第二部第一章
建久十一年(正治二年)(千二百年)、慈円が、叡山で巻き起こった権力闘争に敗れ、結果、天台座主の地位を追われてはや四年の月日が過ぎた。
その慈円は、京の都のはるか西方、ここ西山の小さな庵で、今日も東の方を眺めている。
「うーむ……」
はるか東の方角に比叡山が見える。慈円は座主辞任後、西山の寂れた天台系の一寺院に拠点を移して、日々再興のための計略をめぐらす毎日を過ごしていたのであった。
「それにしても情けないことよ!」
天台座主就任前の時代を過ごした青蓮院が懐かしかった。そこ青蓮院は由緒ある門蹟寺院でもあり、都にも近く、多くの貴人達が挨拶に来たものだった。当時は、座主就任を確実視され、上げ潮の時でもあり、すべては順風満帆であった。
しかし、あの頃と比べて、今の……。
「何と、この惨めな有り様であるか!」
都から離れた、この西山の寂しい庵には、訪ねて来る人とて殆ど無い。今年の冬も寒さは厳しそうであった。
そんな鬱屈とした毎日を過ごす彼のもとに、ある日都より一人の人物が訪れた。
こざっぱりした僧衣を纏っている。しっかりした足取りで石段を上り詰めると、彼は庵の門を叩いた。
慈円の弟子の一人が早速応対に現れた。
僧衣姿のその人物は、応対に出た慈円の弟子に来訪の用件を伝えた。
「尊長でござる。慈円様にお目通り願いたく、参上いたした次第……」
弟子は、早速この来客の知らせを、慈円の下へ届けに来た。
「何、尊長が、か……」
尊長、と聞いて慈円はひどく複雑な思いになった。
それには事情があった……。
尊長と名乗る人物……。今や都でその名を知らぬものはない。――彼は朝廷を実質支配していた、今をときめく後鳥羽上皇に仕える祈祷僧の一人として、権勢を都に振るっていた。
とはいうものの、実はかっては慈円の弟子であった僧である。
いや、正確に言うと、今でも、彼は身分上は慈円の弟子と言えた。上皇に仕えるとは言っても、地位は少僧都に過ぎない。天台に僧籍がある以上、慈円から見れば、はるか下の階位に属する僧でしかなかった。
ところが、ある歌合せの会の時であった。後鳥羽上皇が身近に祈祷僧を置くに当たって、慈円にも、誰か適当なものを推挙して欲しいと言って来たのである。
慈円の頭にはすぐに尊長の名が浮かんだ。まだ若いが、叡山の中でも、特に加持祈祷に優れた才能を持ち、慈円が仏法による国家護持に力を入れていたこともあって、慈円が座主の時代、常日ごろから目をかけていたのである。
彼の父は一条能保、母は源頼朝の妹である。血筋も問題なかった。
そこで慈円は、上皇の機嫌をとるためにと考えて、比叡山、延暦寺より彼を呼び寄せ、上皇に推挙したのであった。自分の弟子が上皇の身近にいれば、何かと都合のよいこともあろう、という慈円一流の策略とも言えた。
ところが、である。
「上皇様のお気に入りとなった途端、わしの元へは顔を出さんようになっておったくせに……」
左様、上皇に仕えることとなった尊長は、上皇の信頼を得ると、次第に、上皇にのみ忠誠を尽くすようになり、慈円から一定の距離を置くようになってしまったのであった。
さすがの慈円にもこの展開は予測できなかった。しかし、後悔先に立たずである。
「客間にて待たせておくように」
もはや、新しい主人の意のままに動くこととなった者の機嫌までとる必要はあるまい、という慈円の気持ちではあった。
そうして、彼を待たせている間にも、慈円は座主辞任の頃の慌しい月日を思い起こしていた。
「それにしても何という運命か!」
慈円の座主辞任は止むを得ない事情によった。
無論、慈円に落ち度があったのではない。
建久七年(千百九十六年)の政変が原因である。即ち、この年の十一月に源通親一派が、敵対する九条兼実一派を宮廷より追放、慈円の兄である九条兼実は関白職を罷免させられたのである。
朝廷内での力関係は、すぐに比叡山内での力関係に反映される。もはや後ろ盾を失うと、彼の山での権勢は揺らぎ始めた。
慈円が天台座主を辞したのも、こういう事情によった。
そんな苦い思い出を噛み締めつつ、
「ふー」
と、溜息をつくと、慈円はようやく立ち上がり、客間へと歩み始めた。
「尊長のやつ、どんな顔をぶらさげて、私と面会するつもりか、さて、楽しみではある」
廊下から見える外の冬景色、それは見渡す限り、森、森、森……。都から隔絶されたこの西山、今でこそ美しい、と思えるようになったが、比叡山から降りてここへ来たときには、なんともおどろおどろしく思えた。
天狗の住処にしか見えなかったのだ。その寂しさに耐えて、自分はそれでも、何とか上皇と繋がりを持ちつつ、ここで再起を図っている。
共に和歌に秀でた才能を持っていたことが幸いし、歌合せの会には彼は必ず上皇から誘いを受けていたことは、そんな彼の野心には有利な材料ではあった。
「今はとにもかくにも、上皇の機嫌を取って……」
座主になる前は、人の二倍三倍の学問に励んだ。それでも、座主になったときには、「兄の兼実の力のおかげよ」
と陰口をたたかれた。
しかし、彼は意に関しなかった。
「持てる力は利用すればよいのだ」
これが彼の持論であった。その意味で、気に入らない存在とは言え、尊長もまだまだ利用出来るはず……。
「弱気になってはいかん」
自分に向かって、「喝!」と言い聞かせると、客間近くまで来たときには、威風堂々いつもの自信に満ちた表情を取り戻していた。そしてかっての弟子と面会すべく、客間に入った。