第二部第十七章
天台と法然一門の対立がこのようにして一気に先鋭化しつつあったその頃……。
京の都の治安は未だ最悪の状態を抜け切れないでいた。都に設置された右獄、左獄は罪人で満ち溢れていた。
京の都に牢獄が設置されたのはいつごろのことか定かではない。御所を中心に京の右京、左京にそれぞれ、右獄、左獄が設けられた、と歴史書にあるのみだ。
そして、死罪を申し渡された者は、いったん左獄に移されたあと、さらに、鴨の河原に近い、東の京極(今の新京極近辺)にある六角獄舎に移され、そこで、鴨の河原で首を切られる日を待ちつづけていたということである。
そんな罪人達を哀れに思ってのことであろうか……。
平安末期になると、いつ頃からか、この六角獄舎へ念仏聖たちが出入りするようになり、首を切られる運命の罪人たちのために、念仏を唱えていた、と伝えられている。
建仁元年(千二百一年)五月のある日……。
丁度、法然と慈円の会談が秘密裏に行われようとしていたその日のことであった……。
ーーそんな念仏聖の中に、あの応水の姿があった。
彼は、住蓮と時子の再会を見届けると、いつしか彼らの前から姿を消した。中断していた諸国行脚を完遂しようと、また都を離れ旅に出たのである。そしてようやくそれを成し遂げると、再び都に帰ってきて、六角堂の近くに一人、草庵を結んだのであった。
六角堂……聖徳太子が創建したと伝えられるこの寺へは、太子信仰に篤い大勢の老若男女が、貴賎の別無く、連日参詣に訪れていた。寺の周辺はそんな参詣客で大変な賑わいであった。
応水はそんな賑わいの中で、連日多くの民衆、参詣客を相手に説法活動をしていたというわけである。
そのすぐ目と鼻の先に六角獄舎があった。
獄舎に収監された死刑囚のもとを、幾人かの念仏聖が訪れているという噂は、すぐに応水の耳にも入ってきた。
――このことは彼の心を強く捉えた。
そこで彼は、獄舎の監督官に近づいた。やがて、彼の好意を得ると、特別に獄舎の中へも出入りを許されるようになった。
このようにして、死罪が申し渡された罪人には念仏を勧め、彼らが罪を悔い改めれば、共に、彼らの極楽往生を願って念仏を唱えることも、日々の説法と共に彼の重要な日課となっていた。
さて、ある日のこと、そんな応水の耳にある噂が飛び込んできた。
一人の若い僧が六角堂に篭って、もう二箇月になるというのである。
それも、色恋ごとで悩んでいるとか……。
「さて、さて、どんな若者であろうか」
応水は強い関心を持った。たとえ、色香に迷った結果としても、あのお堂に二箇月近くも篭るとは、並みの悩み方ではない。
当時、僧が恋愛をすること、さらには妻帯することは決して珍しいことでは無かった。ただ、それを表沙汰にすることはなかった。
−−隠しておきさえすればよい。何も悩むことではあるまい。
それが当時の一般的な考え方であった。
「よほど、真剣に悩んでいるようだ……。さて、一度、どんな若者か会って話をしたいものじゃ」
応水は、近江、馬渕の里での住蓮との出会いを思い出した。若者が真剣に悩む姿は美しい。−−いつも応水はそう思う。
彼は機会をうかがうことにした。
そんなある日……。
六角堂の近くでいつものように説法をしていた時のことである。
六角堂の方向から人のどよめきが聞こえた。かなりの騒々しさである。説法を聞いている人々も、何事かと六角堂へ走り出した。
「何事であろう」
説法の中止を余儀なくされて、応水も已む無く、走る人々に倣って六角堂へと向かった。
「例の坊主がお堂の中で倒れたらしい!」
誰かが叫んだ。野次馬が集まり、すでに周囲は大混乱となっていた。
「死んだのか?」
「いや、死んではいないらしいが……」
「例の坊主であろう!人騒がせな!あまりに思いつめて、飲まず食わずの状態だったらしい」
「それほどに恋焦がれている娘御がいるのであれば、寺の裏で囲っておけばよかろうものを」
「まこと、都にはそんな坊主は数え切れぬほどいるではないか」
「ところが、隠すぐらいなら死んでしまったほうがましだ、と悩んでいたらしい」
「馬鹿な。そんなことを公言して、叡山で生きていけるはずがない」
「それなら、還俗すればよかろうものを」
「ところが還俗もいやだと駄々をこねるらしい」
「何とまあ、我侭な坊主じゃ」
「まあまあ、そんなに責めては可愛そうじゃ。ここまで思いつめておるものを」
「まこと、まこと。−−それで太子様に答えを求めんと、ここに篭っておったのじゃろう」
「あの太子様も色事でかってはお悩みになったということか?」
都人の喧しいこんなやり取りを尻目に、応水は人の波を掻き分けると、六角堂の正面にたどり着いた。
群集の頭越しではあるが、堂の正面から、今まさに、その僧が運び出されようとしているのが見えた。遠目ではあるが、顔面蒼白で、息も絶え絶えという感じである。
「薬師を呼べ!」
「そんな者がここにおろうか!」
人々が叫びあっている。
応水は、前に一歩出て、大きい声でこう叫んだ。
「私が見てみよう!薬師としての心得は多少ある」
彼は、近江の里、長命寺の坂下者の集落にあって、実際、よき薬師として、多くの病人に治療を施していた。
この申し出に応じて、人々が彼を通すために道を開けた。彼は人を掻き分け、さらに前に進み出た。ようやく堂の前の広場に出ると、そこには目の前に、今、中から運び出されたばかりの件の僧が横たえられていた。
−−なんという若さであるか!
これが応水の、まずは率直な感想であった。やつれてはいるが、凛々しい顔立ちであった。しかし、眼を閉じたその表情は苦悶に満ちて、この青年の苦悩の深さを物語っていた。
――おそらくは、例によって、どこかの由緒正しき公家の子弟というところか?
応水は青年僧の脈を取った。次に唇に触れると、口を両手で開けて口の中を覗き込んだ。
「ふーむ」
と言うと、続いて、彼は青年の腹部を抑えた。最後に、指先で起用に閉じられた眼を開けると、その青年の顔を平手で軽く叩いた。
「おい、お主!わしの言うことが聞こえるか!」
こう、問い掛けると、青年は弱弱しく頷いた。
応水は、ここに至って大きい声で周囲の者に命じた。
「すぐに水を持って来られよ!それと、少量の塩が必要じゃ!すぐに準備いたせ!急がぬと、この者の命危うい!」
応水の言葉に呼応して、周囲の動きは速かった。必要なものはすぐに応水の手元に届いた。応水は塩を少しつまんで水に溶かすと、その水を青年の口に注いだ。
「しっかりせえ!」
応水は青年僧に呼びかけた。水を少しずつ口に含ませていくと、青年僧は意識を取り戻して来た。
「ううーーん」
呻き声をあげると、青年は目をかすかではあるが開けた。
「よしよし!しっかりするんじゃ!」
応水はそう言うと、その青年僧の上体を少し起こした。
青年僧は意識を取り戻すと、自らの手で、口元に差し出された杯を掴むと、一気に杯の中の水を飲み干そうとした。
「いかん!一気に飲んでは!」
応水はそれを嗜めた。
「ゆっくり、少しずつ飲むのじゃ。失われた体の水分を補えさえすれば、すぐに良くなろう。しかし、急いではいかん。急げば、かえって悪くなる」
応水の説明を聞いて、青年僧は安心したのか、再び眼を閉じた。
青年僧が命を取り留めたことが分かると、群集は口々に
「まあ、何と人騒がせなことよ」
「まったく、まったく」
「おいこら!若造!人騒がせはやめて山に帰れよ!」
と呟きながら、三々五々解散し始めた。
気が付くと、応水とその青年僧、及び、六角堂の堂主らしき年配の僧だけが、境内に取り残されていた。この頃にはもう青年僧はかなり元気を取り戻していた。
もう話をしても良かろう、と判断したのであろうーー館主とおぼしきその僧が青年僧に呼びかけた。
「範宴殿」
範宴ーー治承五年(千百九十一年)、その若者が九歳の時に、青蓮院において、あの慈円から得度を受け、頂いた名前である。
――そして、この出来事のあと、彼は程なく名前を変える。
その名も綽空……。
左様、この青年僧こそが後に、法然の弟子として、あらゆる迫害に耐えながらも、法然の専修念仏の思想を守り抜いたあの親鸞上人その人であった。