第一部第八章
住蓮の記憶は十二年前に遡った……。
治承四年、その八月には源頼朝が伊豆に挙兵したこの年の春、近江路を歩く一人の青年の姿があった。名を時実と言う。齡十八---後の住蓮その人であった。
奈良を出発して三日目であった。昨日は、木津川から宇治川へと抜けると、逸る心で、一気に川に沿って瀬田の唐橋を目指した。そして昨夜は石山寺の粗末な宿坊で一夜を過ごした。
そして、今日は朝早く石山寺を後にした。寺の者に尋ねたところ、目的地馬渕の里まであとわずか。川の上流の向こうに琵琶湖が青々と広がって見える。といっても河口付近なのでまだ琵琶湖の一部しか見えていない。しかしそれでも時実にとっては大きい感動であった。
何せ、生まれも育ちも奈良であったから、彼は海も湖も見たことがなかった。見たのはせいぜい大きいため池程度のものである。
それが、今、目の前には琵琶湖の水が悠々と溢れるほどに広がって見えている。それは朝日にきらきら輝いてまことに美しく、時実はもっと高いところから見たいと思い、街道を離れて、近くの山に登ってみることにした。
そんなに険しい登山路ではなかった。
頂上にたどり着くと、琵琶湖が遠くに一望できた。
「いやー、本当にでかいな!」
時実は大きい声で叫んだ。何とも言えない開放感であった。眼前に広がる美しい琵琶湖を見ると、苦しかった興福寺での修行、そして父との確執、いやな思い出もどこかへ吹き飛んでしまった。
「俺は今から俺の人生をやり直すんだ!」
と、もう一度腹の底から大声で叫ぶと、彼は清々しい気分で山を降りた。
後は一路馬渕を目指すのみである。
馬渕では、時実の母の親類が自分を待ってくれているはずだった。---実は時実は興福寺の修行僧であったのだが、還俗して奈良の都を去ることを決意したのであった。そして彼の母が、奈良を去るにあたって次の働き口として、その親類の元を訪ねるように取り計らってくれたのだ。
「佐々木一族か」時実は呟いた。
近江の国は肥沃な土地からの農産物の収穫、また琵琶湖から取れる湖の恵みも豊かで、古くから皇室、公家、社寺が直轄領として多くの荘園を経営していた。そんな近江の国の、湖南地方に位置する馬渕にあるそんな荘園の一つの管理を任されていたのが佐々木孝信という豪族であった。
そして、時実の母方の親類がそこへ嫁いでいたのである。
「源氏の血を引いたお方と聞いている。さぞかし立派な方であろう」時実の期待は膨らむばかりである。
無論、佐々木の姓を名乗っていたとはいえ、源氏の血を本当に引いていたかは定かでは無い。近江の国では、古くからいる豪族たちも勝手に佐々木氏を名乗ったりしていたからである。時実が聞かされた話では、孝信は平治の乱の折は平氏方に与したとのこと。平治の乱では、近江の佐々木氏一族は源氏方、平氏方に分かれてしまい、敗れた源氏方の佐々木氏は東国へと落ち延びていたのであった。
時実が訪ねようとしていた孝信はそんな混乱の中で、近江での勢力を伸ばした豪族の一人であった。
しかし今、平氏方の分は悪い。
ともあれ、彼が管理する荘園では、源平争乱の混乱の中で人手が足りず、租税に関わる計算に長けた人物を探していたのであった。興福寺で修行を積んだ時実は、幸い計算にもめっぽう強く、そうであるなら、ということと、妻の遠縁に当たる者なら信用もおける、ということで、孝信も彼を採用することにしたのであった。
「本当にありがたい話ではある!」
そうして期待に胸を膨らませる時実であったが、一方で不安な気持ちがなかったわけではない。
「まあ、何とかなるだろうさ……」
不安に満ちた心で出発したこの度の旅路であったが、しかし、美しい近江の風景は、そんな時実の不安な気持ちも吹き飛ばした。そうして自信を取り戻してくると、今度は不思議なもので、「青年時代を興福寺のあの厳しい修行の中で過ごしたのだから、俺が身に着けた学問も相当なものさ」、という自負心が息を吹き返した来た。
「そう、俺は、過去との決別のためにこの地に来たのだ」
彼が奈良の地を去るに当たっては複雑な問題があった。
時実は奈良で生まれ育った。父、祖父は興福寺の堂衆であった。特に彼の父は興福寺でも名の通った荒法師で、都への訴状へ出向くことも度々、平氏の軍勢と戦ってこれを蹴散らした武勇伝を彼は小さいころからたびたび聞かされていた。
しかしそんな父は息子を、自分とは違って、学問で成功させたいと思い、幼少時から勉学に励ませた。
「わしのような荒法師になってはいかん。お前は学問で身を立てろ」
父のこのいいつけ通り、時実は学問に没頭し、出家すると仏法修行に勤しむ毎日であった。修行は厳しかったが、父の期待に応えようと時実は辛い毎日を耐えながらひたすら修行に励んだ。
しかし、当時の興福寺で高僧となるのは、実際は殆ど貴族の子息らであった。純粋に学問に励む青年にとってこの壁はいかんともしがたく、貴族の子息らがまだ若いのに次々と出世の階段を駆け上るのを見ていくうち、やがて学問への情熱は冷めていった。
「やっていられない……」
また仏法修養そのものへの疑問も大きかった。奈良の都も当時の深刻な社会状況と無縁ではなかった。人々の貧困は深刻で、町はずれのいたるところ、死人で溢れていたのが現状であった。そんな一般民衆の苦悩とは無縁に、興福寺の僧たちは京の都での権力争奪ゲームに明け暮れていた。
人は自分だけが救われればいいのだろうか……。
仏の教えは、習うに深大、行うに難しく、仏の教えに従おうと修練すればするほど、従えない罪深い自分がいる。
殺すなかれ
偽りを言うなかれ
盗むなかれ
邪淫をなすなかれ
酒を飲むなかれ
今の時代に、一般の民衆たちがこのようなことを守れるものだろうか。とすれば一体誰が救われて、往生できるのか、涅槃へと至れるのか。みな地獄へ落ちるしかないのか。
「いや、それでいいのだ」と言う修行僧仲間もいた。でも、時実には納得できなかった。貧困に呻き餓死していく人々、毎日の生活のためにやむなく、偽り、殺し、盗み、そして絶望から酒に溺れる人たちを見るにつけ、自分自身すら救えないでいるのに、この民衆たちにどうやって極楽往生の道を教え示すことができようか、と自分の無力さに腹を立て、また悲しみにくれる毎日が続いていたのであった。
「お前は理想が高すぎるのだ」
と父からは言われた。自分の苦悩を父に相談しても、息子の立身出世しか頭にない父は聞く耳を持っていなかった。
当然のごとく父子の関係は冷めていった……。そしてある日時実は決断を下した。「俺は還俗する!」と。
当然、反対する父と大喧嘩になった。父からは親子の縁を切ると告げられた。しかし時実の決意は固かった。母は息子を不憫に思い、息子の世話をしてくれそうな親族を探した。幸い近江の地で、荘園管理を任されている孝信が、学問の素養のある青年なら預かってもいいと言ってきた。
「新しい地へ行こう」もう奈良の都に未練は無かった。すぐに旅支度を整えると、近江へと旅立ったのであった。
だからもう引き返すわけにはいかないのだ……。
彼は瀬田の唐橋を渡ると東へと進んだ。大きい山が湖の向こう側の左手遠方に見えた。
「あれが比叡山だな」
あそこでも多くの僧たちが修行に明け暮れているのだろう…。いやな自分の過去が思い出された。それを振り切るよう視線を右側へ移すと、道のまっすぐ向こうには比叡山よりははるかに小さいが、まことに美しい姿をした山が見えた。
彼はたまたま通りがかった土地のものに尋ねた。
「あの山の名は何と言うのか」
「三上山と申します」
土地のものは、名前と共に、三上山にまつわる大ムカデの伝説も語ってくれた。聞けば、馬渕の里はその三上山のすぐ向こうだという。
「急ごう」
時実は歩を速めた。
「ムカデの伝説、気に入った」
延々と広がる青々とした田園、美しい小川、山……。
なんと美しい近江の地であるか!――時実はここでならやれると思った。
「いや、やらねばならない。そして父を見返してやるのだ」
自信に満ちた足取りはさらに軽やかに、高まる胸の鼓動を感じながら、こうして時実は一路馬渕の里を目指した。