表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
阿弥陀仏よ何処に  作者: ソンミン
23/110

第一部第二十三章

 さて……。

 もう一人の青年が、ここでこの事件に関わりを持つこととなる。

それは住蓮が、かくの如くの理由で近江の地を離れたその数日前のことである、近江佐々木家の廃墟を訪れたもう一人の青年がいた。

 それこそ、左様、時子の兄、盛高であった。

 武者姿でこそあるが武具はぼろぼろで、彼が落ち武者であることは、一目で分かった。文字通り、刀折れ矢尽きたのである。――そう、彼こそが佐々木家の嫡男、盛高であり、頼朝軍に追われて、都を離れると、彼は生まれ故郷の近江の地へ逃れ、ついに生家に辿り着いたのであった。一人の信頼の厚い従者を連れて……。

「故郷の両親の元へ行けば何とか……」そんな思いであった。

 しかしその思いは微塵にも打ち砕かれた……。彼を迎えたのはかって栄華を誇った生家、そう佐々木家屋敷の廃墟となった姿であった。

「何という無残な!」

 こげくさい臭いがまだ漂っていたことから、つい最近焼け落ちた跡であるのは容易に想像できた。

 ともあれ…。

 その廃墟を目の当りにして、彼は茫然と立ち尽くすしかなかった。

「父上!母上!」

 彼の悲しげな絶叫が馬渕の里に響き渡った。

 絶望の中でそう叫ぶ彼の脳裏に、この屋敷に起こったであろう惨事の物語絵巻がありありと浮かんできた。

 その絵巻の中に、皓々と燃え盛る炎、泣き叫ぶ人の声、逃げ惑う人々が見えた。――と、その中に身を炎に包まれた女性がいる。

「母上!」

 想像の中で、盛高は必死にその女性に近づこうとするが、炎の勢いが強く近寄れない。

「母上!」

 盛高の叫びも空しく、女性は炎に包まれたまま息絶えた。

 やっとの思いで女性に近づくとそこにあるのは全身焼けつくされて燃え残った骸骨だった。---すると何ということであろう!その髑髏が突然こちらを振り向くのである!そして次には悲しそうに目から涙を流すのだ。

「母上!」

 四たび、母上と叫ぶと、そこで盛高ははっと我に帰った。全身汗びっしょりだった。――目の前には、ただ、焼け爛れた廃墟が広がるばかりである。

「母上、父上、時子、皆はいずこ!」

 幾たび絶叫したであろうか?最後には涙も枯れ、声も嗄れた。

「とにかく何が起こったのか確かめないと!」

 かろうじて冷静さを取り戻すと、彼は自分が不在の間の事情を知るものを、必死で探した。そして、何とか屋敷で働いていた雑色の一人を探し当てた。

「ああ、盛高様!よくぞご無事で!」

 その雑色は、彼の帰郷を全く予期していなかった。無理もない…。木曽義仲軍への落ち武者狩りは厳しく、義仲軍に加わった盛高も、既に命を落としたものと思っていたからである。

「何とかここまで逃れては来たが……。一体屋敷に何が起こったのだ?」

 盛高は彼に問い正した。

「それがでございます……」と語りだした彼の証言によれば……。

「時子様は、時実様が父のご病気見舞いのため、屋敷を出て奈良へ向かった後、直ぐに琵琶湖に身を投げて自ら命を絶たれたのでございます。---理由は私どもはしたの者には分かりませぬが。ともかく、それを知ったお母上様は悲しみのあまり床に伏され、食事も召し上がれない様でございました……。お母様は毎日のように『時実憎し、時実憎し、---時子は時実が殺したも同然、ああ、時実憎し!』とうわごとのようにおっしゃっておられました。時には気が狂われたかのように、そのことを一日中叫ぶ日もありました……」

 盛高は黙って聞き入っていた。彼は続けた。

「そして――実際、最後には気が狂われてしまったのでございます!何と自ら屋敷に火を放たれたのです!ああ、思い出しても恐ろしい!燃え盛る炎に焼かれながら、お母上は最後まで『時実憎し、時実憎し!』と叫んでおられました。もうなんとも恐ろしい光景でございました……」

 また彼は、付け加えて言った。

「時実様が奈良へ旅立つ日の前日のことでございます。屋敷の中で、時子様と時実様お二人が激しく言い争っておられるのが聞かれました。今から思えば男女の別れ話でございましょうか……」

「また、時子様のご両親が、激しく時実様を叱責される声も聞かれました。その夜時子様は夜通し、ずっと泣いてばかりおられました。---次の日は部屋にこもったまま出ておいでにならず、そしてその次の日の朝、琵琶湖へ身を投げられたのでございます」

 盛高は感情が高揚するのをじっと堪えて、話を聞き続けた。

「おそらく、時実様と別れ話になり、口論の末、絶望し、悲嘆にくれた時子様は、身投げを決意されたのでありましょう。ああ、なんともおいたわしい!」

 こうして話を聞き終わると、次には、盛高は怒りで全身が震えるのを感じた。――彼を待ち受けていたのは、妹、時子の自殺、それを悲しんだ両親の憤死、という悲しい消息、そして焼け爛れて廃墟となった家だった。

 あまりにも悲しい結末であった…。

 盛高は絶望感に苛まれながら、結局は急いで馬渕の里を後にした。---落ち武者の身の上である。一つどころにとどまってはいられない。

 風は冷たく、落ち武者として逃亡生活を続けていたため、体力を失っていた彼の体は、急速に冷えていった。

「母上、父上、時子……。本当にすまないことをした。私が家を離れさえしなければ、こんなことに……。こんなことにはならなかったのだ。ああ、若気の至りとはいえ、本当になんというおろかなことをしたのだろう」

 盛高の目にうっすらと涙が浮かんだ。

「しかし、いくらこうして懺悔して涙しても、失われたものは帰ってはこないのだ!」そう絶叫する彼の心に、次には憎しみの感情が現れ、そしてそれは次第に渦を巻いて彼の心を占拠していった。---そう、住蓮、即ち時実への憎しみである。

「そうだ!あの時実を見つけて、八つ裂きにするのだ。あいつが我が家を……。我が佐々木家を無茶苦茶にし破滅に追い込んだのだ!」

 ついに感情が爆発すると、彼はこう口に出して絶叫した。そして、次の瞬間にはわっと泣き出した。

「盛高様、お気をしっかり持ちなされませ」

 見るに見かねたのであろう。それまで傍らで黙っていた彼の従者の男が、取り乱した主人を何とか慰めようと声をかけた。

 盛高は高ぶった感情を、ようやく抑えると、その従者に声をかけた。

「六郎、まことにすまんな。近江馬渕の実家へ帰れば何とかなると……。何とかなると思って帰ってきたが、このありさまじゃ……。お前にも迷惑をかけてしまった。これ以上は迷惑をかけたくない。――そちは、自分の行きたいところに行くがよかろう。そち一人なら追っ手の手からも何とか逃れられよう……」

 すると、六郎と呼ばれた従者は、こう返答した。

「何を仰いますか。この六郎、どこまでも盛高様について行きます。---生死を共にすると誓ったではありませぬか」

「六郎……」

 忠義心に満ちたこの従者の言葉を盛高はうれしく思った。

「ありがとう……」

 あとは言葉にならなかった。必死の思いでここまで逃れてきた。身も心も極限まで追い詰められていた。

 木曽義仲の軍にあって武功著しかった、さしもの盛高も、今は口から弱音しか漏れ出てこなかった。

「されば、どこへ向かうか……。ここにもじき追っての手が伸びよう」

 いつまでも悲しみにくれてばかりもいられない。追手の手は近い。つかまれば命はない。

 六郎も、しかしまったく良い考えが浮かばなかった。東国源氏頼朝軍の追及は厳しい。果たして逃れられるのか……。

「六郎、思い切って叡山へ向ってみよう」

「叡山でございますか」

 六郎は呆気にとられた。つい先日まで彼らは義仲軍の一員として叡山にいたのだ…。

「左様…」

 六郎は盛高の真意が分からず、こう問いかけた。

「しかし、叡山が我らを匿ってくれるでしょうか。我らは今や頼朝軍から追われている身ではありませぬか。当然、叡山にも追及の手は伸びましょう」

「うむ、確かにそうだが……。だからこそ、叡山に向ってみよう。木曽殿の時もそうであったが、彼らはたとえ源頼朝であれ、そもそも東国武者には好意を持っておらん」

「はあ、なるほど……。確かに左様ではございますが」

 六郎は少しずつ、主人の考えが見えてきた。

「前回、木曽殿の命にて叡山に陣を構えていた折、懇意になった僧兵が幾人かおる。彼らに相談すれば何とか我らが身、匿ってくれようかもしれん」

 六郎もこの考えに同意した。

「そこまでのお考えであれば、この六郎、何も申さずただお従いします」

「よし!」

 こうして二人は比叡山を目指した。

 

 ――そもそも二人は比叡山でめぐり合った。


 共に家を飛び出した二人は、当時、破竹の勢いで平氏軍を打ち破り、都入りを目前に控え、比叡山で駐屯していた木曽義仲の軍勢に加わったのである。

 近江源氏一族である盛高は、その家筋を買われ、武者として引き立てられたが、伊勢の国からやってき猟師あがりの六郎は、吹き矢の武芸こそ達人の領域ではあったが、結局特に源氏の血筋を引くものでもなかったので、盛高の従者とさせられた。---そして二人は巡り会ったというわけである。

「六郎、比叡山でおぬしと会ってから、もうどれほどになろうか」

「さて、二年ほどになるかと存じますが」

「そうか、もうそんなになるか…」

 そう呟く盛高の記憶は二年前に遡った。木曽義仲の軍に加わり、平氏追討の戦の中、連日のごとく武勇を立てていたあの頃へ……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
http://nnr2.netnovel.org/rank17/ranklink.cgi?id=sungMin
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ