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阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
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第一部第三十一章

 かくして運命のいたずらに翻弄される二人の再会は、二人がそれと気づかぬまま一瞬にして終わった。

 さて住蓮は戸板の上で断続的に意識を取り戻してはいたが、自分がどこへ運ばれようとしているのか皆目見当がつかなかった。

 それでも、ようやく吉水の救護所に着いたときには相当意識もはっきりしてきてたのだが、それにつれて腕の痛みもますます強くなってきた。これほど痛むのであればいっそのこと切り落としてくれ、と言いたいほどの痛みであった。

「ようやく着きましたわ。安心なさってください」

 傍らの女性に声をかけられ、住蓮は痛みに耐えながらも初めて口を開いた。

「ここはどこだ」

 見たような景色でもあったが、彼には見当がつかなかったのである。多分、自分を治療しようとしているのだろう。どうしてそのまま死なせてくれなかった、と恨み言も言いたい心境だったが、それよりも今はこの痛みを何とかしてほしい、その思いで頭はいっぱいだった。

「痛い……」

 住蓮が呻くようにそう言うと、女性は

「もうしばらく辛抱なさいませ。今安楽様が薬を取りに行っておられます」

 と彼の手をさすりながら優しく返答した。

 ようやく目の焦点も定まってきて、住蓮は傍らの女性の顔の輪郭、細部が分かるようになると、ひどく驚いた。夢の中で見た天女の顔に似ていたからである。---着ているもののあまりの粗末さとは対照的に女性の美しさが目に焼きついた。

 その女性は、彼の手をそっと離すと、介抱に必要なものの準備のためか、慌しく動きはじめた。彼はその後姿を見ていると、なぜか時子の姿が思い出され、また彼の目には涙が溢れた。準備が一段落ついたのか、女性は彼のそばへ戻った。

「よかった、気を失っておられましたから……。一時は、一体どうなることかと案じておりました。気分はいかがですか」

 気分、と言われて住蓮は戸惑った。−−自分は死のうとしていたのだ。そして死に損なって、今は無様な格好を晒している。加えてこの腕の激痛……。

 彼は唸るような声で返答した。

「気分などいいはずがあるか!ーーこの痛み、耐えられぬ。ひと思いに殺してくれ!」

 女性はこの言葉を聴くとひどく悲しそうな表情になった。それは、暴言とも言える彼の乱暴な言葉使いに傷ついたためではない。今までにも多くの者の救護をした経験から、彼の痛みがどれほどに強いかよく分かったからである。

「もう少し辛抱なされませ。もう安楽様が薬を持って戻られます。ここにはよい薬がありますゆえ」

 住蓮はそれを聞きながらも、苦悶に満ちた表情で、

「ああ、どうして俺を救ったりしたのだ。放って置いてくれれば良かったものを。俺は死にたかったのだ」

 と呻くような声で女性に語りかけた。

 するとそれまで傍らに立って、沈黙を守っていた男が彼を叱り付けるような口調で厳しくこう言った。

「先ほどから聞いておれば、死なせてくれ、死なせてくれ、と、女々しい情けないことよ。なぜ命を大事にせぬか!このゆきさんがどれだけあんたのために一生懸命介抱してくれたか…。気を失って、倒れているそなたに寄り添い、体が冷えぬようにと、そちの体を温めてくれたのだ。なんという有り難き事。その恩がわからぬか!」

 一喝された住蓮は、ただ黙っているしかなかった。---「そこまでしてくれたのか」と驚いたからでもあった。

 彼はゆきと呼ばれる女性に改めて視線を送った。

 その視線に気付いたゆきは、

「次郎さん、今はそのことはよろしいでしょう」

 と言うと、顔を赤らめながら下を向いた。次郎のあからさまな物言いに恥ずかしくなったのである。

 気まずい雰囲気が場を支配した……。と、その時であった。小屋の外から、男の歌声が聞こえてきた。

「仏は常にいませども~、現ならぬぞあわれなる~」

 と、今様の節にあわせて、なんとも軽妙に歌い上げるその歌声は美しく、切なく、聞くものを魅了せずにはいられない、不思議な魅力を持っていた。

「安楽様だ」

 次郎は立って、小屋の入り口を開けた。

 住蓮も入り口に目をやった。そこに一人の僧侶が姿を現した。僧衣は粗末なものであったが乱れもなく汚れもなかった。背丈は住蓮と同じくらいであろうか、年の差も自分とそれほどはなさそうであった。きりっとした顔立ちは生まれの高貴さをどこか物語っていた。美男子と言ってよかったろう。それでいて、とうとうと今様を吟じながら薬を運んで来るその姿はたいへん親近感があり、また、どこかとぼけた調子で、親しみやすさを演出していた。

 小屋に入ると、彼は今様を吟じるのを止めた。そして言った。

「次郎……。おぬし、三郎が何処へ行ったか知らぬか」

 安楽の問いに、次郎は答えた。

「はい、わしら放免のお勤めの報告がありますので、あいつに行かせた次第です」

「放免…」

 住蓮は改めてここで二人のことを放免と聞いて、なんとも不可解な感じを抱いた。

 それは、そんな彼らに似ても似つかわしくない、不釣合いなこの美しい女性……。さらに、今ここへ登場した、今様を吟じる僧衣を纏った男……。冷静に考えてみると、住蓮を救い出したこの4人の者たちが、まことに不釣り合いで奇妙な組み合わせであったからである。

「いったいこの者たちは何者なのか」---住蓮は混乱した。

 安楽はそんな彼の混乱ぶりを察してか、「今はあまり考えすぎぬこと、ともかく体を良くする事が先決。それ、痛みを和らげるによき薬を差し上げよう」と、住蓮に告げると、続いて「ゆきさん、後は頼む」と言って、壺を彼女に手渡した。

「はい」と彼女は答えると、彼女は壺の中の液体を茶碗に移した。

 てきぱきと指示を出す安楽の態度に、それまで不安な気持ちにとらわれていた住蓮であったが、幾分安堵の気持ちが大きくなった。「ともかく今は彼らに任せるよりほかはない」とようやく思うに至ったのである。

 ゆきが早速、安楽の持ってきた薬を、指示に従い住蓮に飲ませると、続いて安楽は彼の傷の様子を次郎に尋ねた。

「次郎、今までに経験した数多くの戦で、思い傷もたくさん見ておろう。どうだこの者の傷は、良くなりそうか」

 次郎はしばらく考えていたが、徐に口を開くとこう答えた。

「この程度なら命に別状はないでしょう。足の方も、しっかりと添え木を当てましたし、時間がかかっても元へ戻りまさあ。無論、このわしの名人芸があってのことですがね」

 自慢そうな彼の口ぶりに「名人芸か、ほんに次郎の骨継ぎの腕は確かじゃ」と、そう茶化したように言葉を返すと、安楽は、続けて「ははは」と笑った。---ようやく和んだ場の雰囲気のせいか、住蓮は体の痛みが少しは和らいできたようにも思えた。

 そこへ次郎が、改めて自慢げに付け加えた。「次郎様の手にかかれば、どんな怪我も大丈夫でさ。戦で鍛えたこの腕前!ーーさあさあ、見てらっしゃい!よってらっしゃい!」そしてそう言うや、彼は、カラカラと高笑いを始めた。

「まあ、次郎さんたら」

 ゆきと呼ばれた女性もつられて笑い出した。

 すると、この和やかな雰囲気に合わせるかのように、安楽が、先程の今様を再び吟じ始めた。するとゆきと次郎がそれにあわせて掛け声を出した。そして、安楽はついには軽妙に踊りだした。---その踊りの動作もなかなかの腕前と言って良かったろう。住蓮の目にはそう見えた。

 堂々とした物言いに似合わぬ、こうした動作の軽妙さを見せつけられて、住蓮はますます「この僧の正体は?一体何者か?」と、疑問を深めた。

 しかし、またもや徐々に思考がまとまらなくなってきた。飲んだ薬のせいか……。痛みも和らいだが、少し頭もぼうっとしてきた。相当強い薬だったようだ。意識が再び遠のいてきた。

 住蓮の状態の変化に気づいたゆきは、こうなると予測はしていたようで、慌てた素振りは見せなかったが、それでも囃子を止めると、住蓮の手を握って安楽に言った。

「安楽様、薬が効きすぎではございませぬか」

 ゆきの問いに、安楽は「いや案ずるに及ばぬ。痛みが強かろうと思って、少し調合を変えただけ。眠っていたほうが本人も楽であろう」と、こちらも今様を吟じるのをやめると言った。そして続いて住蓮の脈を取った。

「案ずるな。脈はしっかりしておる」

 安楽はそう言って、二人を安心させた。

 一方、住蓮、時実は再び遠のく意識の中で考えていた。

「彼らはどうしてこんなにも楽天的でいられるのだろう」

 男は放免、女もその粗末な身なりから察するに、自分と同じ河原者に違いない。

「自分は時子を失い、河原者としてすごす間に人生に絶望し、酒に溺れ、自殺を図ったというのに……」

 彼らも同じ河原者ではないか!なぜ彼らは人生に絶望しないのだ?なぜこんなにも楽天的なのだ?――住蓮は困惑した。

 河原者として生活する中で、住蓮はそこの多くの者が、程度の差はあれ、自分と似た境遇を経験して来ていることを知った。――愛するものを失い、人生に絶望し、死に怯えるもの、あるいは自ら死を選ぶもの、酒に溺れる者…。

 しかし、そんな生活を楽しいなどとは思ったことなど、一度だってありやしないない!

「それなのに彼らは、今様を吟じながら少なくとも今を楽しんでいる!」

 再び遠のく意識の中で、住蓮は時子の姿を見た。自分を手招いているように見えた。すると一人の天女がそれを遮った。そしてこう言うのである。

「そちらはいけませぬ。こちらへいらっしゃいませ」

 その顔を良く見ると、今まさに介抱してくれている、ゆきの顔であった。にこりと彼女は彼に微笑みかけると、彼の手を取って、住蓮の夢の中、二人して空を駆け巡るのであった。

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