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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
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第一部第四十章

 呆然と立ち尽くす三人ではあったが、最初にその沈黙を破ったのはゆきであった。

「何という悲しいことでございましょう。本当に……」

 ゆきが涙ながらにそう言うと、安楽も「まことに……」と言いかけたが、そのまま押し黙ってしまった。

 重衡の死の衝撃はあまりに大きかった……。

 それでも気を持ち直すと、彼は言葉を続けた。

「しかし、多くの民が往生願って、念仏唱和をなし、その中、最期を迎えられた。きっと重衡殿、阿弥陀様のお力で、今は浄土の蓮の花の上でゆっくりと休息されておられることであろう」

 と安楽は言って、ゆきを慰めた。

 一方住蓮は今の自分の感情をどう表現したらよいのか分からず、また自身が皆と共に念仏唱和をしていたことも、ひょっとして気付かれてしまったかと、気恥ずかしい思いも手伝って黙っていた。

 ゆきが、そんな住蓮に助け舟を出した。

「時実様、一緒に念仏唱和してくださりありがとう。重衡様もこれだけ多くの方に見守られたことは、無念な中にあって、往生の大きい助けとなったことでありましょう」

「いや、それがしは……」

 と、住蓮はそこまで言ったはものの、しかし彼はやはりそれ以上は、何を言ったところで言い訳にしかならないと思い、結局沈黙を守るしかなかった。――しかし、それは確かに、照れくさいということもあったが、あまりに大きい感動に、今までの自分が惨めに思えて恥ずかしかったせいもあったからである。

「ゆきさん、時実殿のこと、もう大丈夫じゃ。わしには分かる」

 安楽も彼が最期には念仏を共に唱和していたことを、知っていた。

「重衡殿自らの一命を落とされたこと、まこと悲しいことであるが、考え方によっては、そのことが、一方で多くの命を救ったのだ。今日、集まった者たちの中の多くが、生きる力を与えられた、それがしはそう思う。そしてこの者、時実殿もそのうちの一人!まこと、これが阿弥陀様の力でもあり、願いでもある、ありがたい、ありがたい」

 安楽の発言にゆきはおおきく頷いた。

「しかも、平重衡様、まことに立派な決定往生であられた。まことに、この往生の姿、後の世まで語り継げられるであろう」

 安楽はそう言うと、目を瞑った。――彼は今日一日のことを思い出して回想しているようであった。

 そして、内心「まこと、法然上人様の御知恵、お見事というばかり」と、自らの師の偉大さを改めて認識するばかりであった。

 しかし、いつまでも感傷に浸ってはいられない……。

 安楽は元気良く声を上げた。

「さあ、帰るとしよう。京の都に我らを待つ多くの民がいる……。それに法然上人様にも急ぎ、今日のことご報告もしなければ……」

 と、安楽は皆を促した。続いて住蓮の方を見ると言った。

「さて、時実殿、どうされる。約束どおり、ご自由になされよ。わしらはもう何の束縛もせぬ……」

 突然言葉を投げつけられて、住蓮は黙っているしかなかった。その様子を見て、安楽は意地悪げに言葉を続けた。

「まさか、このまま奈良へ帰られることもなかろうとは思うが……」

 安楽のこの試すような質問に、ゆきがかみついた。

「まあ、安楽様、そんな意地悪な質問ってありませんわ!」

 ゆきも安楽をからかい気味に叱ると、優しく住蓮の腕を取った。

「だって、もう時実様、私たちと一緒に都へ帰られることお決めになられてますものね!」

 安楽は一本とられた、という調子で、にこりと笑った。

「いや、まこと、時実殿、貴殿さえよければ、我らのところへ戻られよ。大歓迎じゃ」

 と、改めて安楽は住蓮を都へと誘った。

 ゆきも住蓮を見ると、にこりと微笑んだ。――すると、ようやくここに至って、住蓮も微笑んだ。

「いや、時実さんが笑った。笑ったわ!」

 確かに、久しく忘れていた微笑であった。ゆきに言われて、彼は思わず顔を赤らめてしまった。

「ゆきさん、いじめてはいかん。可愛そうじゃ。それよりも……」

 と言うと、安楽は空を見上げた。

 日の暮れが迫っていた。

「急ごう、暗くなる前に 」

 安楽は二人を促した。

「さあ、行きましょう、時実様 」

 住蓮もゆきに手を取られて、二人に続いた。彼は、実際のところ内心うれしくもあったのである。

「二人に続くしかない。今は彼らに身を委ねよう」

 まだ漠然とはしていたが、彼は、なぜか、自分の道はこれしかないと思った。何か大きい運命に逆らえない自分を感じたのである。

 すると、歩みも何かしら軽く感じられた。ここへ来るときとはまるで違う。来るときは絶望だけが心を支配していたのだが…。ところが今は生きる力に満ち溢れている。なぜか、うまく説明できない。安楽が言ったことが事実なのかもしれない。

「生きる力を、本当に俺は重衡公から貰ったのであろうか?」

 住蓮の心の中に、死を目前にした重衡の目が思い出された。そして次にはなぜか阿弥陀仏の姿が浮かんだ。

「阿弥陀仏はほんとうにいるのだろうか。いるとすれば何処にいるのであろうか?あの瞬間、ここに姿を現されたのであろうか?」

 そんなことを考えながら、空を見上げると、夕焼けが美しく、まことにすがすがしい気分に包まれた。

すると突然刑場でのあの声が蘇った。

「あとのことはよろしく頼む……」

 歩み始めた彼の耳に、その言葉が何度も繰り返し響き渡った。

「確かに聞こえた。確かに耳に……。あれは――あれは平重衡公の声であったに違いない!――であれば、であれば、自分がなすべきことは何か…」

 帰りの道すがら、自らに問いかけながら、彼はゆき、安楽と共に都へと向かった。

さて、 時実の話はここで一旦終了する。

 いや、正確に言えば、この日、時実はこうして今までの人生に一区切りをつけたのである。

 つまり……。

 都へ帰って後、彼は正式に法然のもとに弟子入りした。

 そして、その後、名を住蓮と変える……。新しい人生の出発を迎えたのである。

 阿弥陀仏によって生まれ変わった新しい彼の人生がかくして始まったのである。

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