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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
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第二部第三章

 こうして、尊長の思わぬ訪問を受けたその次の日、慈円は晴れない心のままではあったが、早速、盛高を呼ぶように弟子に命じた。

 上皇様の願い、と言ってもほぼ命令である。――早速盛高に申し付けねばならなかった。

 無論、無条件に差し出すつもりは無かった。盛高は自分への忠誠心が高い。彼には、御所の内部の様子を、出来れば自分に適宜報告するよう、釘をさすつもりであった。

 尊長を送り込んだつもりが、相手方に組み入れられてしまったことの反省からである。

 慈円は、実は尊長の件以前にも同様の失敗をしていた。

 律師隆寛の一件である。

 左様、あの瀕死の住蓮が安楽らによって、吉水へ移送されている折、遭遇した盛高が、丁度、長楽寺までの護送を終えたところであったという、あの人物である。

 天台座主に就任したころ、法然の専修念仏の広がりに危機感を覚えた彼は、法然の教えに理解を示す隆寛に関心を示したたことは、既に触れた通りである。

 慈円の策士ぶりはそこで早速発揮された。

 慈円は、彼をわざと、吉水の近くの長楽寺に出向かせることにした。天台系の寺である。そこでの修行僧たちへの修養指導のため、として定期的に赴かせるようにしたのであった。

 こうして法然一門の活躍の場の身近に、自らの弟子を派遣することで、法然一門の情報を収集しようとしたのであった。

 ところがこれが失敗に終わってしまったのだ。

 確かに情報収集は当初は順調であったが、こともあろうに、数ヵ月後、隆寛は法然の弟子となってしまったのである。あくまでも天台に籍を置いたままではあったが、彼は熱心な専修念仏の信奉者となってしまったのである。

「あの失敗を繰り返してはならない……」

 部屋から、東の方角を見やると、遠くに都が一望できる。さらにその向こうには比叡山も……。

 そうして暫く、比叡山の雄姿、その堂々たるのを見ていると、慈円は少し心に晴れ間がさして来るのを感じた。ー天台、叡山は彼の力の源であった。

「何としても、あそこへ戻らねば!」

 慈円はそう決意を新たにすると、体にエネルギーが沸き起こるのを感じた。

「天台こそが、この国の未来を救えるのだ。そして……」

 慈円は、いつも自分にこう言い聞かせるのである。

「天台を立て直せるのは自分しかいないのだから!」

 と…。

こうして盛高の来室を待ちながら、彼が未来への展望を心の中で膨らませていると、部屋の外で声がした。

「盛高様、おいでです」

 そう、盛高の来室を告げる弟子の声に、慈円ははっと我に返った。

「中へ……」

 慈円は盛高を招き入れた。

盛高が姿を見せた。

威風堂々、静かな振る舞いの中にも強い気迫を感じさせる、その姿は以前と変わらない。彼は慈円に合い向かって座ると、慈円に深々と一礼した。

慈円は、早速用件を伝えた。

「盛高、実はである……」

 慈円は淡々と、昨日の尊長の話を伝えた。

 百戦錬磨、さすがの盛高も、後鳥羽院に仕えるようにと、慈円から言われた瞬間は、その話がにわかには信じられないようであった。

武士としては院に仕える以上の誉はない。

「北面の武士でございますか!」

 思わず慈円に問い返した。

「左様じゃ」

 慈円は昂ぶる盛高を宥めるように、落ち着いた口調で返答した。

盛高は、それでも、俄かには信じがたい、といった表情で重ねて問い返した。

「しかし、北面の武士に、私のような田舎武者が……」

 源氏の血を引くと言っても、所詮は田舎武者。ーそれが院の警護役というのは、確かに大抜擢で、俄かに信じられないのも無理はなかったろう。

盛高は、しかし慈円から言葉を遮られた。

「盛高!そこじゃ。大切なのは……」

 慈円には珍しい厳しい口調であった。

「はっ?」

 盛高は何のことか合点が行かず不審な面持ちでいた。

 慈円が、厳しい口調のまま続けた。

「田舎武者と卑下するでない!ー近江、佐々木源氏と言えば立派な源氏の嫡流ではないか!」

言われて、盛高ははっとした。言われればその通りだ。

「はい、まことに……」

と、彼が頷いてそう言うと、慈円も満足そうに大きく頷くと、こう畳み掛けた。

「では、そのこと、なぜもっと誇りに思わぬか!」

「誇りに……」

 盛高はただ圧倒されていた。

「そうじゃ!」

 と、そこまで言うと、慈円は一息ついた。そして、今度は一転、優しい口調で語り続けた。

「盛高」

「はい」

 盛高は黙って聞いていた。

「おぬしが、両親の仇を探して居ることは前から承知しておる」

 思わぬ慈円の言葉であった。

 ずばり単刀直入に、こう言われて、盛高は、どう返答してよいものか分からず、やむなく沈黙を守っていた。

 慈円は言葉を続けた。

「でも、まだ見つからぬらしいな。−−いや噂で聞いたところでは、もう死んでしまったとか……」

 盛高の目にうっすらと涙が浮かび始めた。当然、無念の涙である。

「まことに仰せのとおりで……」

 と、ようやく返答すると、盛高は言葉を詰まらせた。胸に悔しさと悲しさが込み上げたのだ。

 時実、住蓮を捜し求めて数年……。時間があれば都で情報収集に駆け巡った。

 漠然とした噂が多い中、近江から来た流れ者が、鴨川の河原で酒びたりになっている、そいつは元は坊主だったらしい、という噂を聞いたときは、鴨の河原まで飛んでいった。

 鴨の河原に、しかし、時実の姿は探せど探せど見つけられなかった。

 そこで多くの河原者から聞いた話では、その男はある日、突然姿を消したということだった。死んでしまったのかどうか、誰もその後を知らないという。

 聞き込みを重ねるにつれ、この話はかなり確かであるらしいことが分かった。男が近江の国、馬渕の里の出身であることを誰かに告げていたからである。また笛の吹き手としてもなかなかのものだったという。

「まず時実に違いあるまい!」

 盛高は、その男がもう死んでしまったかもしれない、ということを聞くと、自らの手で切り捨てることが果たせなかった悔恨で胸が塞がれる思いであったが、同時に「もしそうなら、当然の報い!」と思い直したりもするのであった。

 しかし、未だ確実な消息は不明ですがなままである…。

「やつの生死がはっきり分からぬ限り、わしの心は晴れることは無い」

 と、その後も機会があれば都へ足を運んでいたのであった。

 慈円が天台座主を辞して、この西山に居を構えた後も、同様であった。

 都へ出かける用事があれば、時間を割いて、必ず彼の消息を尋ね歩いた。

 容易には見つからぬ仇の姿に、苛立つ毎日が続く……。

 そんな盛高の心中を察したのか、慈円は今度は優しく言葉を続けた。

「しかし、考えてもみよ。仇を探すのも大事ではあるが、おぬしにはもう一つ大事なことがあるはずじゃ」

「大事なこと?」

 いきなりそう言われてしまうと、何のことかすぐには見当がつかず、返答に困って、盛高は黙ったままでいたが、すると、慈円がきっぱりとした口調で畳み掛けた。

「わからぬか、それは近江佐々木家の再興ではないか!」

 近江源氏、佐々木家の再興!

 慈円に言われて、盛高は目から鱗が落ちたような気がした。確かに、佐々木家を継ぐ自分は、不名誉な両親の死という不幸を乗り越え、さらには佐々木家の名誉を挽回しなければならない使命を背負っているのも事実であった。

「確かに……」

 動揺している盛高に、さらに慈円が畳み掛けた。

「いつまでも見つからぬ、いやあるいは既に死んでいるやも知れぬ仇を求めることに、己が半生を費やすつもりか!」

 全くの正論である…。

 もはや、盛高に返す言葉は無かった。

 慈円はそんな盛高の反応を見て、最後にこう締めくくった。

「近江佐々木家の再興のためには、この後鳥羽院様よりの話、まことそちに好都合な話ではないか」

 まことに的をついた話ではあった。

 慈円にここまで勧められるまでもなく、そもそも後鳥羽院よりの命とあれば、断れる状況でもなかった。

 院所でのお勤めとなると、仇探しももはや容易には叶うまい……。

「もう潮時なのかも……」

 そう考えると、なぜか心は、むしろ少し晴れてきたように感じた。不思議であった…。

 もはや迷いは無かった。

「では、ありがたく……」

 と、彼は応諾した。

「よろしい、よろしい……」

 と、大きく笑顔で頷く慈円であったが、次には、やや前かがみになると、声を少し潜め、盛高にこう告げるのを忘れなかった。

「上皇様に召抱えられた後も、ときどきは、私のもと訪ねて、何かと、都の話でもしてほしい!」

 盛高の忠誠心に訴える戦略であった。

「御所の中の真の様子、これで、ある程度窺えよう」

 慈円の策略家の本領発揮と言えた。盛高は簡単に了解した。

「無論です。慈円様への御恩、決して忘れられるものではございません。まことにありがとうございます。この恩忘れませぬ!」

 盛高の元気な返事に、慈円は機嫌をよくした。彼は姿勢を元に戻すと、最後にこう締めくくった。

「では、盛高、頼んだぞ」

「はは!」

 そう返事をすると盛高は部屋を後にした。

 慈円は一人しばらく部屋に座して瞑想していたが、やおら立ち上がると廊下に出た。そして東のほうを見やった。彼の視線の先には東山連峰が広がっていた。

「吉水か…」

 彼は思わず呟いた。

 左様、この西山の対極のその東山の吉水に、今、法然一門が一大拠点を作っている。そして今やその勢いは天台にとってもはや無視できる存在ではなくなっていた。

 しかも最近気になる噂を聞いていた。

 法然がすでに「選択本願念仏集」なるものを弟子に口述させて、一部の者達に配布していると言う。

 そして、その本の中では、彼は念仏以外の行はすべて仏の教えにおいて重要なものではないと、言い切っているというのである。

 慈円は何とかその本を手にしようと努力したが、未だに手に入らない。---そのため、いらいらは日毎募っていた。

 すると、そんな慈円の心に、ふっと一つの考えが浮かんだ。

「そうだ。明日は叡山の真性のもとを、久々に訪れてみるとしよう」

 法然一門の最近の動き、急ぎ知っておかねば、との思いが急速に膨らんだのである。

 彼は傍らに座している弟子の一人に命じた。

「明日、叡山まで参ろう。---準備をいたせ!」

 弟子は「承知しました!」と言って、その場を離れた。

「まだまだ頑張らねば!」

 慈円は、そう固く、心に言い聞かせると、後鳥羽院、法然一門、と、勢力を拡大する彼らの統制役が努まるのは、自分しかいない、という大いなる自負心を新たにするのであった。


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