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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
88/110

第三部第六章

 時は同じ頃……。

 場所は変わって、ここは京の東、日ノ岡である。

 近江の国からは、逢坂の関を越えて、最後の都への関門となるところである。

 都はもうすぐである。

そこに二人の人の姿があった。一人は盛高、もう一人は従者の清兵であった。

 盛高は、故郷、馬渕の里の視察---先日尊長より命じられていたあの荘園の視察である---を終えて、京の都に帰る途上であった。—二人は岡の頂上、蹴上と呼ばれているところまで来ると足を止めた。そこには眼下に都の町が広がっていた。

 しかし、彼の思いは、眼前に広がる京の都でなく、故郷馬渕の里に向いていた。

 ――故郷は昔の姿そのままだった。

 視察には数日を費やした。懐かしさに時を忘れた。前回の帰郷の折は追っ手に追われていたこともあり、さらに帰郷するや佐々木の館の灰燼に帰した姿を見て、冷静さを失い、ただ悲しみに狼狽えるのみであった。

 そして、その後の更なる逃亡生活、そして……。

 自らの数奇な運命を噛み締めながら、今回の視察では、荘園内に留まらず、故郷の山を、川を、湖を、馬で駆け巡った。今回は心に余裕があった。幼少時の思い出を手繰りながら、あちこちと巡り歩いた。

 ――時子の墓は是非ともここに作ろう!

 時子の墓を作る場所も目星をつけた。---今回の帰郷での最大の目的であった。

 こうして視察を含め、帰郷の目的はほぼ達した。

 無論荘園については尊長の所領地となったため、佐々木家復興がたとえ成ったところで、自分がここを直接治めることはもはやない。

「しかし…」と彼は思った。また、「いずれ、ここの管理を任されることもあるかもしれぬ。いやそれが叶わぬとも、近江の地は広い。自分と時子と二人、どこだって暮らせるであろう…」などと淡い期待も持つのであった。

 実は、盛高は、今回帰京して、尊長に視察報告をする際には、今の職を辞して近江の国に帰りたいという希望を申し入れるつもりであった。---ゆきと、ただ平凡な生活を送りたかったのである。政治に翻弄される生活、また権謀術数うごめく血なまぐさい都での生活に終止符を打ちたかったのだ。

 今回、故郷の美しさに触れて、ますますその思いは強くなったのであった。

「そうしてこそいよいよゆきと祝言も挙げられよう」

 かねてより考えていたことを実行に移す、良い機会ではないか!ー盛高の心ははやった。

 自分にそう言い聞かせると、旅の疲れも忘れて、少し元気が出てきた。彼は、従者の清兵に声をかけた。

「清兵、いよいよ京の都だな!」

「はい」

「どうだ、そちも我が故郷、馬渕の里が気に入ったか?」

「はい……」

「そちは、何を聞いてもはい、はい、とばかり。まこと手応えのない奴ではあるな!ははは!」

 少し元気を取り戻すと、清兵をそうしてからかう彼であった。

 すると盛高は馬の歩みを早めた。---今度は一刻も早くゆきと会いたくなったのである。

「急ぐとするか!」

「はい」

 こうして、意気揚々、暫く主従は街道を歩んでいたが、突然清兵が口を開いた。

「盛高様、実は……」

 そこまで言うと、しかし、彼は躊躇したのか口を摘むんでしまったので、盛高は聞き返した。

「何だ、どうした?」

 盛高に促されて、清兵は、吹っ切れたようだ。彼は言葉を続けた。

「実は気になる話を耳にしたのです」

「気になる話……」

「はい」

「いつ、話そうかと思案していのでございますが……」

「なんだ、申してみよ」

「わかりました」

 と、返事をした、その清兵の語るところによれば……。

「盛高様が視察の息抜きにと、お一人で三上山に行かれた折でございます。残された私は、特に目的なく歩いていたのですが、すると道に迷いまして、偶然、ある池にたどり着いたのです。いや何とも不気味なところではありました。おそらくこれが里で噂に聞いた首洗い池であろうと思い、近くを歩いておりました老婆に聞くと、左様でございます、との返事でした」

「ふむ……」

 首洗い池――物騒な名前だが、源平争乱の折、多くの落人達が捕らえられ、その池で首を刎ねられたので、そんな名前で呼ばれるようになったのだという。

「その池なら知っている…。今はそう呼ばれていることは、私も里の者から聞いていた。—それがどうしたのだ?」

 盛高の小さい頃は、当然そんな物騒な名前は無かった。いつも水遊びをしていた近くの池である。あの頃のことが懐かしく思い出される……。そんな美しい田舎の風景も、この戦乱のもたらす血生臭い影響から免れなかったというわけである。ー盛高はそこが”首洗い池”という名前で呼ばれていると、初めて知った時、何とも複雑な思いに駆られたことを思い出した。

 清兵は話を続けた。

「そこで、たまたまその老婆から聞いた話なのですが_」

 そこまで、話すと清兵は大きく溜息をついた。そして押し黙ってしまった。これ以上話を続けていいものかどうか躊躇いがあるようだった。

「清兵、どうしたのだ?その老婆がどうかしたのか?」

 盛高は清兵に話を続けるように促したので、彼は意を決すると、さらに話し続けた。

「その老婆が話すには……」

 桜の散る頃であったと言う。ある日、都から幾人もの武者達が、ある一人の罪人を連れてきたと言う。そしてその日のうちに、この池の辺でその者の首を刎ねたのだと……。

「そんなことがあったのか……」

 盛高は、自分の故郷で今もそんな罪人の処刑が行われていることを知って驚いた。

「しかし……」

 と、盛高が、ある疑問を持って、言葉を続けようとするのを、清兵が遮った。清兵は、自分の抱いた疑問を、主人も抱いていることをすぐに悟ったのである。

「盛高様、さようでございます。おかしな話ではありませぬか?――どうして、わざわざ都から、はるばるあの地まで罪人を連れて行かねばならなかったのでしょう?」

 清兵の問いに、盛高は黙って頷くだけだった。

 ――まったくその通りである。何故わざわざ?

 盛高にも合点のいかない話であった。

「武者達が都から来たということも、その身振り、話しぶりから間違いは無いとのことでありました。一体何事があったのでしょうか」

 清兵のさらなる問いかけに、盛高はその重い口を開いた。

「清兵、このこと、都に戻っても口外するでないぞ!」

「はは、当然でございます。盛高様にだけは、と思いお話ししているのでございます」

 盛高の厳しい口調に、「勿論」とばかり、清兵は素直に返答した。盛高はその素直な返答に満足したが、念を押すようにさらにこう言葉を続けた。

「よいか、今の都に源氏も平氏もおらん。その都から武者姿の者が罪人を連れてわざわざやってきたと言うのは、よほど都人の目に触れてはならんという、それなりの事情があってのことであろう」

 清兵は再び大きく頷いた。――確かに。相当の事情があったに違いない。

 盛高は、事の重大さを、自分にも言い聞かせるかのように、ゆっくりとさらに言葉を続けた。

「よいな、この件は、これ以上関わらぬのが、身のためというものだ」

「はい!」

 清兵も改めて大きい声で返事した。全く同意であった。

「この話はなかったことにしろ。聞かなかったことに、よいな」

 そう言って念を押す盛高に、再度「はい!」と、返事をした清兵であったが、そう言った後には押し黙ったままでいた。

「……」

 一方の盛高も押し黙ったままでいた。

 こうして二人の沈黙が続く中、盛高の心の中では、もう気にするまい、と思う気持ちとは裏腹に、漠然とした不安がいよいよ大きくなってくるのを、彼は感じていた。

「桜の散る頃と言えば、馬渕の里は、すでに尊長様の所領地となっていたはず。そこへ都から武者が現れたのであれば_」

 盛高は防鴨河師副長官ではあるが、ほとんど名目ばかりである。副長官ではあっても、院の御所の西面の武士がすべて彼の支配化にあるわけではない。そもそも、西面の武士集団全体に指揮命令系統がはっきりしないのである。いや、というより、はっきりさせなくしている、誰かが意図的に。――おそらくすべて、尊長、長厳、秀能の思惑によるものであろうが、彼らの直属で働く武士の集団がいくつか作られているのが現状であった。

「もし、今回の武士集団が院の御所より派遣されたものであるなら?ーもし西面の武士なら、なにゆえ彼らが、自分の預かり知らぬところで、この馬渕の里に?」

 不安は募る一方であった。

 ――何かよくないことが都に……。

 と、そこまで考えると、盛高は頭をぶるぶると振るわせた。

「考えるまい!――そうだ、今は、ゆきとの幸せを考えるのみ!」

 そう、心に言い聞かせると、再び、彼は都への駒足を速めた。

 一方、後につく清兵は清兵で、俯きながら、強く自分に言い聞かせていた。彼は盛高とは、また別の不安で心を苛まれていたのである。

「やはり、盛高様には言うまい。老婆から聞いた罪人の名前だけは……」

 そう、その名前を聞いていれば、盛高は驚きのあまり、馬から転げ落ちたかもしれない。

 左様、老婆が首洗い池の辺で、清兵に語った内容は次の通りである。

「確か、立派な身なりの武者の一人が、その罪人の者、六郎と呼んでいたような……。まあ、はっきりとせんかったがのう…」

 大きい不安を抱えた、二人の今後を案じるかのように、幾羽ものカラスが二人の頭上をかすめて飛んで行った。

 はるか向こう、西の方の夕焼けが美しい。

「急ごうぞ!」

「はい!」

 二人は、行く手に待ち受ける困難さをそれぞれに予期しつつ、陰謀術数渦巻く、都へ、そう、さらにその中枢たる、院の御所へと急ぐのであった。

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