第一部第二十四章
時代は源平争乱の真っただ中であった。
無論、勢いは源氏側にあったのは言うまでもない。
「平氏を倒せ!」
この言葉を合言葉に全国の源氏の武将が旗を揚げた。特に木曽義仲の軍勢の猛進撃は目覚しかった。
「義仲様のもとへ!」
近江の源氏は木曽義仲が比叡山に陣を構えたことを聞くと、我先にと彼の元へ馳せ参じた。盛高もその一人であったというわけである。
両親、妹からの反対を押し切って家を飛び出した盛高ではあったが、近江源氏の一族として認められると、比叡山で木曾義仲の軍勢に加わることを早速許された。
そして、すぐさまであった。義仲の軍勢は都へと上洛した。
「俺の手で平氏をねじ伏せる!」
その確信のもと、武芸に秀でた盛高は、そこで連日のごとく武勇を立て、大活躍の毎日を送った。その功績が義仲に認められてか、都から平氏が一掃されると、ある日、彼は義仲に呼び出された。
「盛高、そちの働き、まことに立派であった」
義仲はそう労いの言葉をかけると、少し黙想していたがやがて次のように続けた。
「そちを信頼してであるが、わしのために汗を流してはくれんか?」
盛高は黙って聞いていた。どんな命令でも聞くしかないことは十分承知していた。
義仲は続けた…。
「実はそちに軍勢を一部預けようと思う!それを引きつれ今より比叡山に戻り、天台の僧たちの動きを監視し、逐一わしに報告してほしいのじゃ」
「比叡山に……」
平家を追って、討伐の軍勢を西へ向かわせんものとばかり思っていた盛高は、意外なこの義仲の言葉をただ黙って聞いていた。
「西国ではなく、叡山でございますか……」
落胆する盛高を尻目に、義仲は続けた。
彼の語るところによれば……。
もともと朝廷と関係の深い比叡山は、山育ちの自分のことを、”木曽の山猿”と陰で呼び、朝廷と同様、彼の存在を快く思わず疎んでいた。都入りを目前にした自分が、比叡山での駐屯を望んだのに、なかなか快諾しなかったことを見ても、それは明らかである。
「おそらく、比叡山の狸坊主共は、裏ではわしを排除しようと、頼朝の側につくのは間違いない」
というのである。
「そこで監視役を送ろうと決めたのじゃ」
「監視役でございますか……」
盛高は思案した。なるほど、平氏討伐の一番乗りでなくとも、こうして義仲の信を受けて軍勢を任されるのは誉れには間違いなかった。西国に逃れた平氏討伐の先頭に立ちたい気持ちを抑えて、彼はここは義仲の命に従うことにした。
「はは!盛高、この命をかけて義仲様のご恩にお応えいたしとう存じます!」
「よろしい、それでは頼むぞ!」
こうして、木曽義仲の意向を受けた盛高は、一軍をつれて、京の都より比叡山に送り出された。
こうして戦闘から遠ざかった盛高であったが、彼は、その叡山での駐屯の間、反義仲の僧侶たちをしっかりと監視しつつ、個人的に多くの僧兵達、また多くの僧とも懇意になった。---というのも、叡山の僧たちは義仲の横暴な振る舞いには辟易することが多かったが、地元近江の国ではその名を知られた、佐々木氏嫡男の盛高には一目置いていたからである。
「やはり近江源氏の血筋を引くお方、あの山猿とはえらい違いじゃ」
無論、家柄だけではない…。
彼が叡山で人気を集めたのは、実際は彼の人柄によるところも大きかったと言えよう。
彼は叡山内では、義仲のように強圧的、威圧的に振舞うことをしなかった。支配と言うよりは、秩序と威厳による管理を重んじた。こうして彼は、比叡山の僧侶達のプライドを満足させつつも、彼らをしっかりと彼の管理下に置くことに成功した。
さらに彼は僧兵たちに武術の指南もした。部下のものに篤く、正義感が強い、そんな人柄が好感をもって受け入れられたのである。叡山での評判は日毎に上がっていった。
「なかなかのお方ではある!」
多くの僧兵たちが盛高のことを褒めた。――こうして、彼は比叡山でそれなりの人脈と友好関係を築き上げていった。
「それにひきかえ、あの山猿は……」
叡山には、義仲の京での横暴ぶりが連日のように伝えられてきた。
破竹の勢いで都入りし、平氏を追い出すや、一気に西国平氏討伐に取り掛かるはずの義仲であったが、気が緩み、統制の取れない義仲軍の士気は、このころには急速に落ち込み、都での一部軍勢の狼藉乱暴ぶりも目に余るものであった。
朝廷からも後白河法皇からも疎んじられ、挙句の果てに、源頼朝と敵対するに居たり、彼は孤立無援となった。
そんな八方塞の環境の中、いらだつ義仲は、自分になかなか忠誠を示そうとしないどころか、源頼朝に接近しようとする比叡山に対して、その見せしめのため、幾人かの高僧を捕らえ処刑するという暴挙に出ようとしたのである。
「あの坊主達を見せしめに殺してしまえ!」
義仲は、叡山に屯所を構えていた盛高に対し、処刑する僧の名前を伝えると、一刻も早く処刑せよ、と伝令を通じ命令した。
「僧侶の首を刎ねよか……」
すぐに承知、とはさすがに判断しかねた。---盛高は義仲からのその命を伝えられると、即日信頼できる部下を集めた。
重々しい雰囲気の中、彼はこう決意を述べた。
「わしには、無理だ、このような狂気の沙汰は……。義仲様とももはやこれまでだ……」
彼はそう義仲との決別を宣言した。
「義仲様の恩があって今のそれがしがあるのは事実、しかし木曽殿の行状、あまりに目に余るものがある。それがしが目指していたのは平家の追討、――都での狼藉や叡山の僧を処刑するようなことではない!」
こうして彼は義仲からの命令を無視した。また部下も従った。
幾たびの催促にもかかわらず、なかなか言うことを聞かない盛高に対して、業を煮やした義仲は、比叡山に攻め上った。攻める義仲軍に対し盛高は反旗を翻した。
「こうなったら戦うまで!」
彼は叡山の僧兵らと共に少数の軍勢でよく交戦したが、結局は多勢に無勢、敗北を喫し、信頼厚い従者の六郎一人を連れて、敗走したのである。
敗走した後、彼はしばらく大津の地に潜伏していた。---源義経率いる東国源氏の軍勢が、義仲追討のため京の都へと進軍するという噂からそこへ合流しようと目論んだのだ。
しかし木曽義仲の軍勢に参じていたことが裏目に出た。彼らは東国軍の信頼を得られず、挙句の果てに捕らえられようとしたので、大津から逃亡したのである。
「同じ源氏であるのに!」
しかし今やこれが過酷な現実であった。
こうして彼は、追っ手を逃れて、生まれ故郷の馬渕の里へと向かったのであった。
「ふるさとへ帰れば何とかなるやもしれん……」
そう考えた盛高は、一路馬渕を目指したのであった。
ところが……。
そこに待っていたのは悲惨な佐々木家の末路であったというわけである。
故郷の廃墟を前に呆然とたちつくす彼ではあったが、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。
「長居は出来ない。追っての手は迫っている…。しかし、こんな結末でふるさとを去ることになろうとは!」
後ろ髪を引かれながらも、追われるように故郷を後にするしかなかった。
目指すはまたも比叡山である。しかし、以前の時のように、希望に胸を膨らませてではない……。
馬渕の里を後に、東国源氏の追っ手の手を逃れながら、比叡山へと向かう道すがら、盛高はずっと自分を責め続けていた。
「あまりにも軽々しく家を飛び出してしまった…」
そもそも佐々木氏の名誉回復のために、と家を飛び出したのである。木曾義仲殿の軍勢に加わり武勲をたてれば故郷に錦を飾れる。そうすれば平家の顔色を伺って今の立場を得た父親に代わって、自分が頭領となり、今はばらばらとなっている近江佐々木氏の中心となって、源氏の新しい国造りの一翼を担うこともできる!――それは盛高の純粋な思いであった。
「しかし、すべては若気の至りであったか……」
結果的にはどうだ。こうして東国源氏から追われる身となってしまった。しばらくはきびしい追及の手が及ぶに違いない。
「ともかく今は比叡山へ向かうしかない」
比叡山が次第に近くに見えるにつれ、盛高はなつかしい日々に思いを巡らせた。
振り返れば、そこには目の前に広がる美しい近江の山、川の景色があった。そして何よりも美しい琵琶湖も!---それら目にする光景は以前のままである。
盛高は思わず涙ぐんだ…。
そんな美しい自然の中にあって、自分のみすぼらしい姿が情けなかった。「そうか」と盛高は納得した。---あれほど憎んでいた平家の武士たちもこのような思いで西国へ逃れたに違いない。
「落ち武者とはこんなに惨めなものか」
彼ら平氏一族への同情心が自分の心の中に沸きあがってくることを、盛高は何とも皮肉に感じた。
「六郎、すまぬな。お前にまでこんな迷惑をかけて……」
従者の六郎に対しても不憫に思われて、盛高の心は、彼にすまぬという気持ちで一杯であった。
「何を仰せられます!盛高様に最後までお仕え出来て、六郎ほどの幸せ者はおりますまいて!」
彼の人柄に惚れて、最後を共にしようとここまでついてきたのだ。――六郎はむしろ主人を励ました。
「盛高様、お気を強く持たれませ。叡山には必ずお味方がおられましょう……」
六郎のこうした励ましの言葉も、しかし彼の頭には今は空虚に響くばかりであった。
「ともかくも自分が未熟すぎた……。今となっては後悔しても遅いが」
様々な感慨に囚われながらも、日の暮れまでには坂本の地に何とか到着した。あとは山頂まで上るだけだ。
「あの堂衆、僧兵たちはまだ山上にとどまっているだろうか?はたして自分は迎え入れてもらえるのか?」
百戦練磨の盛高ではあったが、そんな不安から体の震えを感じた。
「しかし今は堂々とせねば!」
そう心を奮い立たせると、彼は山頂へと至る道を、六郎と共に叡山頂上へと上っていった。