任されると、全てを順調にこなしていかれました」

 時子はこう源太に語りながら、同時に懐かしい近江での日々を思い起こしていた。

「私はそのころまだ十五の年を迎えたばかりで、あの方が来られた時は、兄がもう一人増えたような感覚でしかありませんでした。でも、日がたつにつれ、あの方への思いが……」

 ここまで語ると、時子は声を詰まらせた。---源太はすぐに彼らが恋仲になったのだと察した。

 源太は今迄にも多くの新参者からここへ来るに至った身の上話を聞いてきたので、時子がかってはそれなりの

身分の過程に生まれ育ったことも、今回初めて聞いたのではあったが、そのこと自体は決して珍しいものではないことを承知していた。---そして聞くたびに思うのである。「一体このような家族、夫婦、恋人の離散の悲しみがいつまで続くのだろう!神も仏もあったものか!」と。

 源太には、恋仲であったこの二人を無残にも引き裂いたのが、紛れもないこの白癩の病であることが、時子のこれ以上の告白を待たずとも容易に予測できた。「何という忌まわしい!」彼はこの病を心底呪った。すると源太の目からも涙がこぼれ落ちるのであった。

 そんな源太を見つつ、時子も声をつまらせながら話を続けた。

「私が体の変化に気づいたのはそれから三年ばかりしてからのことでした。――眉が薄くなったのに気づいたのが最初でしょうか。また体のところどころに白い斑点が出てきました。母は気がついていたのかどうかは分かりません。母には知られまいとしましたから。ただ、自分では話に聞いていた、これがひょっとするあの白癩というものか、そう考えると恐ろしく、毎日が眠れない日が続きました。--おそらく兄がいれば、真っ先に兄に相談したでしょう。しかしその兄が……」

「兄上がどうされたんじゃ」

 源太が問いかけた。

「兄は元来が、気性が荒く、武道に秀で、荘園管理の仕事も退屈に感じておったようです。いつも『機会があれば源氏の兵に加わって、平氏と戦いたい。』と、口癖のように言っておりました」

「なるほど」

 源太の脳裏に颯爽と馬上にまたがる時子の兄の姿が浮かんだ。

「丁度その時でした。木曽義仲の軍勢が京を目指して近江の地まで参りました。兄は、木曽の義仲が比叡山に陣を張った、と聞きますと、父母の反対の声にも耳を貸さず、家を飛び出して、義仲の軍勢に加わったのです……」

 ここで源太が、合点がいったと言わんばかりに口を挟んだ。

「そうであったか。つまりこういうことか…。おときさんの兄上は、――兄上はこの戦乱を何とか生き延びて、――それで、今はどういうわけか比叡山のお坊さんの護衛をしているというわけなんじゃな、恐らくは」

「そのようでございます」と時子は答えた。---源太の推理に間違いはなかろう。自分もそう思った。時子の目に再び涙が溢れた。

「兄に…。一言、一言、声をかけたかった……」

 と言うと、彼女はそこでわっと泣き崩れた。

「……」

 慰める言葉もなく、源太も黙って見ているよりほか、なす術が無かった。

 ここへ来るものは家族について多くを語らない。世話役として頼られている源太には、それでも、ある程度年数がたつといろいろと心の内を打ち明けるものが現れる。

 しかし、語ったところで何になろう。みな、白癩とわかったとたん、家族からは見捨てられ、ぼろきれのごとくなりながら、ある者は放浪生活に入り、辛酸を嘗め尽くしたあげく道端で野垂れ死にするしかないのである。――ここへたどり着いたもの、拾われた者は運のよい方だ。

 家族からはもう死んだものとされている。連絡を取ろうとしたところで、拒絶される。

「お前はもう死んだことになっているのだから、これ以上家族に迷惑をかけないでおくれ」

 と言われ、もう二度と会うことはかなわない。

 生きながらも、実はもう死んでいるのだ!

 なつかしい故郷へ帰ることなど適うはずもない。祇園舎のものは、犬神人として、ここで死ねるだけまだましというものだ。

 ようやく源太は言葉を発した。しかし「つらかろう、つらかろう …」と、言葉を詰まらせながら、こう言って慰めるのが精一杯だった。

 源太と時子はこうしてひとしきり泣き続けた。――どれだけ泣いただろう。しばらくして源太が涙を拭ったあとも、時子は一向に泣き止む気配が無かった。

 源太はおもむろに口を開くと時子の肩をやさしく叩いた。そしてこう言った。

「おときさん、話をするのもつらかろう。――これぐらいにしておこうか今日は、――またゆっくり話して聞かせてくれればよい」

 今はそっとしておいたほうがよい。源太の長年の経験から培われた勘がそう判断させた。

「これ以上の話はかえって辛かろうというもの」源太がそう判断して時子の下を去ろうとした時であった。

 時子は泣くのをやめると、顔を上げた。そして源太を見据えると、涙を拭いながら、

「いえ、源太さん。行かないで!――最後まで話を聞いていってください。この私の哀れな話を……」

 と、源太を呼び止めた。

 彼女の声に、源太は足を止めると、振り向いた。時子はきりっとした姿勢で座したまま、しっかりした目つきで彼を見ている。

 源太は時子の気迫に圧倒された。

「そうか、――大丈夫か……、おときさん。無理しなくともよいのじゃぞ」

「はい、大丈夫ですから」

 時子の返事に込められた気丈さに、源太も安心した。 

「そうか、――それでは話しをもう少し聞くとするか…。で、それから、どうなったのじゃ」

 源太が促すと、時子はさらに話を続けた。

「住蓮様と私はことあるごとに一緒にいたものですから、あの人はすぐに私の体の異変に気がついたようです」

「であろうな」

 恋仲の二人の思いはいかほど哀れなものであっただろうか!想像するだけでも涙が誘われた。

「はい、それで私は思い切ってあの方に相談しました。兄上がいないとなっては頼れるのはあの方しかおりませんでしたし、父母をともかく落胆させたくなかったものですから」

「で……」

 と、源太が言いかけた時だった。時子が再びわっと泣き出してしまった。---無理も無い。余りにも悲しい思いをせき止めるのに、理性はあまりに無力と言えた。

「水でも一杯汲んでくるか……」

 源太はやはり少し時子を休ませねば、と考え、少し時間を稼ごうとわざと水汲みに外へ出た。

 外へ出ると、いつもの集落の風景がそこにあった。

 男たちは鍛冶仕事、力仕事に、女たちは洗濯に、あるものは歌を歌いながら、各自仕事に勤しんでいた。

 ――いつまで我々はこの病に苦しめられなければならないのか?

 ――この穢れは死んだら清められるのか?死んでも我らは結局地獄に行くのか?

 ――この穢れは、神仏の力でも清められぬのか?

 ――この穢れはやはり我らが業の結果なのか?

 常日頃断片的に考えていることが、一気に頭を襲ってきた。考えがまとまらない。源太は頭が破裂しそうに感じた。

 源太は天を仰いで叫んだ。 

「神でも仏でもおわすものならここへ今すぐ出てきてくだされ。今すぐに……、そして悲嘆にくれるお時さんを今すぐに救ってくだされ。わしはどうでもよい。わしはどうでもいいから」

 するとそこへ、そんな源太の胸の内など知ろうはずもない、これも今日、都の死体清掃処理の仕事から帰ってきた仲間が近寄ってきた。彼は井戸から組んだ水を竹筒に満たし手に持っている。汗のにおいと、この病気独特の腐敗臭にも近い独特の臭いの混じりあった臭いが源太の鼻を刺激した。無論、そんな臭いにももう皆慣れっこになってしまっている。彼も同じだった。源太の前に来ると彼はその水をおいしそうに一気に飲み干した。そして彼に声をかけた。

「いやー、源さん。相変わらず都は屍で一杯じゃ。いくつ拾い上げても片付かぬわ!ははは。しかし、この仕事もかなわんのう。都大路はまだましじゃ。鴨の川原など臭うて、臭うて…。あそこは行きたくないのう…。いやもっともこっちも半分死に掛けて、十分臭かろうがのう!あははは!」

 源太は半ばあきれながらも、このどん底の中にあって、それでも明るく生きようとする仲間の言葉に、反面少し救われた気もした。

「そうじゃ、なにがあってもわしらは生き延びねばならんのだ!」そう考えると、少し、彼の気持ちに晴れ間がさした。そして気持ちを切り替えた。「早くお時さんに水を持っていってやらんと」

 時子を絶望の淵から救い出してあげねばあらない、無論それが自分に出来るかどうかはわからないが、ともかく慰めてあげねばならない……。

 彼はその仲間に別れを告げると、村の長としての使命感に燃えつつ、村の中央にある水汲み場へと急いだ。

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