第一部第二十二章
こうして、身投げを思いとどまった時子は、しばし件の阿弥陀堂で休息を取った後、その日のうちに京都へ向かって旅立った。
応水の手配は迅速であった。
当初は自らが時子の供をして、都へと赴かんと考えていたが、時子の屋敷の訪問をしている間に、どんな状況の変化が起こるやもしれんと、阿弥陀堂を後にすると、真っ先に長命寺坂下へ向かった。そして、同じく市井の僧として働いている仲間の僧で、特に信頼している者に、事情を仔細に打ち明けた上で、時子を都の友人僧の所まで送り届けるように依頼したのである。無論、都にいる友人への手紙をつけて……。
時子も、阿弥陀堂を訪れたその僧の指示に、てきぱきと従った。募る故郷への思いを断ち切るためにも、一刻でも早く、という思いに駆られたのである。
――おそらく二度とは帰ることはあるまい。
都へは半日の道のりであった。
張り裂けんばかりの辛い気持ちに苛まれたまま、時子は夜遅く京に到着すると、そのまま応水の友人が暮らす念仏堂へと向かった。
もう日が沈んで辺りは暗くなっていた。
無論、場所は清水の坂下---応水から聞いていた白癩者の里である。名ばかりの念仏堂に招き入れられると、そこに彼は坐していた。「ご苦労でしたな…」と言って、まずは彼は時子を労った。彼は応水からの手紙を既に全て読み終えていたようで、時子にまつわる事情全てを、既に得心していた様子であった。
彼は優しく時子に言った。
「安心しなさい…。大変であったろう!しかし今はまずは休むことじゃ。早速寝床を準備させるとしよう…」
そう言うと彼は、弟子の者に、時子の部屋の準備を命じた。
「時子殿と申されるか…。今日は十分に休んでくだされ。明日になったらこの里の者たちに紹介するとしよう。---女子も子供もおる。賑やかなところじゃ…」
彼が時子に、そうして、里の説明をしていると、「準備ができました」と、弟子の声がした。
「こちらへ来られるがいい」
そう言うと彼は、時子を促した。
「分かりました」
時子はそう言いながら、この疾風怒濤のように過ぎ去って行った、今までの日々を
思い起こしていた。
そして最後には強く自分にこう言い聞かせるのであった。
「ともかくも今は前を向くしかないのだ!」
と。
しかしそう固く決意しても、簡単に、この悲しみ、不安が消えるものではない。
――どんな生活が待っているのだろう?
不安な気持ちで、かつ、新しい生活への淡い期待も抱きつつ、興奮した心は静まらぬまま、ほとんど眠れぬまま、その日の夜を時子は過ごした。
さてその同じ日の深夜……。
父の病の知らせを聞き、急ぎ近江の地を後にした時実、即ち住蓮もようやく奈良の都に着いた。
久しぶりの奈良の都であった。懐かしさに胸にこみ上げて来るものがある。しかし、自宅で荷物を紐解く間も、時子のことは片時も頭から離れなかった。
――自分のいない間に、何かよからぬことでも起こりはしまいか?
奈良到着後も、そんな悪い予感に心を苛まれ、心の休まる時は無かった。――平家の焼き討ちにあって荒廃しきった奈良の都にあって、住蓮の心も同じように荒んで行った。
――時子はどうしているだろう
実は、奈良へ旅立つ前夜、時子の両親と彼との間でかなり激しい口論があった。
「時子がかくも穢れた身になったのは、そもそもそちの責任ではないか!---あのような、穢れに満ちた坂下者たちと、時子を交わらせるなどとは!」
彼は、厳しく時子の両親、特に母親から責められたのだ。
時子が何とかその場を取り持ってくれたが、そのことで彼女がさらに心を痛めたのは明らかであった。
――馬鹿なことをせねばよいが
いやな予感がした。心配ではあったが、いかんともしがたかった。ただ、応水に、もし彼女に何かあればなにとぞよろしく、と頼んできてもいたので、今はともかく父の看病に専念するしかなかった。
――そんな彼の元に馬渕の里の悲劇が伝えられたのは程なくしてであった。
佐々木家の親類より、急ぎもたらされた、その手紙の文面には、こう記されていた。
「――時子様、湖に身を投げられた数日後、悲嘆のあまり、御母上、乱心されるや、屋敷に火を放たれ、お父上も亡くなられた由、ここに、まずは急ぎ、ご報告云々……」
と、あった。
住蓮は手紙を読むと放心状態で、頭の中も真っ白になるのを感じた。
「そんな馬鹿な!」
じっとしているわけにはいかない!――悲しむ暇も、絶望に打ちひしがれる暇も無かった。直ぐに彼は身支度を整えると、重症の父を置いて、またもや近江路を目指した。
「自分の目で確かめなくては!」
混乱した頭は、様々な考え、思いが交錯して、その胸は張り裂けんばかり、爆発寸前という感であった。
かっては夢と希望に胸を膨らませて歩いた近江の国への道、その同じ道を今度は絶望と悲しみを背負って辿る。
足取りははてしなく重かった。
「どうして、一言の相談もなく、自ら命を絶とうなどと!」
住蓮は、時子を一人にして奈良へと旅立った自分の非を責めた。
「何というおろかなことをしてしまったか!」
ともかくも一刻も早く近江の地へと、疲れる体に鞭を打って、木津川方面へと、近江へ向かう街道を、彼は急いだのであった。
時は寿永四年(千百八十五年)の一月であった…。
寒さは厳しく、身を切るような冷たい風は、ただでさえ寒々とした住蓮の傷ついた心に追い討ちをかけるように吹きつけ、彼の心は、悲しみで今にも張り裂けそうであった。
そんな思いで、ようやく近江の地についたのであったが、そこで彼が目にしたのは、奈良の地で受け取った手紙にあった消息通りの、もはや灰燼と化した佐々木家の屋敷跡であった…。
「これはなんとしたことか!」
無論、屋敷の使用人ももはや一人も見当たらない。
「事情を訊ねねば…」
住蓮は周囲の家を訪ね歩いた。
事情を知るという近隣のものの話では、かなりの者が焼け死んだということであった。そんな中、生き残った者も散り散りとなっており、詳しい消息を知るものは、もはやいなかった。
やむなく長命寺の坂下へ向かった。応水なら詳しい事情を知っているだろうと思ったからである。
「応水殿!」
しかし、応水もいなかった。
そこの者に聞くと、応水も時子が命を絶った日以後、消息不明だという。
「せめて時子の消息を…」
と、焦る住蓮であったが、終日走り回って、やっとの思いで里の幾人かから聞いた話を総合すると、屋敷が灰燼に帰した事情は、ざっとこのようなことであったらしい。
即ち……。
時子の自殺という知らせに、彼女の母親はショックのあまり錯乱状態となり、完全に気が触れてしまった、と。そして程なくして屋敷に自ら火を放ったとのだという……。
しかし中には、「いや、俺はそうは聞いていないぞ」と、別の噂を口にする者もいた。その者によれば、屋敷に火を放ったのは、時子の父と敵対していた佐々木氏の一族だと言う。彼らが東国源氏の入洛に合わせて、時子の父の所領を狙って屋敷を攻め落としたのだという…。
真相は藪の中か?---ただ、そう語る者も、時子が自殺したことは間違いないと断言して憚らなかった。
「今となっては真相はどうにも分からない」住蓮にとっては、しかし、時子が自殺したこと以外は、実際はどうでもいいことだった…。
「時子、何故…」
絶望に打ちひしがれて、彼は馬渕の里を去ることを決心した。
そこへ、そんな彼に追い討ちをかける様に、悪い話がもう一つ、彼の耳にもたらされた。
その話とははこうである…。
「時実殿、ゆめゆめ気をつけなされい。実は、先日、貴殿より一足先に、時子殿の兄様である盛高殿がここに立ち寄られた……。いや実際は木曾義仲軍敗走により、その落ち武者狩りに追われて落ち延びてきたということらしいが……」
「盛高……」
なんともなつかしい名前であった。その彼がどうしたというのか?---話の続きはこうであった。
「そして、どこで、誰に聞いたものかしらんが、時子殿の身投げはそちとの喧嘩が原因であり、時子殿の母上はそちを恨むあまりに、最後には気が触れてしまい、屋敷に自ら火を放ったとな……。それを聞いた盛高殿は、貴殿を、必ず捕まえて殺してやる、と口走って、落ち延びるために姿をくらましたらしい。もっとも、今頃は東国源氏の落ち武者狩りに捕えられ、首を刎ねられておるかもしれんが……。ともかくも時実殿、お気をつけなされ」
「……」
住蓮はその話を聞いて、絶句したものの、もはや驚く気力すら失っていた。
「盛高に殺されるのも、今やすべてを失った俺には相応しく、俺の定めなのかもしれん
何かそのようにも思えて、すると、むしろ心が軽くなるのを感じた。
「もはや生きていても何になろう!」---行く当ては無かった。奈良へ帰ったところで何になろう!---いっそのこと自分も琵琶湖へ身を投じるか?
様々な考えが頭に浮かんだ。
絶望の溜息を大きくつくと、彼は頭を挙げた。---向こうに比叡山が見える。
「あの向こうは京の都か……」
特に考えがあったわけではない。ともかくここには長居は出来ない。---気がつくと、まるで京の都に吸い込まれるように、ただひたすら近江路を西へと、まるで幽霊のように、力なく歩いていく住蓮の姿が目撃された。---そしてそれ以後、その日を最後に、住蓮の消息を知るものは近江の地にはいなくなった。