第一部第四章
法然の下に慈円からの返書が届いたのは新しい年を迎えてからであった。
ここは京都、吉水にある法然の居宅である。無論粗末な草庵に過ぎないが……。また、念仏者たちはこの周辺を黒谷さんとも呼んでいた。法然が比叡山西塔黒谷で学んだことに由来する呼び名だ。彼と弟子がここに居を構えるようになって後、その周辺には、今や時の人となった彼の教えを請わんと無数の念仏者たちが住み着いていた。
その草庵の中で、主だった弟子たちが取り囲む中、法然の一番弟子である信空により、慈円からの返書の中身が読み上げられた。
「このたびのお申し出、しかと承り候…。」
手紙は簡潔であった。法然が大きく安堵のため息をついたのが周囲の弟子たちにも聞こえた。
「証空」
と、比叡山への留学が決まった弟子に法然は呼びかけた。返事の内容には誰もが満足していた。しかし、天台との間に生じつつある摩擦が、これで一気に解決するわけではない。法然自身がそれを一番よく知っていた。
「はは」証空は法然に一礼した。
法然はほかの弟子たちにも聞こえるようにと意識したか、いつもよりは大き目の声で言葉を続けた。
「証空、やれるか。天台の修行はきびしいぞ」
証空は、ほかの弟子たちに遠慮するかのようにやや小さい声で返答した。
「はは、証空、若輩の身ではありますが、法然様の名に恥じぬようにお勤め果たしたい所存であります」
法然はこの弟子の頼もしい言葉に満足したか、微笑むと大きく頷いた。
「よろしい。準備が出来次第叡山へ登れ。叡山の冬の寒さはひとしおじゃ。準備に怠りの無いよう」
傍らにいた信空が、すこし間をおいて法然に言った。
「このたびのご措置、まことに賢明なことと存じます。彼が慈円座主のもとで学ぶことで、天台の我ら一門に対する風当たりも和らぐでしょう」
信空は、比叡山において叡空(当時の叡山での念仏修行の第一人者であった僧)のもとで、本来、法然とは相弟子であった人物である。しかし叡空の死後は法然の弟子となっていた。そんないきさつで、法然門下では最も古くからの弟子となる彼は、比叡山を降りて以後、法然一門内において、事実上弟子たちのまとめ役となっていた。
その彼の言葉に場の一同も大きく頷いて、同意の意を示した。
すると信空に続いて、感西が言葉を続けた。感西も法然のもとで古くから念仏を学んでいる弟子であった。彼は平安朝廷の官吏登用試験にも合格した秀才であり、法然は彼をまことの子のごとく、たいへん可愛がっていた。
「まことに、まことに、私もそう思います。証空は若いが賢く、学問の歩みも速く、慈円座主も、このような人材が我ら一門の中にいることを知られれば、巷に流れております我ら一門に対する悪い風説もすべて根拠のなきことと理解してくれましょう」
法然は満足そうにさらにおおきく頷くと、軽く目を瞑った。
座の一同も安堵感に包まれ、和やかな雰囲気がしばらく部屋の中に漂った。
「いつまでもこのように平安な時が続けば!」そんな思いを誰もが廻らしていたであろう。すると法然自身が、その平安な雰囲気に切り込むかのように、背筋を伸ばすと、険しい表情で、目を大きくかっと見開いた。
齢60歳の法然であったが血色もよく、円満柔和な相は確かに人をひきつける魅力を持っていた。しかし、目を開くと、見開いた目は英知に満ち溢れ、眼光するどく、並々ならぬ闘志を内に秘めていることが周りには見て取れた。
法然は先ほどまでの温和な語り口とは別人のような、厳しい口調でこう問うた。
「ところで、――住蓮、安楽らの六時礼賛興行の試み、その後はいかがなっておるか、誰か仔細を述べよ」
この問いには信空がすぐに答えた。
「法然様、その件ですが、実は今日、住蓮にこの場に来るように申し渡してあります。本人から説明させるのが一番かと…。法然様へ今までの経過、ご報告奉れと申してあります」
「そうか」法然は満足そうな表情を浮かべた。信空は続けた。
「もう、そろそろ来るかと思います。もうしばらくお待ち願いたく……」
六時礼讃ーーーそれは引導時(現在の京都東山高台寺近辺)で行われていた仏事の一つで、六時---即ち一日を通して唐の善導が著した「六時礼賛」中の詩を声明の形で歌として吟じ、阿弥陀仏を礼賛するものであり、法然門下の安楽と住蓮が昨年10月より興行として始めたのであった。
「安楽の歌の才と住蓮の笛の才の見事な調和の成せる技か…」
法然の呟きを受けて、弟子の一人の湛空が続けた。新進気鋭の若い弟子の一人である。
「私め昨日、興行に参加して参りました。それはそれはたいへんな賑わいでございました。多くの人が集まり、皆一心に念仏を唱える様はまことに美しく、心打たれるものがありました。安楽、住蓮の音楽の才は、なるほどと唸らせる代物で、六時礼賛の美しい詩文が、さらに美しい節で飾られ、聞く者の心を捉えて酔わせておりました」
「ふーむ」
法然はそれを聞くと、ひとまずは何か今までの心の不安が取り去られたかのように、安堵の表情を浮かべた。
「さてさて、これにて、またより多くの人々に念仏の功徳がもたらされんことを願うのみじゃ」
この法然の発言に、一座のほぼ全てが頷き同意の表情を浮かべたが、一人信空は不安そうな表情を隠さなかった。彼は言った。
「しかしながらあえて申し上げてよろしいでしょうか?ーーー法然様、実は、一部よからぬ風評も聞こえ及んでおります」
「よからぬ風評よ、と」
法然はやや顔を曇らせると、続けて問うた。
「信空、よからぬ風評とはいかなるものか?」
信空は答えた。
「おそれながら申し上げます。安楽、住蓮らの六時礼賛の興行、盛況なのはまことにすばらしきことと、私も考えるところであります。特に上下貴賎、老若男女の区別無く、誰もが平等に念仏三昧をしておりますよし、たいへん素晴らしきことではないかと存じます。しかし、--おそらく事実無根のことと思われますが、興行の最中に、寺の周辺で、時には、深夜、男女がよからぬ行為をしているというのです……」
法然はこれを聞くと表情を厳しくした。一座の者も然りである。
ただ、法然自身は、こういうこともおそらく起こるであろうと、十分予期していたものと思われる。実際、この鹿ヶ谷周辺でも、そのような風評が聞こえてくることもあった。
何せ、いろんな人物が全国から法然のもとへ押し寄せてきていた。中には怪しげな自称”念仏僧”もいたことは当然である。そういった怪しい輩が、法然集団の評判を一部おとしめていたのも間違いなかった。
であれば、六時礼賛興行でもそういう輩が出入りしているであろうことは十分予測出来たのである。
信空がさらに続けた。
「引導寺での興行には、まことに種々雑多な人々が参っているようで、中には、河原者始め、興味本位だけのもの、あるいは我々一門とは無関係な、念仏とは名ばかりの似非念仏僧などもいるとのよし、---すれば、これらのものが我ら一門の名を貶めるような行為をしていないとも限りませぬ」
「ふーむ、困ったことよの……」
法然が溜息混じりにつぶやいた。部屋の中を重苦しい沈黙が支配した。そこにいる者にとっては随分長く感じられたろう。そのような風評が大きくなり天台にも聞こえているとすれば、法然一門の活動にも大いに差し障りとなることは誰の目にも明らかであった。
湛空がこの重苦しい沈黙の中、発言を求めた。
「僭越なことではございますが、ひとこと申し上げたいことがありまする」
「なんじゃ、湛空、申してみい」
一座の取りまとめ役として、信空は威厳を持った表情で答えた。
発言の機会を得て堪空は続けた。
「はは、確かに私目が実際参ったおりも、多くの河原者を目にしました。ほとんどすべての者がうちひしがれ、衣服も破れ、ぼろをまとい、哀れな様子でありました。しかし、彼らのほとんどは熱心に念仏を唱え、興行を妨害するかのような振る舞いを起こすものは少なくとも、私は一人も目にはいたしませんでした」
一同が聴き入ってるのを確認すると湛空はさらに続けた。
「すべて生きとし生けるものは仏性を持っていると言うのが仏の教えではありませぬか。貴賎の別なく誰もが往生を遂げられるのが阿弥陀仏様の本願ではございませぬか……」
この正論に反論をする者は無かった。
議論が語り尽くされたのを確認すると、信空がこうまとめた。
「いやいや、湛空の言うとおり。しかしであるーーーまこと念仏とは名ばかりの、怪しい似非念仏僧がおるのも事実。彼らが都の市中でどのようなことをしておるものか、その全てをわれらも掴め切れておらぬ。それが現実ではないか。中には法然様の弟子だと、平然と偽りを言うものもおるらしい。天台との関係がおかしくなり始めたのもそういう輩が現れ始めてからであろう…」
弟子の一人の感西も、さもありなんと信空に続いた。
「まこと。似非念仏者たちの中には、どんな悪事を働いても、一言”南無阿弥陀仏”と申せば極楽往生かなうのじゃ、と平気でふれまわっている者もおるとか聞きます。しかもそんな者に限って、自分は法然様の弟子と偽っているとのこと。このような者たちの分別無い行動が比叡山を刺激しておるのは間違いないことと思われます」
感西の言葉に一同が大きく頷いたその時であった。襖越しに声がした。
「住蓮参りました」
一同は思わず顔を見合した。話題の本人の登場であった。
信空は法然の方を伺った。法然は黙して大きく頷いた。「入室させよ」との合図である。
信空は襖の向こうへ呼びかけた。
「よろしい、住蓮、入れ。皆待っておったところだ……」