第一部第十五章
「今から思えば、本当に愚かな話ですが、最初はずいぶんと色白になったものだ、と妙に喜んでいたりしたのです」
住蓮が吉水の里で、時子の白癩発病という核心の話に踏み込まんとしていた丁度、同じ頃、ここ祇園舎のはずれ、犬神人の里にある時子の小屋でも、少し元気を取り戻した時子が、源太に向かって、自らの発病について話し始めようとしていた。
「しかし、間もなく、このただならぬ白さは何かおかしいと自分でも……」
左様、やがてそれは病的に白い肌となった。
即ち、つやつやとしているようで、実はそうではなく、なんと表現すれば良いであろうか?そう、それは針を突き刺せば腐った汁が飛び出てきそうな、健康的な白さとは縁遠い白さと言えようか?さらには薄くなった眉と頭髪……。遠目にははっきりしないが、近くで見ているものにはそれとなくわかる。そして、そうこうしているうちに、時子の白癩はもうそろそろ隠し通せない状況にまで症状が悪化してしまっていた。
「住蓮様には私から打ち明けたのです」
時子は悲しい思いに打ち潰されそうになるのを必死でこらえながら、源太に語り続けた。
「実際は、住蓮様も内心では分かっておいででした。しかし、そうして打ち明けてみると、あの方の落胆たるや……」
あのときのことは鮮明に覚えている。住蓮の悲しみに満ちた目、表情……。
「あの方は、『やはり、そうか……』と言うと、天を仰がれました。住蓮様も早くから恐らくと、気がついていたのでございます。私の両親よりもおそらくは早く……。しかし事の重大さが恐ろしくて、あの方も、いや誰もなかなか口には出せなかったのでございます」
時子から打ち明けられ、恋人同士、二人は、思い切り泣いた。運命の悪戯を呪いながら……。
「あの方は、『出来る限りのことはしよう』と仰ると、私を抱いて慰めてくださいました」
時子はその時の抱擁のぬくもりを思い出したのか、しばし天を仰ぐと黙りこくってしまった。
源太も黙っているよりほかなかった。若い二人には到底乗り切れそうにない試練ではあった。
時子は言葉を続けた。
「次の日には、『自分の手で治してみせる』とも仰ってくださいました。叶わぬことと分かってはいましたが、あまりに重い現実に気力もつぶされて、萎えてしまっていた私にはうれしい言葉でした」
「私の両親はと言うと、私の病のことは口に出すのもおぞましいと思ったのでしょう。屋敷の者たちには内緒で、内々に祈祷師を呼んで、祈祷をしてみたり、密かに比叡山の高名な僧を呼んで祈ってもらってみたり、とそれは必死にあらゆる努力を重ねられました……」
時子は記憶をたどるのもつらいのか、ここでため息をつくと、再び黙りこくってしまった。
源太も自分の発病の頃を思い起こしていた。この里にいるものは誰でもが経験した、家族、郷里とのつらい別れの物語が後に控えているのは明らかだった。
源太はただ黙って聞いているよりほか術が無かった。
時子はくじけそうな心を、それでも奮い立たせて、話を再び続けた。
「しかし、どれも無駄な努力であることは、実は、最初から誰もが分かっていたのでございます。左様です、この私も……。この病が治ることなどありえないのだ、それは実は誰もが承知していたのでございます。そして、実際、どんな加持祈祷も効果は無かったのでございます。思えばおろかな話でございます……」
時子は続けた。
「私の病は着実に進行していきました。屋敷のものには気づかれぬよう、両親は私の服装、化粧にも今までの何倍も神経を使われました。私は人前に出ることがまったく無くなってしまいました。娘の発病を、両親は誰にも知られまいと、必死でした」
「住蓮様はある高名な薬師様にも相談されて、いくつか薬を試してみるよう薦められたようです…。しかし、無論ですが、結局どれも効果はありませんでした」
源太は、さもあらん、と内心思いはしたが、彼女が気の毒でただ頷きを繰り返すのみであった。
時子の話しは続いた。
「どれほど高名な方をもってしても、この病ばかりはどうしようも無かったのです。住蓮様は、『こうなってはただ御仏の慈悲におすがりするよりほかにない』と、興福寺で学ばれたことを思い起こし、毎日仏に祈られておられました。ほかに頼るすべの無い今、私もただ奇跡を祈るしかありませんでした。あの方は、食事も殆どせず、痛ましいほどに熱心に祈りを続けてくださいました……」
「私は住蓮様のそんな姿を見て、うれしいと思う反面、食事も取らず日々やせ細っていく、あの方の姿を見ては、自分のためにこれほどまでの迷惑をかけて申し訳ない、と涙ぐみ、申し訳ない気持ちで、心が苛まれたのでございます」
「最後には住蓮様からも両親からも、絶望のため息しか聞こえなくなりました。――無論、私もですが」
「そして、私が最後に出した結論は……」
と、ここまで言うと、時子はいったん話しを止めた。そして天井を眺めて大きく一息つくと、最後にはしっかりした口調でこう言うのであった。
「もはや自ら命を絶つしかない!それが私の出した結論でした。――そう、もうこれ以上誰にも迷惑をかけたくないって、ただその思いだけでした」
と、源太に語った。そしてもう一度大きくため息をついた。その目からは再び涙が流れ出した。
左様、彼女は、白癩の病に侵された者なら誰もが一度は必ず考えるという”自殺”という手段によって、この不幸な出来事に決着をつけようと考えたのだ。
源太も大きく溜息をついた。---今まで一体何度、同じような話を聞かされてきただろう、と、今更ながらに時子の悲しみを思うと、胸が張り裂けんばかりであった。
すると、時子が、突然大きい声を上げてわんわんと泣き出した。そして、涙声でさらに源太にこう訴えた。
「だって、そうでしょう、源太さん、だって……。私が生きている限り、両親にも、住蓮様にも迷惑がかかるんですから!」
そして、さらにこう言うのであった。
「私さえいなくなれば、たとえ一時の悲しみがあったにせよ、皆はここで今までどおりの平穏な日々を送れるのですから……。そう思って、そう思って……」
ここまで言うと、時子は目頭を拭った。もう涙も枯れそうであった。
そして涙をぬぐい終えると彼女はぽつりとこう続けたのであった。
「湖へ身を投げようと決意したのです」
源太には返す言葉もなかった。
白癩をわずらったものの末路は悲惨なものだ。彼らは乞食になるか、寺に拾われるか、しかし、どのみち最後には、結局、体にうじが湧き、腐って死んでしまうのだ。――そんな結末をきらって、その前に自らの死を選ぶ者がいるのは当然のことだった。実際、この里でも将来を悲観して自殺をするものは後を絶たないのが現実であった。
慰めの言葉などもはや何の意味も持たない……。黙っている源太に向かって、時子は叫んだ。
「私は一体何の因果でこのような病を、業を、罪を背負わなければならないのでしょう!女に生まれただけでも罪深い身なのに、さらにこのような業病を患うとは…。もはや私は救いには預かれまい!地獄に落ちるしかない!ああ、穢れたこの体!あのとき死んでしまっていたら良かったのだ!そして地獄に落ちてしまっていればよかったのだ!」
時子のこの絶叫を、源太はただ黙って聞いているより他なかった。
そして、むなしく犬神人の里に鳴り響く彼女のこの絶叫---魂からの叫びも、この里を囲む真葛ケ原の雑木林のざわめきにかき消され、都の貴人たちの耳には決して届かなかったことも確かであったろう。
耳あるものは聞け!目あるものは見るがよい!この現実を!――源太は目の前で泣き叫ぶ一女人の姿を前に、何もしてあげられないわが身のふがいなさをも呪いつつ、心の中で彼女の叫びに唱和を続けるのであった。