第一部第二十六章
さて物語はまた、ここ吉水の里の一室に戻ることとなる。---住さんと信空の対話は続いていた。
「こうして佐々木の屋敷は廃墟と化したのであるます…」
馬渕での佐々木家の悲惨な結末について、住蓮がようやく最後まで語り終えると、信空は深い衝撃を覚えて、しばし言葉を失ってしまった。---あまりにも複雑な事情であった。
彼は徐に口を開いた。
「であれば、未だに、その盛高という佐々木家嫡男は、そちの身を仇として追っているやも知れぬということか ?」
この信空の問いに、悲しい過去の回想に耽っていた住蓮も、現実に再び引き戻された。
「分かりませぬ。というのも、東国源氏による落ち武者狩りに会い、すでに命亡き者となったかもしれませぬゆえ……」
そう返事をする住蓮に対し、信空は続けて語った。
「ではまあ、それはそれとして……。貴殿は結局、都へと流れ着いたわけだ」
「左様でございます」
住蓮の返答に、信空は大きく頷いた。そして続けて「それにしても、真に数奇な運命ではあるな……」と言うと、後は黙ってしまった。---こうまでも壮絶な体験をしてきた、この若い僧に、どう言葉をかけるべきか分からず、言葉が詰まってしまったのである。
「数奇な運命」---住蓮は信空の言葉を心で反芻していた。
「本当に数奇な運命だ。あの時、安楽とその仲間たちにめぐり合っていなければ、今の自分は……」---住蓮は再び過去を回想し始めた。今度は都へと流れ着いた後のことである。
「彼らとの出会いが、この数奇な運命に弄ばれた自分を救ってくれたのだ……」
彼は、ともかくも今は、この数奇な運命の、今に至るまでのこと、すべてを語ってしまわなければ、と思った。そして心を奮い立たせると、沈黙を破った。
「近江の地を去った後のことをお話しせねばなりますまい…」
住蓮は信空に向かって、再び過去の記憶を辿り始めた。
「ふむ」
耳を傾ける信空に、住蓮の話は再開された。
「都へは何とかたどり着いたのですが…」
彼の回想が再び始まった……。
それによれば物語はこうである。
時は、寿永4年(千百八十五年)の春、近江の国、馬渕の里にて、先述した佐々木家滅亡の惨劇が起こった時より幾月か後であった。
そんな春のある日の夕暮れ、京の都を流れる鴨川の河原に、ぼろを纏い、目は虚ろで、もはや、廃人と言っても過言ではない様相を呈した一人の若者の姿があった。
――住蓮である。
狼藉を欲しいままにした木曾義仲の軍勢は東国源氏の手によりすでに都から追放されたとは言え、京の都の荒廃ぶりは見るも無残であった。都大路はもちろん、都のそこかしこ、また鴨の河原にもおびただしい数の死体が散乱していた。---処理が追いつかないのである。
その鴨川の西の河原に住蓮は暮らしていた…。無論、かっての有能な荘園管理人の面影無い。---奈良の都で悩みながらも勉学に励んだあの熱心さ、一途さ、また近江の国で青春を謳歌したあの溌剌とした青年の姿をもはや今の彼に見出すことはできなかった。
彼はぼろをまとい、体からは悪臭を発し、人からの施しでかろうじて生きている、何の希望もない、乞食の一人となっていた。
川の向こう側、東側の河原には無数の人間の死体の山が見えた。飢え死にした者、病死の者、戦で死んだ者など、その数はあまりに多く数え切れない。――平安京の斎場として使用されていた鳥部野はすでにその死体処理能力の限界を超えていたのである。その結果、死体葬送の処理が追いつかず、処理しきれない死体が鳥部野からあふれ出し、東山の麓からさらには鴨川の河原にいたるまで山積みにされていたのである。
――無論、これほど死体の数が増えたのには戦乱以外にも理由がある。
千百八十二年から続いた養和の飢饉である。これは日本全国に甚大な被害をもたらした。源平の争乱に加え、この飢饉の影響で、親をなくした孤児、働き手を失って残された家族、その他もろもろの被災者が都へ流入してきたのであった。
彼らは都の外、つまり東の京極の外に集落を作った。いや作ったというより、作らざるを得なかったと言うべきか。律令制度はもはや形骸化していたとはいえ、それでも都の中に定住することはなかなか出来なかったからである。人口が一気に増えたためだ。
こうなると悪循環である。都に食料と仕事が保障されているわけではない。
かくして、多くのものが飢え、病で倒れて死んでいったのである。
死体の処理が間に合わないのは当然のことであった。
飢えた者の中には、先に飢え死にした自らの子供の死体を、平然と食うものもいた。――まさに混沌としたおどろおどろしい世界であった。鬼でさえ、この人間の異常なありさまを見たら絶句したであろう。
そして住蓮はその地獄の真っ只中にいたのであった……。
河原の西側はまだ少しましだった。生き疑獄ではあっても、それでも人々の生活の場があった。今にもくずれそうではあったが、掘っ立て小屋が散在していた。
「河原者とはよく言ったものよ……」
住蓮は自嘲気味に呟いた。養和の飢饉以前から、ここには、河原者――当時、彼らはそう呼ばれていた――たちが集落を形成していた。
河原者の集落、それは、おそらく、当初、平安の律令制度からはみ出た者たちが集落を形成したものであった。そして、その数は次第に増え、このたびの源平争乱、また養和の飢饉の結果、その数が桁外れに大きくなったのである。
当初から彼らは実にさまざまな人々の集まりであった。物乞いがもっとも多かったが、中には、強盗、殺人などの犯罪者、そして一度は検非違使に捕らえられたが許されて放免されたものもいた。---放免者と呼ばれた彼らの中には、検非違使庁の最下級の使役人として、放免後も用いられ、河原での犯罪人の処刑を担うものもいた。
そしてその後、土木工事の人夫、鍛冶仕事の職人、あるいは見世物を生業とするもの、はたまた踊り、歌、を興行として金を稼ぐものなど、雑多な人々がこの集落に加わっていった。
さらには念仏を唱える怪しげな乞食坊主がいるかと思えば、一方で市の聖と呼ばれる熱心な念仏布教者もいた。市の聖の周りには多くの群集が集まった。まこと賑やかな、しかしながら同時に怪しげな雑踏を呈していた。
当初は、彼らはお互いがお互いを助け合い、支えあって生きていた。共同体としてそれなりに機能していたわけである。貧しいながらもここで暮らしていれば何とか生活は出来たし、それなりに楽しみもあったというわけである。
しかし、騒乱に飢饉……。
今はそんな共同体も一部でしか機能していなかった。
新参者の住蓮にとってここはただの生き地獄でしかなかった。
「俺にとっては三途の河原そのものだが……」
飢饉以後は、死人が増え過ぎて、ほとんどの死体は腐るに任されていた。住蓮がここに身を潜めた頃も、説法をする市の聖の、そのすぐ傍らには多くの、もはや口利かぬ死体が散乱しているというありさまであった。
皆が飢えていた……。そして多くのものが、人間の善なる心を失っていた。自然発生的に形成されていた互助精神も、もはやほとんど失われていた。
左様、結果的に今や、河原者集落は、ただ無数の骸骨と共に暮らす、最下層の人々の集団というだけの存在に化していたのであった……。
そんな河原で、他の者同様、骸骨と寝食を共にする住蓮にとっては絶望しかない毎日だった。
「俺すべてを失ってしまったのだ……」泣き暮らす日々--時間の感覚も麻痺していた。
「近江の国を後にしてから、今までどれだけの時間が経過したのか……」