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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
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第二部第二十四章

 元久元年(千二百四年)十月、ついに叡山が動いた。

 天台と法然一門、両者の間では、今までは睨み合いが続いているのみであった。---左様、建仁二年に慈円と法然の会談が決裂に終わると、法然教団弾圧を求める叡山の衆徒の動きは活発になったが、それでも、その年十二月に法然の熱烈な支持者である九条兼実の次男、良経が摂政となったこともあって、暫くは膠着状態が続いていたのであった。

 しかしその両者の睨みあいが続くこと二年、――ついに叡山の衆徒の怒りは爆発した。

 即ち、慈円の影響下、何とか座主真性に宥められていた衆徒達であったが、どこからか「選択本願念仏集」の写本を入手するに至るや、彼らは、法然教団を非難し、専修念仏の即刻停止を訴える訴状を座主、真性の下に提出したのである。

 そして、この報せは無論すぐに法然の下へももたらされた……。

 この噂は都にもすぐに広まった。

 都人たちもすぐに不穏な空気を感じとった。――無論、戦が始まるわけではない。しかし、すでに多くの民が今や熱心な法然の信者、――阿弥陀信者となっている。

 叡山に対して、民衆の怒りが爆発すればどうなるか……。

 誰もそれを予測出来ず困惑するばかりであった。

 そして、その報せは、ここ後鳥羽院の御所にももたらされた。

 その院の御所では……。

「盛高はいるか!」

「盛高をすぐここへ呼べ!」

 という、三浦秀能の甲高い叫び声が御所内に響いていた。

 暫くすると、秀能の付の者が右往左往する中「はは!」という返事と共に、盛高が姿を現した。

「盛高、参りました」

 目当ての人間が現れたことで秀能は安堵の表情を示したが、たちまち緊張した面持ちに戻ると「盛高ついて参れ」と言って席を立った。

 御所の中は広い。中には出入りが制限されているところも多いが、盛高は秀能にその武芸の能力、また真面目な人柄を買われて、目をかけられていたこともあり、比較的自由に御所内を行き来できた。

 ところが、今日は、いまだかって足を踏み入れたことの無い、奥の間に連れて行かれた。後鳥羽院の御座所にも近いところである。

「ここで暫く待つように」

 そう言い残して、秀能は奥へと向かった。

 彼は緊張した。

『なぜ、このようなところまで……』

 不審に思ってじっと座っていた。そんな彼の脳裏を、今までの思い出が走馬灯のように駆け抜けた。

 すると次に脳裏に浮かぶのは「佐々木家の再興を成し遂げるのだ!」と言う誓いの言葉である。

 目的の達成は近いと言えた。数多いる北面の武士の中でも、秀能からの信任は今や一番であった。実力もあった。院の覚えもめでたかった。

 また心を弾ませる、もう一つの出来事もあった。

 そう、それは恋人との出会い……。

 ゆきとの語り合いは彼のすさんだ心を和ました。

「この時がしばらく続いてほしい」

 そんな感傷に浸っているところへ、隣の部屋から秀能の声が聞こえてきた。

「盛高、奥の部屋へ入れ!」

「はは!」

 盛高は緊張した。院との接見の間までもう僅かである。

「一体何の目的で?」

 そう考えながら隣の部屋へ入った盛高は驚いた。

「これは尊長様に長厳様!」

 盛高はそう言うと絶句した。

 そう、部屋には秀能以外に、もう二人の人物が座していた。

 即ち、一人はかっては叡山で慈円の弟子であったが、後鳥羽院の祈祷僧として召抱えられ、その後出世して院の祈祷所である最勝四天王院の執事となった、あの僧都尊長である。---こちらは見知った顔だった。

 そしてもう一人は、後鳥羽院が度重なる熊野詣を通じて出会い、その強い呪術力から、信任を深めた熊野の修験者の長老、長厳であった。後鳥羽院は、彼を院の護持僧としてやはり四天王院に召抱えて、那智の検校という官名まで与えていた。---こちらは噂には聞いていたが滅多に姿を表さず、盛高も遠目にその風貌を見たことがある程度だった。

 まさか院の信任篤きそんな人物と同席するとは!

 二人とも今や院の側近中の側近である。また、院に召抱えられて後、親交を深めてもいる二人であった。今をときめく二人――北面の武士如き身分では、近くに寄ることすら容易に出来ない存在なのである。

 それが今目の前に坐して自分を迎え入れている。

 盛高は座して頭を下げ、深く礼をすると、慎重に言葉を選んで言った。

「まことに恐れ多きこと、私、若輩の見であるにも拘らず、かような場所へ招き入れいただきまして---」

 と、さて、言いはしたものの、盛高は、本来なら場違いとも言えるこのような所に、わざわざ招かれた理由が分からず、非常に不安な気持ちになって、言葉が詰まってしまった。

 そんな彼の不安感を取り除こうと、尊長が声をかけた。

「盛高、そちの活躍ぶり、目覚しいものであるらしいな。秀能より聞いておる。北面の武士の中ではその実力一番であると。都の名ある盗賊どもも、そちの名前を聞けば震え上がるというではないか!いやいや、慈円様のもとよりそちを引き抜いて、ここへ連れてきたこと真に正解であったな。院の目もお確かではあったが、わしの目もなかなかのものであったということ。ははは」

 ひどく上機嫌な尊長であった。

「はは。ありがたきお言葉」

 盛高はただ頭を下げるしかなかった。

 同席していた秀能が本題を切り出した。

「盛高。我ら、そちの目覚しい働きぶりにはまことに感服しておる。そこで、そちを見込んで一つ頼みがある」

「頼み?---でございますか」

 盛高は何とも不審な気持ちになった。秀能は自分の上役、しかも検非違使にも匹敵する防鴨河使長官である。院の直属の一番の武士でもある。彼が『命令』というならわかるが、『頼み』とは何か。---彼はただならぬものを秀能の言葉に感じた。

「左様、頼みじゃ」

 尊長が例のぎょろ目で盛高を睨んだかと思うと、秀能に代わって言葉を続けた。

「そちは知っておろう。このたび、叡山の衆徒共が座主真性に専修念仏停止を訴えたこと」

「はい……」

 都の中は、実際この噂で持ちきりだった。特に普段よく巡検をしている鴨の河原は念仏信者が多く、彼らが噂として語っていることを盛高はよく承知していた。

 実際、経験から、盛高は叡山の衆徒がいかに過激か、自らの体験を通してよく理解していたので、彼らが念仏停止を座主に訴えただけで、その怒りが収まることはあるまいとは感じていた。

「後鳥羽院におかれては、此度のことひどく心を痛められておる。何か騒動にもならんとは限らんゆえな」

「は……」

 確かに尊長の言うとおりである。

 長厳がそこへ割って入った。

「どのような事態になるか……。考えてもみよ、叡山の衆徒と、法然を支持する民衆が戦えば、都は源平争乱のおりと代わらぬ修羅場と化そう」

「は、まことに」

 盛高は、鴨の河原に限らず、都の他の場所の巡検をする中でも、法然を支持する熱烈な阿弥陀信者がいかに多いか、それを自らの肌で感じ取っていた。

 叡山から神輿をかついで過激な衆徒が都へ降りてくれば、一部過激な念仏信者たちと衝突するのは目に見えていたし、かといって、叡山の言うがままに念仏停止の宣旨など出そうものなら、無数の民を敵に回すことになる。

 民を敵に回して、果たして武士は戦えるのか?

 盛高も、盗賊を相手に切りつけることは出来ても、一般の民を切りつけることなど想像だに出来なかった。

「果たしてどんな事態になるのか……」

 内心、漠然とした不安は持ち続けていたのは事実であった。

 長厳が言葉を続けた。

「院におかれては、このような騒動が持ち上がること、これまつりごとの不在のためとお考えである」

 彼はそこまで言うと少し躊躇したが、続けてずばりとこう言い放った。

「政の不在、――特に摂政良経の無策のゆえとな!」

 摂政良経の無策――この言葉を聞いて、盛高はひどく不安な気持ちになった。

 朝廷の批判を公然と叫ぶ場の中に自分は座らされている。

「自分がここへ呼ばれた理由は一体何であろう?」

 源平の争乱を生き延びた彼であったからこそだろうか、彼は、昨日まで味方であった者が今日には敵に、あるいはその逆もだが、なってしまっているという、そんな権謀術数をいつも間近に見て、経験してきた。

 朝廷と院の御所の関係も然りである。天皇と上皇、それがたとえ親子でも、ある日突然敵にもなる時代であった。

 あらぬ考えが彼の脳裏を過った。

「彼らは摂政殿を力ずくで取り除こうとしているのかも…」

 盛高はひどく不安になった。

 盛高のそんな心のうちを見抜いたのか、尊長はただでさえ大きい目をさらにぎょろつかせた。そして長厳から言葉を継いでこう言った。

「盛高、政の不在が明白な今、都で思わぬ大事が起こらんとも限らん。このような折に、そちのような百戦錬磨の根っからの武者は真に必要な存在である……」

 盛高は黙って聞いていたが、彼らの本音は、自分を彼らの謀略に巻き込んで行こう、と言うことなのかもしれない、と思うと、心がより一層騒いだ。

「しかし、よしんばそうとして、武者たる自分は、その流れに抗えるはずもない!」

 彼は身の引き締まる思いで、次には心は奮い立った。

 尊長は黙って聞いている盛高を前に、徐に居住まいを正した。そしてこう言い放った。

「ついては、今後、防鴨河司副長官として、秀能の補佐をいたせ。これはありがたきも後鳥羽院からの勅命である」

「副長官!」

 盛高は驚いた。――自分のような者を副長官に!---大出世である。

 ---しかも院の直々の御命令であると!

「はは!ありがたきお言葉です!」

 と言うと、盛高は再び頭を深く下げ、そのままの姿勢でいた。

 長厳が満足そうに言った。

「よいよい、もう頭を上げよ」

 無論、盛高は頭を下げたままでいた。院の勅命をいただいたのである。簡単には頭はあげられない。

 尊長は、そんな律儀な盛高の態度に満足感を示すように頷いた。そしてこう告げた。

「よいな、御上と院のためじゃ。無能な摂政が我侭に振舞っておる今、このままではこの国は立ち行かん。此度の叡山と法然一門の争いにしても、見てみぬふりか、それともそもそも見ておらんのか、まるで他人事じゃ。こんなことでは都に大騒動が起こらんとも限らん。院はそのことでひどく心を痛められておる」

 強力な院政を希求している後鳥羽院にとって、何とか朝廷の力を誇示せんと振る舞う、摂政九条良経はまったく目の上のたんこぶであり、院の頭痛の種であることは、この院の御所内では、既にもっぱらの噂であった。

 ---こと、ここに至っては、自分は武士として命令されたことを実行するしかない!

 腹は固まっていた。

「まことに仰せの通りです!」

 盛高は頭を下げたまま、そう彼らに伝えた。

「頼むぞ!」

 それまで黙っていた秀能も、そう言ってほっと溜息をついた。

 彼は尊長、長厳の百戦錬磨の策士ぶりに比べれば、まだほんの青二才にしか過ぎないが、しかし武士集団の長であると言う点においては強い自負を持っていた。そこに盛高が副長官として自分の傍らで、武術を含め、様々なことの補助をしてくれればまことに有難い話と言えた。

「よろしい。よろしい。我らこれで良き同士となれよう。今後はいろいろと話し合いに参加してもらうこととなろう!」

 尊重が機嫌良く、笑みを浮かばながらそう言った。

「はは!」

 盛高は、元気よく返事をすると、さらに深く頭を下げた。---従順の意を表すためである。

 他の三人も満足げに頷いた。

「ではこれにて!」

 という尊長の掛け声で、尊長、長厳の二人は席を立った。

 あとには秀能と盛高が残された。尊長、長厳の前では小さくなっていた秀能だったが、二人がいなくなると、咳払いをするや、あくまでも長官は自分であるぞ!と知らせんがためか、これ見よがしの大きい声で、こう言い放った。

「ところで、盛高。今後都の世情も緊迫しようというもの。治安も悪化しておる。そこで今後、院の周辺の護衛を強化したい。で相談だが……」

 と、そこまで言うと、秀能は少し言葉を中断した。そして深呼吸をすると、再びおもむろに語りだした。

「盛高。そちの従者を務めておる六郎がおろう。今後はあの者、後鳥羽院の直近の護衛として院のお傍に置いておきたい。常時な。そちは不便を感じるやもしれんが、これは院のたってのご希望じゃ」

「六郎を……」

 六郎とは長い付き合いだ。しかし、従者としての才能なら認めるが、護衛とは?

 盛高は不審な面持ちであったが、秀能は構わず言葉を続けた。

「先日、院の熊野詣の折に、そちと六郎がお供をしたであろう」

「はい……」

「六郎が、その折、見事な吹き矢の技を見せられたのを、院がひどく感心されたのじゃ」

「なるほど……」

 確かに六郎は吹き矢の名手である。――しかし、武術は人並みである。護衛として役に立つのであろうか?

「ともかくも、院の仰せであれば、それがし、反対など出来ようはずがありませぬ。どうぞ、院のお側で、お役立てていただければ、六郎もむしろ喜ぶでしょう」

 と、言うと盛高は頭を下げた。

 秀能は満足そうに頷いた。

「では、これまで!六郎のことは、追って沙汰する」

 そう言って、秀能も席を立った。

 あとには盛高だけが残された。

 ――びっしょり汗をかいていた。

 一人部屋に残されて、じっと座りながら、盛高は歴史の大きい渦に巻き込まれていく自分を感じていた。

 自分の知らないところで、どんどんと自分の運命が決められていく……。

 非常に不安であった。――不安ではあったが、もはや自分の力の及ばないところに自分はいるのは確かで、またどうにもならないことであった。

「武士として流れに身を任せるしかない。たとえ激流が待っているとしても……」

 盛高は漠然とした不安感に取り付かれながら、自分の部屋へと戻って行った。

 突如、一陣の強い風が御所の中を吹き抜けた。

「野分か?」

 すると続いて、ばきっという音と共に木の枝が、廊下を歩く盛高の目の前で、中庭の地面に落下した。

 その木の枝が一瞬盛高の目に、自分の頭のように見えた。

「何とも不吉な!」

 時代の先行きの不透明さを案じながら、盛高は自分の運命の数奇さにも、また、思いをめぐらせつつ、不安な心でその日を過ごした。


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