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若気の至り

シスターメロウ

作者: てり

 姉さんは頭が良くて、そして頭が悪かったのだと思う。そうでなければあんな事をする筈がないものね。尤もこれは、一族の変わり者である私だから言える事なのかもしれないけれど。

 そう、私は変わり者。人魚の世界の異端者。神秘に魅せられ魔女に弟子入りした愚か者。友人と呼べる者は1人も居ないし、血縁者からも優しくされる事は殆んどない。でも良いんだ。師匠に言わせれば魔女というのはそういうモノらしいから。それに。真に愚かなのは私ではなくて自分と違うモノを馬鹿にする彼らの方だとも言っていた。


 嗚呼、話が少しずれた。今私が話したい事は自分自身ではなくて姉さんの事だ。家族の中、いや私達の種族の中で一番の美人で、魔女の弟子になった私に対しても優しかった賢い姉さん。彼女は海の上で人間に恋をしてしまった。彼に会いに行くには人間にならなければならないと思った。そして師匠の所にやって来た。

 勿論師匠も私も彼女の考えは間違っているのではないかと思った。しかしそれを口に出す事はできなかった。だって私達の仕事は訪ねてきた者達を教え諭す事ではないのだ。唯この場所に訪れたモノ達の望みを叶える、それだけが私達にできる事なのである。海という広大な社会が魔女という存在に求めている役割はほんの僅かであり、この仕事以外で私達が受け入れられる事は一切無い。だからやって来た相手が助言ではなく品物を求める限り、私達は彼らの意志に反する言葉を口にする事はない。でも目は口ほどに物を言う。姉さんは私の目を見て悲しそうに笑った。嗚呼、私の気持ちが表情に出てしまったのね。姉さんは私に「ごめんね、でも私にはこれしか思いつかなかったのよ」と苦笑した。そして自身の透き通る様に美しい声を、ヒレから人間の足に変える為の薬と交換していった。


 その夜私は泣いた。姉さん、姉さん。なんで人間なんか好きになってしまったの。師匠の腕の中で、私はまるで小さな子供の様に声を上げて泣きじゃくった。


 その日から数日が経って、今度は別の姉さん達がやって来た。人間になってしまった姉さんを助けたいのだそうだ。あの、姉さんを誑かした人間を殺せばきっと……。師匠は何も言わず小振りのナイフを1本渡した。対価は残りの姉さん全員の綺麗な長い髪の毛だった。そしてそれ以降、私達の住む所に私の血縁が訪れる事は無かった。


***


 月日は流れ、或る日私はふっと姉さんの事を思い出した。声を亡くして足を手に入れた姉さん。彼女は一体どうなったのだろう?他の姉さん達は私に何も教えてはくれなかったのだけれど。そう師匠にも尋ねてみる。すると彼女はこう言った。

「気になるのなら身にお行き。但し必ず此処に帰ってくるんだよ。私の後を継げるのは、今のところあんたしか居ないんだからね。」

 感情を感じさせない声で紡がれた言葉に頷くと、私は外へ向かった。


 久し振りの外を満喫しながら、広い海を上へ上へと泳いで行く。真っ直ぐと脇目も振らずにヒレを動かせば、そう時間を掛ける事無く太陽の光の下へと出た。ぱしゃん、という音と共に透明な境界を破る。海とは違う青が、頭の遥か上を覆っていた。空だ。知識としてしか知らなかった存在に私は息を呑んだ。

「うわぁっ!」

 生まれて初めて見た景色に小さく感動する私から離れた場所で、そんな叫び声が上がる。どうしたんだろう、と気になって視線を動かしてみれば、岩場に小さな人間がへばり付いて居るのが視界に入った。たぶんオスの子供。実際に見るのはこれまた初めての事なので少し自信が無い。しかし明らかに海に生きる者とは違う姿のその動物がごつごつとした岩の上に貼り付いているのは、どう見ても危険そうだった。水の中で息ができない生物にとって海は恐怖の対象だと思うのだけれど。心の片隅に心配を抱きながら私は口を開いた。


「キミは……人間?こんな所で何をしているの?人間にとって此処は危ないでしょうに。」

「じゃあ君は?」

 危なくないの?こてん、と首を傾げてその小さい生物は問い掛ける。どうやら私の事を人間だと思っているらしい。顔の造りは私もその人間も同じ様だから、勘違いするのも当然なのかもしれない。でも違う。

「私は人間じゃないから。人魚なの。」

 至って簡潔に返せば、人間の子供はきょとんとした表情になった。が、すぐに笑顔になる。そして言った。

「なぁんだ。それなら母さんと同じだ!」


「母さん?」

 ほんの少しだけ頭を傾けてそう聞き返す。すると子供はうんっと大きく頷いて、何処か得意そうに口を開いた。

「僕の母さんはね、ずぅっと昔、人魚だったんだって!母さんは話せないんだけど、絵を描いて教えてくれたよ。」

 それからその子供は自分の母親について詳しく教えてくれた。


 この国の王子に恋をした彼女は、彼に会う為に人間になった。しかし漸く再会した時には、既に王子は結婚した後だった。彼女はそれにショックを受けた。が、彼がそれで幸せならば良いと、素直に身を引いた。自分の姉妹に貰ったナイフで王子を殺せば再び人魚に戻る事もできたが、それはしなかった。自分がどうなるかという事よりも、王子に幸せになってもらいたかたのである。その後彼女は色々な場所で働き、知識を身に付け、財を得た。そして小さな孤児院を開いた。働く先々で見掛けた、身寄りの無い小さな人間達を助けようと思ったのだろう。彼女はまるで子供達の本当の母親であるかの様に優しく、時に厳しく子供達を育てているらしい。


「だから僕達はみーんな『母さん』って呼んでいるんだ。」

 誇らしげに言って人間の子供は話を締め括った。私はそれに「そう……」と小さく零して頷いた。

 きっとこの子供が言う『母さん』というのは、私の姉さんの事だろう。姉さん以外に人間になった人魚なんて知らないし、何より優しい姉さんらしい話だった。嗚呼良かった。生きていてくれた。絶望して死んでしまったりしていなかった。良かった。本当に良かった。安堵した私の頬を、つー、とひと雫の涙が流れていった。


「ねえ。キミは今、幸せ?」

 静かな声でそう尋ねる。そうすれば人間の子供は迷う事なく「うん、幸せだよ」と答えた。それに私は、そっか、と笑うと続けてもう1つ質問した。

「それはキミの母さんも?」

「うん!だっていっつも楽しそうに笑ってるもんっ。」

 答えが返って来た丁度その時、岩場の向こうからがやがやと複数の声が聞こえてきた。それに気付いた子供が私に背を向けて陸の向こうを確認する。「あ、みんなが呼んでる!」そう叫んだ。どうやら一緒に暮らしている仲間が子供の事を迎えに来たらしい。

「僕もう行かなくちゃ。じゃあね、人魚さん。ばいばい!」

「ばいばい。」

 笑って手を振りながら岩の向こうに消えて行くその子供に、私も笑顔で手を振る。そうして私は海に潜った。


 潜る前に、岩場に立って楽しそうに笑っている姉さんの姿が見えた気がした。


***


「どうだった?」

 暗く静かな海の底に戻ってすぐ、師匠にそう尋ねられた。私は目を閉じて、空の下での小さな出会いを思い出しながら答えた。

「たくさんの子供に囲まれて幸せそうでした。」

「そう。良かったわね。」

「はい!」


 姉さん。貴女がこれからもずっと幸せである事を祈っています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 人魚姫をモチーフにした作品で 原作とは違い、人魚姫が現実世界で報われたのはとてもよかったです [一言] おそらく、なろうでは評価されにくいジャンルのお話だと思いますが 私自身はとても楽し…
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