第三部第四章
「これにて、面倒な興福寺の連中も、暫くは我らに頭が上がるまい。――まあ、恩を売ってやったというところかな。そもそも坊主が政に口を挟むから、いらぬ疑いをかけられることになるのだ。奴らは、寺でお経だけ唱えていればいいのだ、のう、盛高!」
良経死去の際に実施された、居宅検分のおり、三浦秀能が盛高に漏らしたこの言葉どおり、興福寺の法然教団糾弾の動きはやや影を潜めた。
興福寺の陰謀で九条殿が暗殺されたとの噂の広がりが、止むところを知らなかったからである。
真相はともかく、興福寺としては当面怒りの矛先を収めるしかなかった。
その九条良経の死去から一月あまり、四月二十七日には元号が元久(三年)から建永(元年)に改められた。
そして五月になって……。
ここ後鳥羽院の御所では、尊長、長厳、秀能の三人が秘密裏に会談を持っていた。
「長厳様、予測していた通りの成り行きとはなりましたな」
秀能の発言に長厳は満足そうに大きく頷いた。
「うむ、これにて、暫くは興福寺はおとなしくしておろうというもの。それにしても、まこと、我らの思惑通りの動きとはなった。満足じゃ!」
長厳はそう言うと、続いて傍らの尊長に問いかけた。
「ところで、あの者の始末はついたのであろうな?」
尊長はにやりと笑うと答えた。
「抜かりはござらん」
長厳は、それを聞くと安心したのか大きく溜息をついた。
「では、真相を知る者は我らのみ、ということじゃな」
「左様に……」
秀能が割って入った。
「もはや死人に口無し、でございます」
長厳が続けた。
「わしの配下の者にも吹き矢を良くする修験者は多いが、あとあとのことを考えれば面倒……。此度はまことに身近に、かくも上手く利用できる者がいたとは、よき巡り合わせであった!」
尊長が答えた。
「まことに」
長厳は、ここで話題を変えた。
「さて、興福寺は何とかこれで抑えることが出来たとして、叡山はどうだ。叡山の動向は貴殿が詳しかろう。かっての住処なのだから」
尊長はそう言われると、頭を掻いた。
「いやはや、いくらかっての住処であるとはいえ、しかし、山を離れてかなりの年月、今の山の詳しいことは分かりかねるが……。ただ、慈円様、座主のおり、政への介入を厳しく戒められた結果、昨今の叡山の衆徒にはかって平家と対峙したような力はもはやないようには思われまするな」
長厳は再び満足げに大きく頷いた。そしてこう言い放った。
「残るは、あの狂信的念仏者共のみ、というわけか!」
厳しい表情であった。尊長も大きく頷いて同意を示した。
秀能が、ここで口を挟んだ。
「しかし九条殿という大きい後ろ盾を失った連中も、もはや恐れるには……」
と、そこまで言うと、長厳がそれを遮った。
「いや、侮るでない!連中の影響力は広まりこそすれ、衰えることはない!」
長厳の強い口調に、場は静まり返った。
秀能は強く叱責されたためか、ただ黙って俯いていた。尊長は何か言いたげな表情であったが、彼も長厳の気迫に押されて、ただ黙っているしかなかった。
長厳が、その気迫のままに、力強く言葉を続けた。
「特に厄介なのは、誰あろう、この御所内におられる伊賀局様じゃ……。それがしはそう見ている」
伊賀局、と聞いて、尊長と秀能の表情は強張った。かりそめにも、上皇に近いお方の名前である。軽々しく口にしていいものかどうか、判断に戸惑ったのである。
それでも、さもありなんと、秀能が相槌を打った。
「まことに…。お局様の動向は心配ではありますな」
伊賀局が熱心に念仏信仰に没頭していることは、院の御所ではもはや周知の事実であった。また、そのことが、微妙に上皇との関係に影響を与えていることも確かであった。
「御上は、あの通り、天衣無縫の性格。しかし悪く言えば、天真爛漫、周囲の影響を受けやすいお方でもある。最近では、局様が熱心に説く念仏信仰によく耳を傾けておられると聞く。このままでは、下手をすると、我らも御上の下から遠ざけられぬ、とも限らぬ」
長厳の発言に尊長が補足した。
「法然門下の者達は政には全く関心を持っておらん。その点は南都北嶺の輩とは違い安心できる。問題なのは、彼らが祈祷、呪法を頼りとしないことだ。ただ阿弥陀仏のみを頼りとしようとする。そんな信仰に御上が関心を持たれると、まことに事態としては厄介なこととなろう。我らの居場所が無くなってしまう」
秀能も後に続いた。
「それに、阿弥陀信仰は東国武者どもの間にすでにかなりの勢いで広まっております。御上がもし、局様の言いなりに、念仏信仰を受け入れるなどということが万一でもあれば、鎌倉幕府の調伏は沙汰止みとなりましょう。それどころか和解すらしかねない……。そうなれば、我ら西面の武士も用なし、ということになりましょうな」
長厳が語気を強めて言った。
「御上が受け入れられることはあるまい、自分には無限、無量の力があると信じておられるお方だ。そんなお方が何かに縋る信仰など受け入れまい。しかし、あれほど愛しておられた局様の信心にある程度同情の心は持たれんとも限らん。それだけでも、東国武者との関係は微妙となろう。確かに、東国武者内での念仏信仰の広がりは我らの想像を超えるものがあるからな……」
長厳はここで二−三回大きく息をついた。そしてさらに言葉を続けた。
「我らが目指す鎌倉幕府の調伏、摂関政治の排除はすべて天皇親政実現のためである。御上こそがそれを求められておられたのだ。そして、そのために、御上は我らを側近に引き立て、最勝四天王院という立派な祈祷所まで作って下さった。そして、東国武者の思い上がりももはやここまで、という所まで頑張ってきたのではないか。それを、局様といえど、我らの今までの努力を水の泡にするような振る舞いは止めていただかねばならぬ、いや阻止せねばならぬ!」
場が再び静まり返った。
――しかし、一体どうやって?
かってほどの猛烈な男女の愛情関係は薄れたとはいえ――そもそもは、それが、伊賀局が念仏信仰に走った理由でもあったが、後鳥羽院と伊賀局との関係は依然、強い絆で結ばれていた。伊賀局の一方的愛情ではあったかもしれないが、後鳥羽院もある程度はそれに応えていたのである。
――そのお局様を院からどうすれば遠ざけられるのか?
尊長が口を開いた。
「考えが無いわけでもない……」
長厳と秀能が尊長の顔に見入った。
「聞かせて欲しい」
長厳の催促に尊長は大きく頷いた。そして重々しく口を開いた。
「その考えと言うのは、ほかでもない……」
五月……。うららかな気候が取り巻く、院の御所で、ひとつ、ここの部屋だけは、陰湿な空気が支配する中、三人の男たちの謀議は夜を徹して行われるのであった……。




