第三部第二十八章(最終章)
近江の地、馬渕の里に住蓮の墓が作られたのは、こうした経緯によるのだが……。
その墓は今も滋賀県近江八幡に存在する。
例の首洗いの池の近くに……。
――今に至るまで、この偉大な念仏者の墓は地元の人によって管理され、守られてきたわけである。
六条河原で、また馬渕の里で、千年以上前に、地に落ちた二粒の麦の種が、こうして死して後、また命を得、多くの人により育まれ、数百、数千、数万、いや数え切れないほどの新しい命の実を、実に今に至るまで結んできたのだ。
そして、この、名も無き多くの実の一つ一つが、流罪となった法然、親鸞らを支え、結局は新しい日本の仏教史を作る源となったことを、きっと住蓮も安楽も喜んでいるに違いない。
最後に繰り返して言わねばなるまい……。
いや懸命な読者諸氏はもうお分かりのことであろう。
偉大な仏教者が歴史を作ってきたのではない。これら多くの名も無き仏教者が偉大な仏教者を生み、育ててきたのである、ということを。
それでも、声を大にして叫ばねばなるまい……。
次郎、三郎、ゆきさんのような、彼ら名も無き民こそが実は歴史の主人公であり、歴史を作ってきたのである、と。
さて……。
実は地元住民の間に伝わる、この墓にまつわる言い伝えがある。
それによれば、この墓に住蓮と共に、彼の恋人の遺灰が、共に埋葬されているのだと……。
であれば、時子の遺灰を、犬神人の里から、ここ彼女の故郷、馬渕の里へ持ち帰ったものがいるということか?
残念ながらその真偽を確かめる術は無い。
さらにもう一つの言い伝えがある。
二月十日、毎年必ずその日にどこからか二羽の白鳥が首洗いの池に舞い降りるのだ、と。
そして、何とも美しい舞を踊るのだ、と……。
この真偽のほどを確かめたければ、一度その日にこの地を訪ねられればよい。
美しい、近江の地を……。
馬渕の里を……。
首洗いの池は今も、静かに、鏡面のごときその美しい水面に周囲の美しい風景を映し出している……。
さて、美しい白鳥の舞とは別に、二月のその時期に……。
ここ馬渕の里では、風が強ければ、女性の悲鳴にも似た風のうねり声を聞くことがある。
その声を聞いたときは……。
ハンセン病というだけで故郷を追われ、異郷の地で非業の死を遂げた一人の娘の物語を思い出して欲しい……。
そしてさらに思いを馳せて欲しい……。
未だに多くのハンセン病患者が、故郷の地に帰りたい思いを抱きつつも……。
結局は、二十一世紀の今に至っても、人々からの言われのない差別のために、その帰郷が許されず、望郷の念に心を掻き毟られながら、今も異郷の地で孤独な死を迎えなければならないのだ!
という現実を……。
(完結)