サンショウウオ釣り編 封鎖
ツカワの町を出て1日ほどでついた町を遠目にリンテは悲鳴を上げていた。
「そんな! 何で町ごと封鎖なんて!」
疫病の流行の確認や準備のために、疫病の発生したイヘの町にやってきた俺たちは、そこで昼でも閉じられた門と市壁を取り囲む兵士達を目の前にしていた。その事実から考えられることは、リンテの上げた悲鳴どおりに町を丸ごと封鎖したと言うことである。町丸ごとの封鎖はパニックを引き起こし暴動の可能性が高まるため、通常は簡単に採れる手段ではない。
だが市壁を取り囲む兵士の数も多く物々しい上に、戦争中に一人でも兵士がほしい状況で、人口1万人の町を2千人で取り囲んでいることを考えると、殺してでも暴動を押さえ込むつもりだと思われる。
「発生したのはいつだっけ?」
「一ヶ月前になります。こんなに早く町ごと封鎖するなんて、信じられない!」
「事実として封鎖している。ということはだ、爆発的に流行ったか、またはペストとかの別の病気だったか、薬が手に入らないと早々に諦めて町ごと殺す気になったか、色々考えられる。とにかく中の情報を集めないとな。この警備じゃあの中に入るのは難しそうだが」
町ごと殺すの一言にリンテは顔を青くしたが、喚いたりはせずに冷静に連絡手段を講じ始める。
「とにかくどうなっているか、門を守っている兵士達に話を聞いてもらえますか? 貴方は顔を知られていないし、幸いなことに馬車があるので、予定より早いですが商人を装ってみてください」
「空荷じゃ怪しまれるんだが」
商人というものは目的地が決まっていれば、そこまでの荷運びを請け負うものである。たとえ他人の用事で行くとしても商品を乗せたところで、行き来にかかる時間は大して変わるものではない。ついでに荷運びするのはよくあることなのだが、それがないと怪しまれてしまう。
「では、鍛冶屋のラボズの頼みだと言ってください、あの人はちょっと帳簿の管理とかが怪しくて、気がついたら納期が来ていたとかよくあるんです。交渉できるようであれば、私の名前を出して中の様子を聞いてみてください」
「鍛冶屋のことまでよく知っているな、むしろよくつぶれないなその鍛冶屋」
俺の呆れ気味の感想にリンテは苦笑して続けた。
「腕は良いんです。銀細工職人も兼ねていて、細工物が得意な芸術家という所なのと、出来合のものを売る分には問題の無い商売をするのでやっていけるんです。よくお手伝いしたものです」
そういうリンテの目には望郷の念が窺える。よほどこの町に思い入れがあるのだろう
「じゃあ、帳簿管理の甘いラボズさんを横暴な借金取りのように、商品の催促をしてみよう」
その一言にリンテは引きつった顔で止めに入る。
「勘弁してあげてください。一度借金で大変な苦労をしたことがあって、それ以来借金恐怖症になっているので連絡が取れなくなります」
苦労しているなラボズさん、まあ納期守らないんじゃ自業自得だ。何はともあれリンテを馬車から降ろして、その辺の林に隠すと再び馬車を進めた。
そうして馬車で近づいていくと、こちらが声をかける前に向こうが声を上げた。
「止まれ! この町は現在封鎖中だ。引き返せ!」
門の前に常駐していた兵士が声を上げている。そこで俺は馬車の御者台から降りると、近づいていって事情を聞くことにする。
「すみません、この町の鍛冶屋のラボズに用事があるのですが、何とかつなぎを取れませんか?」
俺は下手に出ているが、兵士の返答はにべもない。
「封鎖中だと言っている。そんなことは不可能だ」
若干警戒を浮かべた顔で答える兵士は、このやりとりにうんざりしているようだ。町を封鎖していれば、当然事情を聞かれる。このやりとりも数え切れないほど繰り返したのだろう。
「どうして封鎖しているんでしょう?」
「この町の領主のご家族を害そうとしたものが居る。即座に封鎖態勢をとったから、犯人は中にいるはずだ捕まるまでは封鎖を続ける」
「いつまでとかはわからないんですか?」
「犯人が捕まるまでだ」
「実はうちは鍛冶屋のラボズ氏に商品の発注をかけてましてね。とっくに納期は過ぎているんですが、未だに商品が納入されていない、毎度のことなので慣れてはいるんですが、商品がもらえないのは当然困ることでして、催促だけでもしたいんですが連絡取れませんか?」
「暗号のやりとりなどされては溜まらないからな、町に必要な物資を除いて人も物も出入りは禁じている。当然ラボズ氏をここまで連れてくるのも不可能だ」
「伝言も駄目ですか?」
「駄目だ。そもそもその馬車は空荷だな? 本当に商人か?」
「いえいえ、私は単なる使いです。商人ギルドに登録もしていないような、ただの使いっぱしりですよ、何度も催促に来るものだから、とうとう運ぶ商品がなくなってしまいまして」
それほどかと兵士が呆れている。悪いなラボズ氏、さらに評判落としてしまって。
「それはご苦労なことだが、連絡は不可能だ引き返せ」
「いつ頃封鎖が解けるとか目処も立ちませんか? 封鎖して探しても見つからないなら、犯人は外に逃げたかもしれないでしょう?」
「重大事件につき無期限の封鎖だ。上が判断するまで何も変わらん」
「じゃあ、しょっちゅう見に来るしかないですね」
「それは間者の疑いが出るぞ?」
兵士としては不審な行動をする輩は逮捕する、と言うことをちらつかせたのである。兵士の苦労もわからないではないが、普通ならこう返すだろう。
「そうはいっても、そもそもこの町を封鎖しているなんて隣町で聞きませんでしたよ? 何も通知していないのでは?」
「不名誉な事態だからな、余所には通知していない」
「様子を見に来ることも駄目で、通知もなしでどうやって封鎖解除の知らせを知るんです?」
俺の問いかけに兵士は答えに詰まると、次のように返した。
「そんなことは知らない、とにかく通せないからな」
「わかりましたありがとうございます」
そうして来た道を引き返す俺は、林の陰に隠れて見えなくなるあたりでリンテを拾った。そこで事情を話すとリンテは即座にこう言った。
「嘘ですね。あの町の領主はそもそもそれほど重要人物というわけではありません、戦時中に2千人もの兵を動員できるわけがないんです」
聖女よそこまで言って良いのか、仮にも領主だぞ。本人が聞いたら侮辱ととられかねない発言である。ただし言っていることは真っ当である。戦時中なら総力戦になっても数万人の人員で戦争をするのである、一軍あたり1万人で戦闘をすることもざらだ。その5分の1の人員を貼り付けるには、王族の殺人未遂でもなければ実現は難しい。
「まあ、そうだろうな。領主の家族の殺人未遂でこの警戒は異常だ。原因が疫病の方が信憑性がありそうだ」
「何かありましたか?」
「兵士の態度がな、何度もやったやりとりだろうに警戒の色があったんだ。普通ならうんざりしているだけのはずなんだが」
殺人未遂犯が複数人だとしても、2千人で町ごと取り囲むのはやりすぎである。当然動員される兵士もやる気を無くすのが普通だが、それにしては警戒の色があった。
「隠し事があるからばれないようにしているということですか?」
「そういうことだな」
「やはりイペンサさんを引き込んで正解でした。冒険者としては仰るとおり腕はないのかもしれませんが、これだけ頭が良ければ色々やれるはずです」
頼りにしています、とニッコリ微笑むリンテは確かに可愛らしいんだろう。人気があるのもうなずける。
「色仕掛けは、あと2年はしてから出直してこい」
とはいえ俺の反応は冷めたものだ。
「そんなつもりはありません! 素直な感想を言ったのに、なんで捻くれてとるんですか!」
リンテは怒ってしまったが、俺としてはそんなことは気にしない。
「で、どうするんだ?」
「矢文しか方法はないように思われます。私が魔法で飛べればそれでも良いんですが、残念ながら飛べませんし」
この状況で壁を越えて連絡を取るとなると、兵士に賄賂を渡すか、何らかの詐術で兵士を騙すか、後は警戒の手薄なところから矢文を射る程度くらいしか思いつかないだろう。矢文とは矢に手紙を巻きつけて、目的地にその矢をいることで手紙を渡す手法である。ただし壁が視界を阻んでいるので、どこに矢が行くかは運しだいの可能性が高い。
「衝撃緩和とか使えるか?」
そこで俺はほかの手の検討を始めた。
「もちろん、それがなければ滝に飛び込むなんて真似はしません」
「そうか、滝に飛び込んでるんだよな、なら大丈夫だよな」
幸いなことにリンテは条件を満たしているようだ。
「何させる気ですか?」
だが俺が解決手段を見つけて考え始めたというのに、リンテは不穏なものを感じ取ったように警戒を強める。
「矢文を射るとして、コントロールできるの?」
「この辺は市壁より高いものはありませんし、当てずっぽうになるかと思いますけれど」
やはりリンテには矢を射る特殊な技術というものはないらしい。そもそも弓も矢も準備してこなかったので、一度町に戻るには時間が掛かる。
「それじゃ、間者として疑われるだろう? しかも連絡を取れるとも限らない」
そこでこうして説得するわけだが、リンテはさらに警戒を強める。
「本当に何させる気ですか?」
「なに滝に飛び込むのと似たようなもんだ」
俺は心配するなとにっこりと笑うが、リンテは一向に警戒を緩めない。俺の笑顔はさぞかし怪しく映っているらしい。
「あの選択は破れかぶれの命がけの選択だったんですけど」
一行に乗ろうとしないリンテだが逃れることはできない。俺は魔法の言葉を口にした。
「なに、他人を脅すことが出来るなら簡単ですよ」
この一言でリンテも乗らざるを得ないことを理解したようだ。
「うっ! それを言われると、返す言葉もありませんけれど」
そうして俺が計画を話すと、リンテは青い顔して開口一番にこう言った。
「無理です! 死にます! 失敗したらどうするんですか!」
「他人の命をかけさせることが出来るんだ。自分の命をかけるなんて造作も無いだろ?」
俺の一言に反論を封じられたリンテは爺と同じく、冷や汗を流しつつ愚痴だけは口をついていた。
「恨まれるとは思っていましたが、こんな形で反撃するとは、本当に頭が良いですね。要らない才能です」
そうして町を望める高台まで下がって、さらなる計画を練りつつ準備を整えて夜を待つのである。
「さて夜だ、準備は良いな?」
「良くはありませんけど、どうせやるんでしょう?」
「その通りだ。自分だけ命をかけないなんて許さない」
そう言う俺の顔はリンテの笑顔を真似た、とっても良い笑顔であったことだろう。そうして俺たちは町から二キロほど下がった高台から降りて、町から一キロほどの門もない市壁がそそり立つだけの、警備の手薄な場所にたどり着くと準備を始める。といっても準備するのは主に俺である。リンテの方は皮鎧を着込み精神を集中させている、これから掛ける衝撃緩和の魔法に、自分の命がかかっているのだから当然だろう。
俺はというと川も何もない地点で竿を準備する。10メートルほどの竿だ、市壁の高さは8メートルほどである。とはいえ棒高跳びをするわけではない。棒高跳びで飛んだとしても、壁の周辺にいては怪しまれてしまう。だから投げ釣りをするのである。餌役はリンテだが釣る獲物が居ないあたりが残念だ。
つまりリンテを糸の先にくくりつけ、投げ釣りの仕掛けと同じく投げ飛ばし、町の中に送り込むという乱暴な手法である。普通こんな事をすればいくら何でも死ぬのだが、それは俺のテクニックとリンテの魔法で何とかするという計画なのである。鯨の魔物を釣り上げる竿である、人間一人を投げ飛ばすくらい何でも無い。
一応日のあるうちに何度か短い距離で練習を重ねてみた。はじめは重りで、次はリンテで練習をしてみた。今回の投げ釣りはちょっと本来の手法からは外れる。投げ釣りの場合投げたときは釣り糸は出るに任せて、着水してから糸を巻き上げるのだが、今回は途中で糸を巻き上げて釣り竿の撓りが衝撃を緩和させるのである。
あまり重いと釣り竿が折れてしまったり、糸が切れてしまうのだが、リンテは細身の女性で全く問題は無かった。それよりもリンテ自身の方が問題だった。速度0からいきなり人間を投げ飛ばすほどの加速を、リンテに与えることになる。急激な加速によって体内の血が偏り、貧血を起こして一時的に失神してしまうのだ。
投げる前は衝撃緩和を掛けることは出来ない。そんなことをすればふんわりとリンテが飛び上がるだけで、10メートルも飛ばないうちに着地してしまう。投げられた後に衝撃緩和の魔法を掛ける必要があるのだ。つまりものすごい加速の中で意識を保ちつつ、着水前に魔法を発動させる必要がある。失敗すれば当然ながら死が待ち受けている。
練習の必要があるのはリンテの方と言うことで、何度も練習するのだが、俺の釣り竿に釣り上げられて投げ飛ばされるリンテは、ちょっとリンテのファンにはお見せできない姿であった。ゴクチ川に向けて投げ飛ばされるリンテ、ゴクチ川から釣り上げられるリンテ、その様は基本的に俺の釣り糸で強化した皮鎧に掛けられた釣り針で、つり下がっているだけである。
それは親猫に首筋をかまれて持ち上げられている子猫のようで、ある種かわいらしさもあるのかもしれない。しかし川に投げ込まれているので水浸しで、まさに川に落ちた猫のようにみすぼらしい状態である。その姿を見てはリンテに交際を申し込んだ男達の恋も冷めるというものである。
色々と練習をした結果、精神集中の魔法を唱えることで意識を失わないことが判明した。それでも意識を失いそうになるらしいが、ある程度の危険は織り込み済みである。ここまでして町の中に入る必要があるのか検討もしたが、どんな事情で封鎖されているか知る意味でも、潜入する必要はあった。
普通なら他の手段を考えるのだろうが、リンテが大変な目に遭う分には俺は気にしないし、むしろ俺としては喜んでお勧めしたい手段である。リンテのほうも直接事情を確認できて、しかも今すぐ実行できるという点が無視できない要素であったらしい。
ちなみに投げられている間のリンテはひたすら「きゃぁぁぁぁ」と叫ぶだけである。叫びながらも魔法は自分に掛けているので、ある意味すごい才能だが、手法が確立される頃には声が枯れていた。回復魔法で治せば良いと思うのだが、リンテに声帯の医学知識は無いらしく、回復魔法を掛けることが出来なかった。
こうして英雄リンテの人には言えない挑戦が始まる。釣り竿で釣り上げられたリンテは、まず精神集中の魔法を唱える。
<フォーカス・マインド>
ちなみに精神集中は大きな魔法を使うときに、邪念を払うために使う魔法であって、攻撃を受けていても魔法を唱えられるようにする魔法ではない。そもそも攻撃を受けていても魔法を唱えることは可能なので、意外な効果が判明したという所だ。
「それじゃ、行くぞ、良いな?」
「良くはありませんけど、やってください」
「せいっ!」
と小さなかけ声とともにリンテを投げ飛ばす。リンテを投げ飛ばした先は市壁の中にある貯水池である。暴れ川の近くとあって洪水対策にそこそこ大きいものが用意されているのが、計画を練るために下がった高台から確認できた。とはいえ今は壁から1キロの地点にいる。市壁で見えない状態なので、目隠ししてリンテを投げ飛ばしたのと同じである。狙ったポイントに仕掛けを投げる、俺の釣り師としてのテクニックの見せ所だ。
「きゃぁぁぁぁぁ」
小さいながらもリンテはやっぱり叫んでいた。その声もかなり低く聞こえるのは、高速でリンテが飛んでいくからだろう。
「叫ぶなっていったのに、懲りないやつだな」
俺がぼやくとその光景を見ていたロタは「どんなことでもするってのは、本当なんですねぇ。こんな汚れ仕事までやるとは、聖女って凄いっす」と感心したかのようにお座りして目を輝かせている。




