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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
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第一部第六章

 こうして住蓮と信空が話し合いを持とうとしていた丁度そのころ……。

 彼らがいる吉水の里からは歩いて十五分程の距離のところ、祇園舎の整然とした敷地内の北側に隣接はしてはいるものの、雑木林により周囲から隔離された一画にある里では、時子が里の人々の雑用に追われていた。

 そこには古びた小屋がいくつも立ち並び、また鍛冶場を始め、皮革の加工など雑多な作業場がいくつか散在していた。 

 こここそが犬神人の住む集落であった。

 時子はそこに暮らしていた。

 白癩(ハンセン病)に侵された人々ばかりのこの里で、彼女は絶望感と戦う毎日を過ごしていたのである……。

 ただでさえ、毎日が打ちひしがれた思いで過ごす生活であるのに……。

「ああ、兄上!」

 思いがけない兄との遭遇が先日あった。

 しかし、声もかけれない、この身の上……。絶望感はますます募り、時子の悲しみに苛まれた心を押しつぶすばかりであった。

「人違いかもしれない…」

 そうは思っても、「佐々木盛高」とこの耳ではっきり聞いた事実は曲げられない。遠目に見たあの横顔も懐かしい兄の顔に間違いはなかった。

「この病さえなければ!」

 闊達にふるまおうとはしても、心の憂いはやはり隠せない。この里の首領を務めていた源太は、そんな彼女の心の憂いを見抜いていた。ーーー源太は、齢五十歳になろうか、祇園舎ではもう二十年以上働いている。性格は豪放快活、責任感が強く、誰からも信頼が厚く、ここの集落内では首領として、新人の世話役、また全体のまとめ役を果たしていた。そして時子のことを、娘のような存在と考えて、特に可愛がっていた。

 その時子が先日来ひどく元気がないことに彼は心を痛めていた。ーーー白癩病みは自らの病に絶望し、自ら命を絶つことが多い。

「果たして馬鹿なことを考えてはおるまいか」

 そんなことを考えていると、時子の姿が目に入った。彼は早速彼女に近づくと、こう尋ねた。

「おときさん、どうかね?まだ体の具合が悪いのか?」

 突然声をかけられて、時子は一瞬戸惑ったが、源太を心配させまいとしてこう返答した。

「源太さん、大丈夫よ。ーーーいつまでも寝てるわけにもいかないでしょ」 

「そうか」

 源太はそう言うと、時子に傍らに座るように促した。

「ここは少し話を聞かねばなるまい」

 そう感じたからである。

 時子は源太から言われるままに傍らに腰を下ろした。源太の心遣いに、時子の顔を覆う覆面の下では、涙が溢れて止まらないでいた。

 源太は単刀直入に尋ねた。

「おときさん、どうした。まだ体の具合が悪いのかね。それとも何かあったか?仲間内の誰かがあんたに酷いことでもしおったのか?そうならそいつをこっぴどく叱ってやらねばならん!」

「大丈夫よ、源太さん。少し、――私、疲れただけで、――心配かけてごめんなさい」

「おときさん」

 というと源太は、そこで一度大きく息をついた。「ここで引き下がってはいかん」あらためて自分を奮い立たせると、源太は続けた。

「おときさん、わしを騙そうとしてもだめだ。あんたの具合の悪いのは、ただ疲れているから、なんてこととは違う…。何か悩んでおるな、わしには分かる。何があったのじゃ?先日の都大路の清掃のお勤め以来じゃ。何かあったに相違なかろう?わしには話してくれんか。もう一度聞く。誰ぞがいじめでもしたか?どうじゃ」

 こう源太が言い終わるや否や時子はわっと泣き崩れた。彼のやさしい語りかけに今までの悲しい思いが一度に吹き出たのである。

 源太は時子の肩にそっと手を置いた。

「どうしたんじゃ。何か相当つらいことがあったんじゃな。わしに話してみい。この通り見てくれはひどいもんじゃが頭はまだまだしっかりしておる。何か役に立てるならと思うてのおせっかいじゃ。どうじゃ」

 しばらく泣き声が続いた。泣きながら、時子の頭の中では、この数年の出来事が走馬灯のように駆け巡っていた。簡単にこうですと伝えられるような話ではない。また理解もしてもらえるものかどうか……。

 鳴き声が止んだ。時子は涙をぬぐった。しかし涙は次から次へとあふれ出てくる。ーーー無理もない!この数年の思い、ここへ来るまでの悲しい出来事…。兄との別れ、父母の死、そして何よりこの身の穢れ。そしてこともあろうか、このたびの兄との予期せぬ再会。しかし本来再会の喜びを分かつはずの、その兄にすら、妹ですと名乗ることの出来ない今の穢れた自分……。

 ここに至って時子は源太にすべてを話そうと決心した。今まで自分の詳しい過去は誰にも言わなかった。それは、言っても何の解決になるわけでもないし、かえって辛さが増すと思っていたからである。それにこの里では自分の生い立ちは語らない、というのが不文律として存在していた。皆、それなりに仲良く明るく暮らしているように一見見えるが、それぞれの思いは深く悲しく、それを表に出せば、かえってお互いが傷ついてしまうことを皆よく理解していたのである。

「源太さん。聞いてくれる?」

 時子は源太の顔を見据えて言った。源太はにこりと微笑むと頷いた。

「うん、何でも話してみい」

 源太に促され、時子は語りだそうとしたが、さて、いざ話そうとすると頭が混乱して言葉に詰まってしまった。

「でも、何から話していいものか……」

 源太はやさしく時子に言った。

「まあ、焦らずとも良い。時間はいくらでもある」

 そう優しく促されて、時子は頭の中が幾分か整理できたのであろう。彼女はゆっくりと語りだした。

「あれは確か……」

 こうして時子の悲しい物語は、ここ祇園舎の犬神人の里においても語られ始めた。

 時子自身の口から……。

 そう、今まで秘めていた思いをすべて吐き出さんがために…。

 吉水の里で住蓮の口から、今から語られるであろう物語と調和しながら……。

 悲しくも交差しつつ綴られていくのだ……。

 耳あるものは聞くが良い……。

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