ドジョウ釣り 後編
原稿用紙67枚分
「よし来た。任せておけ!」
その台詞とともに俺は、盾を構えヌマヌッシーにトマホーク(投げ斧)を投げつける。ヌマヌッシーの注意をイペンサから俺に引き付けるためだ。水から上がった直後に避けられる筈もなく見事に直撃する。牽制と様子見を兼ねた一撃だ。重いが威力のある一撃、準備がなければ重いトマホークなんて戦闘時に身に着けないが、初撃に一発食らわせる分には便利な一品だ。
ギギーーーーーー!
命中した斧はヌマヌッシーに悲鳴を上げさせる。注意は完全に俺に向かったようだが、トマホークはたいした損害も与えられなかったようで、ヌマヌッシーがブルッとふるい落とした。命中部に刺さったようだが、たいした出血もない。
「イアン前に出すぎるな、いつでもアースパイクに隠れられる範囲で行動だ」
兄貴は相変わらず慎重だ。今回は未知の相手ということで特に慎重なようだ。
「でもよ、さっさとしないと、仲間呼ばれちまうぜ」
「分かっている。だからまずは魔法で様子見だ。相手の様子を見ない限り手を出せないだろう。仲間が増えすぎて手の打ちようがなくなったら、仕事は失敗させればいい」
兄貴はこの仕事については命を掛けるほどではないと判断したらしい、準備も知識も時間もなしでは当然といえば当然だろう。とはいえ、俺の仕事は攻撃を受ける事だ、前に出なくては話にならない。
ギーギーギーギー
そうして俺が前に出て構えているうちにも、ヌマヌッシーは鳴き続ける。そうすると、沼の中から何匹もヌマガニが出て来る出て来る。ヌマガニはヌマヌッシーを守る盾のように前に出て来る。そうして大勢が整う前にヌマヌッシーに妹の攻撃が炸裂する。
<ファイアーランス>
これも様子見の攻撃だ。水生生物に火というのはこちらの火力が勝れば致命傷、ただし相手の耐久力が勝てば牽制にしかならない。今回の結果は後者だった。とはいえ、何発も食らえば別のはずだが、焼け焦げた部分が見る見るうちに新しい皮膚に成り代わっていく。ヌマガニ相手であれば、まとめて炭にしてしまう威力をあっさりと再生する能力は、事前情報どおりで持久戦をやれば間違いなくこちらが負けるだろう。
ギジギジギジギジ
ヌマヌッシーが口を開け威嚇をしたかと思いきや、口の周りにあるひげが伸びて槍の様に刺し貫こうとする。そのひげは曲線を描きながら複数の方向から同時に俺に襲い掛かってくる。10本のうちの4本ほどが俺一人に迫る、しかも複数が角度をつけてくる。盾でも防ぎきれない。
あわやと思われたが何とか避けることで回避したが、事前情報どおりとはいえ思ったよりも厳しい状況だ。角度をつけて同時攻撃では盾で防ぎきるのは難しい。アースパイクに対しても、突きというモーションは相性が悪く下手すると、こちらが身動きできなくなるかもしれない。ただし、あのひげが撓って薙ぎ払いの攻撃に出ないことだけでもありがたい。あの巨体からの薙ぎ払いでは、防いでもこちらが力負けして吹き飛ばされてしまう。
「どうするよ兄貴、生半可な攻撃じゃ通用しそうにないぜ」
「何とかひげを切り落とせないか?」
兄貴がヌマガニの相手をしつつも対応を考えている。前回の教訓を糧に、武器は重量で叩き割る両手持ちの、バトルアックスになっているため動きが若干鈍いが、ハサミをものともせずに一撃でヌマガニたちを叩き潰している。とはいえ、振りが遅くモーションが大きいために、囲まれないように立ち回りながらとなると殲滅速度が落ちる。ヌマガニたちはすでに10匹以上上陸し、ヌマヌッシーを守るように陣形を展開し終えている。兄貴はそのうち4匹を瞬く間に叩き潰したのだ。だがヌマガニの上陸はやむことがない、既に同数が上陸を完了し陣形を整えようと動いている。
「再生するんじゃねえの? あの回復力見たろ?」
「となると、雑魚を片付けて3対1なら何とかなるか?」
「通じる攻撃がないとな、ヌマガニだけならともかく、ヌマヌッシーのひげを避けながら雑魚を殲滅って難易度高いよ」
<ファイアーウォール>
そうして話し合いをしている間に、ヌマガニたちの足止めに妹の魔法が発動しヌマガニたちを焼き焦がそうと、地面から火が1メートルほど吹き上がる。とはいえこの魔法は範囲が広い分燃焼温度が低く威力自体は低い。人間相手であれば有効だが、魔物相手だと損害無視して突っ込んでくることも多い。案の定ヌマガニたちが隊列を組んで突っ込んでくる。とはいえ、それは事前に分かっていたこと俺と兄貴でヌマガニたちを足止めし、ファイアーウォールの手前で足止めを掛けて火であぶられるようにする。こちらが防御していてるだけで、ヌマガニは炎にあぶられ焼きガニと化していく。
ギーギーギーギー
そうしている間にも、火の海の向こうからヌマヌッシーが何らかの指示を出しているようだ。と思った瞬間に、水の槍が飛んできた。瞬間的に反応して盾を構える。
「うお!」
鋭さはないが強烈な水の勢いに盾が弾かれ、構えを崩す。何とか突き抜けることはなかったものの、しっかり構えないと盾を跳ね上げられる勢いに冷や汗が出る。
「ヌマアーチャーフィッシュです」
妹の状況分析がありがたい。ヌマアーチャーフィッシュはアクアランスの魔法のように、水を槍状にして口から吐き出す。その威力は生身で受ければ水が人体を貫くという、信じられない状況を生み出す。火で視界がさえぎられて目隠し状態に近い状況では、この攻撃は恐ろしいものとなっている。
「兄貴、盾なしじゃ、あの攻撃はヤバイぞ」
「なに攻撃があると分かっていれば何とかなる、少し下がってファイアーウォールから距離をとろう」
火で視界が阻まれるのを嫌って、ヌマガニがファイアーウォールを渡りきるリスクを取ってでも、視界を確保する判断だ。そうして下がった先にはアースパイクの槍の林である。ここが最終防衛ラインだ。これが抜かれるようなら逃げるしかない。そうして先ほどのファイアーウォールでヌマガニを5匹倒して、5匹のヌマガニをアースパイクの最終ラインで相手をする。ヌマガニはガタイが大きいのが災いして槍の林で支えている。とはいえ、ヌマガニの動きは鈍重だが鋭く危険なハサミをが迫る。そのハサミを何とか避けて反撃をしようにも、その隙を狙って今度はヌマアーチャーフィッシュの水の槍が襲い掛かる。この2種類の攻撃に対応するだけで手一杯になりつつある状況だ。
何とか二人でヌマガニの前進を阻んでいる間に、妹のファイアーランスの魔法が発動し、ヌマガニを一匹一匹炭に変えていく。3匹ほど倒して残り2匹となった時点で、さらなるヌマガニの上陸がヌマガニの壁を通してみることができる。今度も10匹ほど沸いて出てきた。小出しにされることで何とかもっているが、範囲魔法で焼かれることを警戒しているなら、それはそれで厄介である。集団で固まって攻めてくるなら、ファイアーウォールとファイアーピラーの、二段構えの魔法で一網打尽という手もあるのだが、隊列を組みつつも適度に間隔を取ることでそれを阻んでいる。
「お兄様方、ヌマイソギンチャックの触手が迫ってきます」
その一言でさらに注意を向けると、沼から無数の黒い触手が湧き上がるのが見えた。あの触手には麻痺の効果があり、皮膚に接触したりすると痺れて身動きができなくなっていしまう。
「兄貴どうする? 撤退するか?」
ヌマイソギンチャックの触手が戦線に参加したら前よりも更に苦しくなる。頑張ればやれるが、本当に命がけになる。通常ならいったん撤退して対策を練るのが普通だ。ここで逃げるかどうか決める必要がある。そうして迷いが生まれた瞬間だった。
「兄様!」
短く響く妹の危機感の迫った声に、とりあえず俺の体は回避を選択した。だがそれでも脚に激痛が走る。すぐに脚を確認すると俺の脚を触手のようなものが貫いている。すぐに剣を振るって即座にそれを断つと、兄貴のほうを確認した。そこに見えるのは脇腹を貫かれ倒れ付す兄貴だった。その触手はよく見ればヌマヌッシーのひげだった。ヌマヌッシーのひげは視界の横を回りこみ、林立するアースパイクの槍の間を縫って、ヌマイソギンチャックに気を取られた一瞬を突いて、俺達二人に攻撃を果たしたのだった。
<ファイアーピラー>
今まで温存していた妹の火系範囲魔法が炸裂し、範囲は狭いものの、ファイアーウォールよりも圧倒的に高温の火柱が3メートルほども上がる。これで近くにいたヌマガニは一掃した。もうこうなっては撤退しか道がないが俺は脚をやられ兄貴は重傷だ。最悪の場合は妹だけでも逃げるしかない。
<ファイアーランス>
再び妹の魔法が発動し兄貴の腹を抉っていたひげを焼き切る。兄貴は腹に刺さっていたひげを断ち切ろうとしていたが、ひげが暴れてバトルアックスをふるって断ち切るほど力を入れられずにいた。ようやくひげを断ち切られて一息ついた兄貴は判断を下した。
「リオカはイアンを支えて撤退しろ、私が殿を勤める」
それはほぼ間違いなく兄貴が死に、同時になんとか負傷した俺が逃げ切れるかどうかの賭けだった。だがそれは受け入れられない。
「俺は脚をやられている殿を勤めるなら俺だろ!」
「いいや、私のほうが重傷だ! まともに走れるとも思えない。お前達が行くんだ。争っている暇は無い! ヌマイソギンチャックの触手が迫っている。今アレに巻き取られたら、私達は一溜まりも無い早く行け!」
兄貴が正しいのは分かっていても、思わず反発してしまった。だが兄貴を置いていくわけには行かない。
「わかった。じゃあ俺と兄貴で残ろう。そうすればリオカは確実に助かり。兄貴が転移石を発動させるまで、俺が持ちこたえる。兄貴が転移したら。俺も何とか逃げ切る。アースパイクがまだ効いているんだから何とかなる」
転移石は全員持っているが発動までに時間がかかる上に、戦闘しながら発動させるのは難しい。しかも一個につき一人しか運べない。
「そんな、兄様、それであれば私が引き付けている間に、お二人が転移石を発動させれば済むことではありませんか!」
「無理だろ! 魔法だけであいつら全部抑えられたら苦労しない! 連発できないんだからすぐに接近されて終わりだ!」
そうして揉めている間に、とうとうヌマイソギンチャックの触手が迫ってきた。それらを剣で断ち切り兄貴を守るが、こうしていてもすぐそこには新たなヌマガニの一団が迫っている。こうなっては何とか兄貴に転移石を発動してもらうしか方法は無い。
「リオカ、私達にかまわず行きなさい。命令だ。お前では私もイアンも守れない。無駄死にしてはいけない。リーダーは私だ」
「イヴァーツ兄様!」
リオカが涙を呑んで決意を固めたときに、空気を読まずに話しかける馬鹿がいた。
「あの~、降参ですか? アレいただいても良いでしょうかね?」
目算で約10メートルの竿を掲げた馬鹿は今日の天気でも聞くかのように、ヌマヌッシーの討伐許可を求めやがった。
「この状況見て分からないか!? 良いに決まってんだろ!」
俺は剣を振るって、ヌマイソギンチャックの触手を必死に振り払いながら怒鳴りつけてやった。
「いや、そりゃ、分かりますが、言質は欲しくて。まあ許可をいただいたので、早速釣りを開始させていただきます」
そう頭をかきながら馬鹿が竿を振ると、竿の先に付いた一抱えもある鉄球状の錘が、10メートルの高みから隕石のごとく降り注ぎ、接近中のヌマガニ1匹を完全に砕いた。そうして今度は竿が振り上げられると、錘の先の糸に付いた返しのない大型の針が、手前側のカニを後ろから引っ掛け空中に放り出すと同時に針が外れる。そうして放り出されたカニは、放物線を描くようにしてアースパイクの槍の頂上に落下して串刺しとなる。針が自由になった竿は振り下げられると、またしても隕石のように錘がヌマガニを直撃する。一度の攻撃で2匹のヌマガニをほんの数秒で処理すること5回、新たに上陸したヌマガニはあっという間に全滅した。その間馬鹿の手元はほとんど動かず、竿の撓りだけでヌマガニを全滅させていた。
「いや~、大漁大漁、味噌はちょっと、取れないかもしれないですけど、後で食べましょう」
馬鹿は鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で、軽々と竿を竿掛けに固定すると、今度は別の竿を取り出すと竿を振り下ろした。そして最後まで振り下げることなく、途中で振り上げると糸の先についた籠から液状のものが沼全体に撒かれる。生臭い液体で魚の何かだろう。
「サビキ釣り~、そして、漁火~♪」
沼全体に撒かれたその液体に、小さな枝に付いた火を近づけると一気に燃え上がり、ヌマイソギンチャックの触手を焼き始めた。その火は同時に、沼の中にいるヌマアーチャーフィッシュに対する目くらましとなり。水の槍の攻撃も飛んでこなくなった。そうして雑魚の掃除が終わると、また別の竿を取り出した。
「散れ千本竿」
その一言とともに魔道具と思しき竿は膨大な魔力を発し、周囲の地面の彼方此方から無数に同じ作りの竿が生えてきた。その竿の先にはワニを虐殺死させたあの仕掛けが付いていた。
「フィーッシュ!」
その一言とともに馬鹿が手元の竿を振り下げると、周囲の竿も一斉にすべて振り下げられ、無数の針がヌマヌッシーに突き刺さる。次に馬鹿が手元の竿を引きリールを巻き上げると、ワニを内側から引き裂いたあの仕掛けが作動する。そうするとヌマヌッシーの体の表面という表面で血の花が咲いた。体の各所で針が刺さり、同時にリールの巻上げで大地に引きずり倒されたヌマヌッシーは、身動きすることもままならず悲鳴を上げる。
ギギーーーーー!
「ファイナルフィーッシュ!」
すかさずそこに始めに取り出した鉄球型錘付きの竿が振り下ろされた。開いた口を押し広げるように錘が潜り込むと、それに続いて針も潜り込んでいく。心臓の位置すら通り越した錘は、針を心臓の後ろまで引っ張りこみ、引き出される時には針のみを残して先に錘が引き出される。それに引かれて針も引き出されると狙い過たずに、ヌマヌッシーの心臓に突き刺さり引きずり出した。
そうして竿を引き上げると、見事にヌマヌッシーの心臓を釣り上げていた。軍隊とすら戦える釣竿の魔道具、城壁すら砕きそうな鉄球を振り回し、見事にヌマヌッシーの心臓を釣り上げやがった。俺達の命懸け苦労や、家族愛のために命を捨てる覚悟はなんだったのか! 馬鹿に対して俺は思わずこう叫んでしまった。
「アホかーーーー!」
最初っからお前がやれよ! この才能の無駄遣い野郎!
ヌマヌッシーの心臓を釣り上げた俺を出迎えたのは、歓声ではなくイアンの罵声だったが俺は構うことなくこう告げた。
「そこにいらっしゃるイヴァーツさんの命を救う方法があるんですが、あなた方の全財産で買いませんか?」
イヴァーツは緊張感が抜けたのか、もう既に息も絶え絶えで体を起こすことも出来なくなっていた。いつの間にかリオカさんが膝枕で抱え込んでポーションを飲ませている。だがイヴァーツはもはや瀕死だろう。回復魔法なんて使うことも出来ない俺だが、このままでは仕事に失敗してしまう。彼らに見せなかったもう一枚の契約書には、彼らを無事に帰す事が依頼の達成条件である。だがそのことは内緒でイヴァーツの命を売るのだった。
「なんだと!」
いきり立つイアンだったが。そこにすかさずリオカさんの声が掛かった。
「お兄様黙って! 分かりました買います」
流石だ。リオカさん。俺の狙いを読んだみたいだ。
「では応急手当が終わったら誓約書を書いてサインをお願いします。後でチェックしますから」
そう言って俺は準備に取り掛かる。彼らの全財産を奪うことが目的ではないので、誓約書なんかわざわざ書かない。準備もしてこなかったので、このイヴァーツが命を落としかねない状況下で、誓約書がどうのとやってられない。俺の狙いが分かっているならリオカさんも、妙な小細工はしないはずだ。
リオカさん達がイヴァーツをテントに入れて安静な状態に保ち、イアンが自分の応急手当をしている間に、俺は先ほど釣り上げたばかりの、ヌマヌッシーの心臓をまな板に載せるのだった。そうして俺は割り下を作り卵を割る。ゴボウにネギやセリの一種を用意して、ヌマヌッシーの心臓だけでなく、肝臓や腎臓等の内臓を取り出す。それらを取り出して割り下で煮てゴボウや薬味を加え卵で綴じる。これぞ失われた薬膳ヌマヌッシーのモツ柳川鍋である。これが爺の言った奥の手である。本来なら秘密にしなければならないが、彼らの命が危険なら使ってよいというのが爺の許可の内容である。
そもそも今となっては爺しか利用法を知らないヌマヌッシーの素材を、俺が食べようと思ったのは失われたレシピを発見したからである。現在から500年程前にはヌマヌッシーの素材は薬の素材にされるよりは、主に王侯貴族たちの薬膳として用いられていた。その効果は瀕死の重傷を健康同然に戻したり、年老いてほぼ働かなくなった人間の内臓を生き返らせる程である。当時は貴重な不老長寿の妙薬として食されていた。しかしその時代には伝統漁法など存在せずに、ヌマヌッシーを一体狩るのに、毎年100人や200人の死亡者がざらに出たそうだ。そんな犠牲に根を上げた人々がついには革命を起こし政府が転覆したそうだ。その後ヌマヌッシーは乱獲されて数は減っていたものの、誰も手を出すことなく数が戻っていったそうだ。俺の見た文献にはその頃を思い出した当時の落ちぶれ貴族が、もう一度食べたいものだと日記に記していた。
爺がなぜ薬として利用しているのかは分からないが、当時のことを知る人々が、犠牲を出すことなく乱獲することなく、何とか薬として利用しようと考えた結果だろう。だが俺はそんなことには関わり無く、そんな薬膳があるならさぞ美味かろうと、失われたレシピを復活させるべく試行錯誤して、釣り上げて食べていたのである。実際ものすごく美味く、薬膳の成果かこの数年はすこぶる体調が良いが、若い肉体にはそれほど効果が無いらしいので、正確なところはわからない。だが初めてヌマヌッシーを釣り上げたときは、俺のダメージも大きく怪我をしていたが、薬膳を食べた途端に傷が消え疲労すら嘘のように消えていた。
過去の過ちを繰り返すかのように見えるかもしれないが、当時の王侯貴族のように誰かの犠牲の上で、薬膳を食べているわけではないので、乱獲さえしなければ良いのである。爺が食うなといっているのは信仰上の理由であって俺には関係が無いし、人知れず食べる分には問題ない。効果が公になると爺が困るかもしれないが、そもそも薬に使う素材なのだから、遅かれ早かれ乱獲しようという人物はでるのである。実際に今回がそのケースに当たるだろう。簡単に取れるならそういうことを考える人物も出るだろう。爺の伝統漁法のほうにこそ問題があるのである。今や時代の変化によって良いポーションが出回っている以上、それほど必要が無いというのが爺の考えである。とはいえ簡単に取れるといっても、爺ほどに修行せねばならないというのであれば、簡単とはいえないのだろう。爺は心臓には手を出していないから、薬膳の肝となる心臓に手を出すと、伝統漁法といえど失敗するのかもしれない。
まあ、何はともあれ、出来た誓約書を確認の上で手を加え、もう一枚別の誓約書も作りお互いにサインを交わしたところで、出来た薬膳をイヴァーツに食べさせたところ、ギリギリの所で意識を保っていたイヴァーツの顔色が、一口ごとに良くなっていき、流石の俺もその効果に驚きである。食べ終わる頃にはわき腹の傷は塞がり、イヴァーツが瀕死の重傷だったといわれても信じられないほどである。この調子ならもう一度時間を空けて薬膳を食べれば完全回復するだろう。
「信じられません。ここまでの効果だと、伝説級のハイポーションを越えるのではないですか?」
「どうなんでしょうね? 失われた伝説の薬膳ですから、それぐらいの効果があれば霊験あらたかですね」
イヴァーツの回復振りに、リオカさんは喜びとともに驚愕に襲われているようで、表情が固まりっぱなしである。
「一体どれほどの価値があるのか考えたくありません。私達の全財産では申し訳ないくらいです」
「まあ、そこは気にしない方向で。今までは食べなかったんだから価値なんてなかったわけで、食べたことで価値が発生したわけですし。あと先ほど誓約を交わしたように、この効果と素材については完全に秘密にすること」
財産の譲渡契約とは別に口止めの誓約書も書いてもらったのだ。口止めの存在も明らかにしたくないので、財産の譲渡契約とは別にすることにした。
「はい、分かっています。乱獲のために犠牲者が何百人も出ても困りますし、それで政府が転覆するなんて恐ろしくて! 現在では戦争の原因にすらなりそうでとても口外出来ません!」
調理を続けながら言う俺にリオカさんの口調は若干興奮気味のようだ。
「あの商人! 絶対ぶっ殺す! あんな無茶苦茶な魔物と戦った成功報酬が、300万SDなんて巫山戯てやがる!」
今までは驚愕でイヴァーツの回復ぶりを見ていたイアンが突如怒り出した。そこに俺は料理を差し出す。
「はい」
差し出した料理を見たイアンが固まる。そう、差し出した料理はイヴァーツも食べた薬膳である。その価値は計り知れない。
「はいって、オイ、これはその伝説の薬膳とやらじゃないのか?」
「そうですよ」
「俺は死に掛けてるわけじゃないぞ? 良いのか?」
イアンの方は、ポーションのおかげで無理すれば歩けるくらいには回復している。
「歩いて帰ってもらいたいので、どうぞ。これの効果って日持ちしないので、これだけ効果が出るのは最大半日くらいじゃないかな? 塩漬けにすると効果がなくなりますし、乾燥させても氷付けでも同様です」
「なるほど、価値がどんどん減っていくわけだ」
「ええ、特に薬膳の要となる心臓が悪くなるのが早いんですよね。肝臓とかは特殊な製法で保存すれば薬効があるらしいですけど、俺は美味しく食べられれば良いので、知らないんですよね」
「本当にイペンサさんは料理人として特化しているんですね」
リオカさんが冷や汗を流しながら感想を述べる。彼女の考えとしては貴重な素材を無駄遣いしているように思えるのだろう。
「爺が言うには低級ポーションの薬効を二倍にするらしいですけど、高級ポーションでは意味が無いそうで、結果として低級ポーションの値段で高級ポーションを作ることが出来る、だけだそうですよ」
「十分凄いことだと思いますけど?」
「結局金がないと良い薬を安く買えても、結局は飢餓で死んでしまうそうです。爺は跡継ぎがいないので、段階的に通常のポーションを使うように切り替えたそうですが、死亡率は変わらなかったそうで、薬だけいいものになっても意味が無いそうです。つまり現在はポーションの値段と食料の値段を比べた場合、ポーションが圧倒的に安いということなんでしょうね」
「なるほど、これから食糧増産されれば状況も変わるかもしれませんが、現状では人助けにならないんですね。奥が深い話です」
「はい、どうぞ」
「私もですか? 良いんですか? 薬効はともかく、貴重な食材なのでしょう?」
「ええ、まあ、あんまり他人に食べさせるわけにも行かない食材ですから、私が食べるだけの分が残れば十分です。これの料理はまだまだ研究中でして」
そうして俺とリオカさんとイアンが同時に食べ始めると、今度こそ歓声が上がった。
「うま! なんじゃこら! 麻薬を使ってもこんな多幸感は出ないだろ! 中毒になりそうで怖いぞ!」
「ええ、本当に美味しいですね。素材特有のうまみが噛むほどに滲み出て来るようですね。味の変化があってスープまで美味しくいただけます。昔の王侯貴族が何百人犠牲にしても食べたいと思った、というのも理解できる話です」
イアンの無粋な感想はともかく、リオカさんは本当に美味しそうに食べる。頬が上気して赤くなり、艶っぽい瞳になっているものだから、もう辛抱たまらん! この人はこの癖で何人の男を惑わせてきたのか!
この素材を使って何とか新しい料理を作り出したいのだが、これを超える味は出ない。伝統料理というものは本当に馬鹿に出来ないものである。これだから失われたレシピの発掘は止められない。
そうこうしている間にもイアンの脚の具合は良くなったようで、イアンが驚愕を超えて戦慄している。
「そら恐ろしい効果だな、料理一つが国が滅ぶ原因といわれても納得しちまうぜ」
そうして薬効のあるうちにイヴァーツに食べさせるため、半日後に再度4人で食べたら、薬効のある部分はすべて使い尽くしてしまった。ちなみに二度目は全員にいきわたるほど量が無かったので、モツはドジョウ汁にし、通常の肉の部分をつかって蒲焼を作った。これもたいそう好評だった。肉の部分は大量に余ってしまうのでロタと貸し犬に食べさせたのだが、この時のイアンの反応が面白かった。
「オイオイ! 本当にこれを犬の餌にするのかよ! 売れば良いだろ! こんな美味いもの!」
「だから、売れないんですよ。世に流したらどんな厄介ごとが舞い込むか考えました?」
そう言ってロタに食わせると、ロタや貸し犬に混じって、イアンも生で塩すら振って無くても食いつきかねない表情で眺めていた。それでも大量に余るので、可能な限り燻製にして俺の知り合いにお土産にするのである。例年なら長期保存が出来るように冷燻にするのだが、リオカさんたちに付き合うとなると、長期保存の利かない温燻にせざるを得なかった。尤も長期保存に向かない食材でも氷魔法で巨大な箱を作って、その中に入れておけば一月くらいまでは何とかもたせることが出来る。出来上がった燻製はそうした地下の隠し倉庫に運び入れて、後日回収することにした。
そうして、帰りは道は流木も倒木も退かしてあるためスムーズに帰ることが出来、結果として全体の日程としては行きに3日、戦闘と治療に2日、帰りに2日と当初の予定に1日足した予定範囲内で収まった。そうして町に帰り着くと、準備のために一泊してからリオカさん達の全ての荷物を回収し、塩漬けにしたヌマヌッシーのひげだけを持たせて身包みを剥いだのである。
ミヤンキは怒っていた。昨日の夜に冒険者が手ぶらで帰還したことで失敗したのは分かっていたから、今朝の顔合わせでは如何に経費を払わずに済ますか、という点について考えていたが、契約書の現物がありシハヤの領主から紹介を受けたことを考えると、下手なことをすると領主の顔に泥を塗る。とはいえ今回の件は失敗続きであり既にそれなりの赤字を出している。そのために契約後ながら冒険者達の素性は調べていた。イドラ三兄弟は地元の英雄である。ゾエ国の冒険者の中ではほぼ最高クラスの名誉を得ている。シハヤでは知名度が無いが、それは彼らが大きい仕事だけを狙うのではなく、地元に貢献できる仕事は若干安い仕事でも受ける、というスタンスを取っているため活動範囲が広がらないのだ。彼らに難癖をつけるとゾエ国と冒険者ギルドを敵に回す。
もちろんこういうことも考えて、契約書に関しては可能な限り細工を施そうとしたものの、イヴァーツという長男にことごとく指摘されていた。結局自分の首を絞めることとなり、冒険者との契約では一番結びたくない契約を結ぶことになった。それは正否を問わず経費を依頼主が持つという契約である。この契約は冒険者に無理仕事をさせるときの定番契約である。冒険者ギルドはこの契約については厳しくチェックする。冒険者側で事前に支払いが発生するが、依頼主がこの種の契約を破ることが多く、それを守らせる保険機構が既に出来上がっている。
今回のヌマヌッシーの素材入手という件は長年温めてきた計画である。何しろ低級ポーションが高級ポーションと同じ効果を発揮する、という夢のような話である。伝統漁法を独占する祈祷師の翁の怪我を奇貨として、可能な限り利用することにしたのだ。
だがヌマヌッシーは強かった。通常の冒険者ではどれだけ数が居ても勝てそうも無いという報告を受けて、シハヤ領主に冒険者の紹介を頼んだのだ。そうして少なくない紹介料を支払って呼び寄せた冒険者は動こうとしない。そこへ祈祷師の翁の依頼で案内人が付くことになったのである。祈祷師の翁の監視役だろうがこちらは依頼料を払う必要も無く、冒険者を動かす材料にもなったので喜んで受け入れた。当然案内人であるイペンサについては調べたが、この一帯の町から祈祷師の翁に出入り禁止の指令が出ている、くらいしか分からなかった。その情報から追い出された弟子か何かと判断することにしたのだが、その存在が牙を剥いて来るとは思わなかった!
「詐欺だ! お前らは、適当な魔物を狩って嘘をついているに違いない!」
冒険失敗の報告を受けるだけと思っていたのに、とんでもない額の経費を請求され。ミヤンキは怒っていた。なんでもイヴァーツが死に掛けたそうでその治療薬が高額なのだ。監視もつけていたので負傷したのは把握しているが、それを表に出すことは出来ない。30億SDを超える一流冒険者の全財産の補填なんて、するわけにはいかないのだ。
「ほう、その証拠はどこにあるのです? 我々が持っている素材がヌマヌッシーのものではないと証明できると? しかも、我が領主様が紹介した私共が詐欺を働くなど、領主様に対する侮辱もいいところ、それを言い立てるおつもりですか?」
ゾエ国の貴族を持ち出して、権力と証拠の二つの観点から攻めるイヴァーツの反論に、ミヤンキは気後れもせずに答える。
「お前達が瀕死の重傷を負っても無傷になる、ハイポーションを持っていたことは証明できない!」
そう例え魔物の素材を持っていても負傷を折った証拠にはならないのだ。監視者は遠くから眺めていたので、ポーションの使用の有無までは分からなかったし、監視者の存在すら明らかにするつもりも無い、不利になるだけである。
「ここにハイポーションが一本ありますけど」
そう言いながら案内人が取り出した一品にミヤンキは目を剥いた。本当にハイポーションだとすれば30億SDなんて値段で売らないはずだ。軽く100億SDを超える物であり。出るところに出れば1兆SDでもおかしくはない。なぜ案内人の分際でそんなものを何個も持っているのか!
「それが本物であると、どうやって証明するのだ?」
「これが偽者であるとどうやって証明するのです? 試すのであれば相応の対価を支払ってもらう必要があります。現金買取でお願いしますね」
そこにイヴァーツも台詞を差し挟んできた。
「我々は証拠を提示しているのだ。その証拠を否定するならばそれ相応の物証の提示を願おうか」
「分かったそのポーションを買おうではないか、いくらだ?」
そこに案内人が笑顔でとんでもない金額を言い出した。
「1兆SDでお願いいたします」
請求額の300倍以上である。現金で支払いなど不可能である。町中の貨幣を集めても支払うことは出来ない。
「ふざけるな! それでは検証できないだろうが! こいつらには30億SDで売ったのだろうが!」
「緊急時で仕方なかったことと、リオカさんに惚れていたので格安でお譲りしたんです。検証のためとはいえ最後の一本である以上これは私の命のスペアも同然、あなた自分の命にいくらの値段をつけるんですか?」
瀕死の重傷を治せるポーションとなれば、まさに命のスペアである。この理屈で希少ポーションはいくらでも値を吊り上げる事が出来る。自分の命に安々と買える値段をつける馬鹿は居ない。ミヤンキがもし買える値段をつけるのであれば、案内人はミヤンキの命を買って死ねと命じるだろう。それはミヤンキも分かっているから下手な値段はつけられない。
「では、この場に重傷の人物が居れば売るというのか?」
「その人の身内に俺が惚れているのであれば可能性は十分ありますね」
惚れているとは便利な言葉である。惚れた女の身内を助けるために資産を投げ打つのは、いささか馬鹿に聞こえるが美談のうちである。知らない赤の他人に同じ事をすれば完全な馬鹿である。惚れているというのは、同じ条件を整えることが出来ないようにするための方便だ。同じ条件があるのに何で売らないのか、と迫ることを防止するためのものである。
「だが、これでは検証を妨害しているだろう」
「では、検証のためにハイポーションを捨て値で売る人物を連れてきてください。もちろん本物を所持する一流冒険者でお願いします」
病気で死にそうになっている冒険者でもない限り、まずそんなことはしないだろう。ハイポーションはそもそも入手が困難で手に入れているだけで、その所有者が如何に優秀かという証明になりかねない一品である。もし病気で死に掛けの冒険者が居るとして連れてきても、案内人の懐は痛まない。自分の分を売った金でその冒険者のハイポーションを買えば済むのだ。妥当な条件といえるだろう。
その後もミヤンキは何とか難癖をつけようとするのだが、のらりくらりと交わされてしまう。案内人の交渉術は商人もかくやという程であった。そうしてイヴァーツの台詞が止めとなった。
「ミヤンキ殿これ以上不服を申し立てるのであれば、公の場に出るしかありますまい。だがそうなれば我が領主が、私共に紹介した仕事で問題があったと公にするも同然、シハヤの領主の心象も悪くなるであろう」
つまり観念しろと言っているのだ。貴族が絡む仕事で詐欺や問題を引き起こすと、絡んだ貴族全員が信用を傷つけられて泥をかぶることになる。だから大抵のことは内々で済ませるのが暗黙の了解だが、それを破るというのはそれほどの大事であると同時に、関係者全員の出世の道が断たれることでもある。問題を起こすような人物と付き合いたくないのは誰でも同じである。イアン風に言うならば、「出る所出て社会的に一緒に無理心中してもいいんだぜ? あ?」ということである。
「わかった。支払おうではないか、イドラ三兄弟の資産の買い戻し交渉に入りたいのだが、構わないかな?」
何で案内人風情にこんな苦労をしなければならないのか! 詐欺の冤罪擦り付けて全て詐欺ということにしてやる! ミヤンキは大人しく支払う振りをしつつ、裏で冤罪を被せる為の思考を働かせ始めるが、その思考は間もなく途切れることとなった。
「いえ、困ります。具体的な値段交渉はクンバ商会にお願いしていますので、そちらにお願いいたします」
コイツ! 何でウチの敵対商会を知っているのか! それもこういう状況では最も相手にしたくない奴を引っ張ってくるとは! 極刑にいたるような冤罪着せてやる! 私に牙を剥いたのだ、殺して奪い尽くしてやる。私はただでは転ばんぞ。同時にハイポーションを奪ってしまえば今回の赤字を埋めて余りある。
そう考えているうちにも案内人は、ミヤンキの商館にクンバ商会の代表であるクンバを引き込んだのだった。クンバの表情は実に愉快そうである。圧倒的に優位なのが面白いのだろう。実に不愉快だが裏取引で賄賂を渡して低価格で買い取らせてもらうしかない。そう考えているうちに案内人は、クンバとの話し合いを済ませて立ち去っていった。
結果としてクンバは裏取引に乗らなかった。クンバはニヤニヤしながらこう言った。
「オイオイ、俺の条件はお前が高く買えば買うほど儲かる契約なんだ、手加減なんてするわけ無いだろ?」
敵対する商会に話を持っていけば喜んで交渉の代理をする条件である。しかもミヤンキに対しては被害が最大になるように設定された条件であった。一流冒険者の装備となるとミスリルやオリハルコンが使われている。これらの希少金属を使った鎧や剣は基本的に非売品である。それを金で購おうとすれば当然かなりの割高になってしまう、相場に上乗せしてでも現品を買い戻すしかないのだ。
嵌められた! 領主に切り捨てられた! そう気が付いたのはクンバとの交渉が一旦終わり、結局一日拘束されてため息を吐いた後だった。領主に謁見を求めた使いを出したのだが断られてしまった。ここ最近は無かったことである。大事故でも起こっていない限りは、数日後に会う約束すらもらえないということは無かった。そして、大事故も反乱も賊軍も存在しなかったのである。
まだ諦めてたまるか! 商人ギルドをなめるなよ! 賄賂を贈っているのは領主だけではない、商人ギルドの支部長にも贈っているのだ。こういうときこそ役立ってもらわなければならない。
「我ら商人は契約を重んじる。冒険者ギルドが保護する契約に我ら商人ギルドは協力すると盟約があるのだ。これを破ればギルド間戦争になる、我らの剣でもある冒険者を敵に回すつもりか?」
商人ギルドの支部長は面倒くさそうに答えた。
「そんなことは言っていない、犯罪者の犯罪を暴いて何の問題があるというのだ!」
意訳すると『犯罪者に仕立て上げるから手を貸せ』と言っているのだ。
「本当に犯罪者なら問題ないだろうが、その者は本当に犯罪者なのか?」
これまた意訳すると『下手に手を出すのは危険だろ、俺は協力しないからね』と言っている。
「これまでの利益を忘れたというのか?」
「今回は協力できないと言っているんだ」
「ウチの商館丸ごと買い付けられる額だぞ! 次回なんてあるか!」
「次回だよ次回」
支部長はつまらなそうにそう言って、立ち去っていった。
その後も諦めるつもりは無かった。誰も協力せずとも案内人を詐欺師に仕立て上げれば問題は解決なのである。だが祈祷師の翁の縄張りには誰も容易に近づくことが出来なかった。
あのくたばり損ないめ! ヌマヌッシーの伝統漁法や薬の作り方が欲しくて、その漁師連中を締め上げたのに全員が転職して、その方法を得られなかったのはあの爺のせいだ! それがここでまた邪魔をするというのか!
怒り心頭だったが町の有力者を暗殺してもうまくは行かない。間違いなく原因の究明がされてしまうし、原因が分からなくても土着の連中全てを敵に回す。領主の協力が無い状況下では下手なことすると自分の首が飛ぶのである。歯痒く感じつつも何とか引き伸ばし工作をして機会を窺うことしか出来ない。
今回の仕事は本当に幸運でした。絶対断れない頼まれ仕事、それに泥縄式に挑まされ当然のように失敗してしまいました。その代償は大きくイヴァーツ兄様の命すら必要としたのです。案内人がイペンサさんでなければどうなっていたことか、あのままであればイアン兄さんすら失っていたことでしょう。イペンサさんがイヴァーツ兄様の命を救う薬を買わないか、と仰った時は全財産で済むなら安い買い物だと思いました。元々身一つで冒険者を始めたのです。蓄えがなくなれば今までのように高額な依頼は、装備不足で受けられなくなりますが、生計が成り立たなくなるわけでもないのです。イヴァーツ兄様の命には代えられません。借金させられなかったのですから善意の申し出でしょう。冒険の失敗を命で償うのは冒険者の常道とはいえ、いざ自分の家族に降りかかると如何に辛いか良く分かりました。
冒険の帰り道の食事時のことです。このところイペンサさんの料理が、すっかり毎日の楽しみとなってしまいました。そうした落ち着いた雰囲気で私は切り出しました。
「お兄様方、ご相談があるのですが」
「なんだい? 言ってごらん」
イヴァーツ兄様が優しく答えてくれました。治療に一日とったのでイヴァーツ兄様の体調は良さそうです。今日も瀕死の重傷だったのが信じられないくらい、普通に歩いて帰途についていました。
「今後このような仕事を強制的に受けさせられる、半お抱えの状態はお断りするようにすべきではないでしょうか?」
「確かにね。こんなことでは命がいくつあっても足りない、今の状態が続く限り強制の仕事はいつかまた受けさせられるだろうしね。今回の件で許しも出るだろう。領主様にお伺いを立ててみようか」
「お、リオカさんフリーになるんですね。であれば、町に帰ったらデートしましょう」
それはフリーの意味が違います。私達はフリーランス(自由雇用)になるのであって、恋人が居なくなるわけではありません。とはいえ、私に現在恋人は居ません。イペンサさんの申し出にこう答えることにしました。
「考えておきますね」
「よっしゃ~!」と喜ぶイペンサさん、本当に無邪気な方ですね。
冒険7日目の夕刻ごろに町に着いたときには、宿屋で脱力してそのまま眠ってしまいたかったです。今回の仕事は行きも帰りも移動は楽だったので、仕事としては大分楽なほうに分類されるでしょう。しかしその仕事で死にかけた。その事実は本当に気疲れを起こさせる結果となりました。死にかけた上に冒険にも失敗、という気分が落ち込むことは甚だしい状況、慰めてくれるのはイペンサさんの料理だけでした。イペンサさん自身は残念ながら慰めにはなりませんでした。釣りをしている時と料理している時のイペンサさんは、真剣に楽しむさまが戦闘狂の傭兵の様であり、荒々しい凄みと独特の魅力をかもし出しています。それ以外の時はありふれたお調子者の若者で微笑ましくも思えます。ですが、その生き方の奔放さにはちょっと付いていけません。知り合いとしてはかなり愉快なお友達になりそうな人物ですが、結婚相手には不向きな方です。恋人くらいなら検討には値するでしょう。何しろ料理人としても冒険者としても、一流を超越しているのです。一緒に過ごす分にはさぞ楽しいことでしょう。冒険者と彼を表現したことについては、残念ながら彼の釣り師という職業については、未だに理解が追いつかないためです。
とにかく町に着けば冒険失敗の報告をしなければなりません。帰り道で事前にイペンサさんと打ち合わせましたが、彼がなぜ全財産を寄越せなどと一見すると無体なことを言ったのか? それは成否に関わらず経費は全て依頼人の商人持ち、という依頼条件を聞いていたからです。命を保つために薬を買うのは十分経費に含まれます。つまり彼は冒険に失敗した私達に対して、被害が最小限になることを考慮した上で、イヴァーツ兄様の命を救ってくれたと言っていいでしょう。失敗の可能性を見越してこの条件を押し通した、イヴァーツ兄様の先見性には本当に救われました。イペンサさんに全財産を支払うことは問題ありませんが、無茶な仕事を押し付けた商人のせいで全財産を失うのは、流石に馬鹿馬鹿しい話です。
全財産を確認した結果、普通に売れば最低でも30億SDにはなることが分かりました。一流の冒険者は装備も一流です。命を預ける剣や鎧も大変高価な物だからです。危険な仕事は報酬も高いのですから、それだけの元手が掛かるのは当然でしょう。その上で腕が伴わなければなりません。当然そのために手元に資産価値の高い貴重品を置いています。何か必要なものがあれば即座にそれが買えなければならないからです。今回のように怪我をして、その場で治療費を払う必要に迫られることも多いため、大抵は嵩張らない宝石などの貴重品として、服のどこかに隠しポケットを作って縫い付けているものです。今回の仕事は特に危険だと判断していたのでほぼ全財産をもってきています。無理な仕事を押し付けた愚かな商人は、一流冒険者を雇うことの責任を身をもって知ることになるでしょう。
私達の仕事の失敗報告にイペンサさんは付き合ってくださいました。イペンサさんは前日の晩のうちに、自分の依頼者に既に報告済みだそうで、無事依頼を果たしたようです。そこで私達とイペンサさんの間に取り交わされた、証文を元に経費の請求したところ、愚かな商人であるミヤンキ様は詐欺だと騒ぎ始めました。本当に愚かです。私達が借金するほどの金額を請求していれば、その可能性について検討に値するでしょうが、私達の全財産であれば身の丈を超える金額ということはありません。経費として発生しえる額としては妥当な範囲に収まります。実際にヌマヌッシーと戦った証拠である、ヌマヌッシーのひげの塩漬けがある以上は、詐欺を証明するのは難しいです。
それでも騒ぐ商人に対して、イペンサさんが伝説級のハイポーションを取り出したときは驚きました。確かにあの腕前であればもっていてもおかしくはありませんが、そもそもの入手が困難です。それを1兆SDで売ると言われた時のミヤンキ様の顔は、イアン兄様にとってさぞかし愉快だったそうです。ミヤンキ様は伝説級ハイポーションを目の前に、欲がむき出しになっていましたからね。騙し取ることでも考えていたのでしょう。
その後イヴァーツ兄様の一言によってようやく支払いに同意させると、イペンサさんはどこからか連れてきた商人様に私達の資産の受け取りや管理、その上買戻し交渉まで任せてさっさと打ち合わせを抜け出してしまいました。本当に奔放な人です。これほどの額の取引となると代理交渉人への支払額もかなり高額ですし、談合や癒着の可能性に目を光らせて当然なのですが、気にしていないようです。イペンサさんは稼ごうと思えばいくらでも稼げる人ですから、お金にはこだわっていないのでしょう。
その後イペンサさんは、ちょっと出かけてきますと1週間の旅に出掛けてしまいました。その間の私達は怪我のリハビリをしていました。回復薬でも回復魔法でも傷は完治しますが、再生部分が馴染まないという現象が起こります。特に再生部分の筋力なんかは落ちたりするので、剣を振るときに微妙な差が出たりして、命取りになることが多いのです。そのためのリハビリですが、シハヤの町から動けないという事情もありました。ミヤンキ様は私達の資産の補填を渋っており買い戻し交渉は難航しています。あまり難航するとイペンサさんの代理交渉をしている人の下にある、私達の資産が転売されかねません。それを警戒する私達は町を離れて冒険に行くことも出来ません。
とはいえ私達は無一文です。当然生活もしなければなりません。最低限の生活は冒険者ギルドからの資金提供で何とかなっています。これは冒険者保険の一種です。冒険者に死亡保険なんて掛かりませんが、依頼人が支払いを渋ったときに取り立てる保険はあるのです。これはまたイヴァーツ兄様が事前に冒険者ギルドを通して契約したことで、その保険が働いています。こう言ったトラブルを防止するため、依頼料に関しては通常は冒険者ギルド預かりになるのが普通ですが、今回は純粋な経費の負担であるため、ミヤンキ様から取り立てる必要があります。
それにしてもミヤンキ様の払い渋りは凄いです。冒険者業界でごね得なんて許されません。死にたいのでしょうか? 冒険者ギルドの基本的な仕事は仕事の斡旋ですけれど、仕事を斡旋すれば当然依頼料の支払いに責任が伴います。依頼をこなしたのにその代価が支払われなくては、冒険者ギルドが成り立ちません。冒険者ギルドの面子にかけて支払わせるのは当然、契約書がある以上債権者はこちらです。残念なことに最終的に殺して奪うこともありえます。冒険者ギルドに対立して公国が荒廃した例すらあり、貴族をも屈服させうる冒険者ギルドに楯突くとはものすごい蛮勇です。今回の相手は商人です。冒険者の下っ端はごろつきも同然で、その親分が冒険者ギルドです。一月もごねたらあの商会に何かあっても冒険者ギルドは黙認しますよ、という噂が流れます。そうなれば後の祭りです。店の商品がかっぱらいに合うのが日常となり、仕入れ商品も盗賊に襲われます。その商会に関わる商人全員がその対象となります。下手すると家族が身代金目当てに誘拐されるかもしれません。誘拐事件の解決のためには冒険者に依頼するしかないわけですが、冒険者がその依頼を受けるわけがありません。自分だけではなく一族郎党どころか関係者全員の、死刑執行書にサインしていることに気が付いているのでしょうか? もうそろそろミヤンキさんのお知り合いが、そのことを教えていっているはずです。冒険者ギルド相手に支払いを渋っている、という噂が流れていることでしょうから。
ミヤンキは怒っていた。冒険失敗の報告から1週間後に、冒険者ギルドから取立て代行人が来たので追い返した。その数日後に今度は知己の商人が、冒険者ギルドを敵に回したらどうなるか具体的に教えてくれたのだが、とても真実とは思えない。こんな脅しに屈することは出来ない。
「馬鹿言うな、ごろつきどもの親分にそんな権力あってたまるか、シハヤ領主だってガシ王国だってそんな無法は許さんだろう」
「それだけの権力はあるんだよ、魔物に対する治安は半分以上冒険者が担っているようなものだ。騎士団は国防のためであって大規模な魔物の群れにしか動かない。辺境にある村の魔物退治なんかに騎士は出てこない。冒険者がやっているんだ。冒険者が急に仕事しなくなったら、騎士団が動かざるを得ない。そうなれば不測の事態に対応できない。他の国に攻め込まれるだろうな。だから国だって敵に回したいと思わない」
「だが支払えば俺の商会は潰れるんだ!」
「商会が潰れる程度がなんだ! 日常的に店の商品が盗難にあい、仕入れ商品は盗賊に襲われる。守衛や傭兵は雇えないぞ、彼らは冒険者ギルドと何らかの繋がりがある。まともに買い付けなんて出来やしないぞ、商売が回らないんだ。実質的にはそれで商会は潰れたも同然だ。その上に妻も娘も攫われる。自宅に放火だってされかねない。一族郎党がその対象だ。関わりを持つ商人も同罪扱い、他の商人から商品なんて買えないからな!」
「俺の人生をかけた商会だぞ! それが潰れるなんて死ぬより辛い!」
「つまりお前は、妻や娘が攫われ。俺の商会まで潰されても、自分の商会が幾許か形だけでも存続するほうが良い、といっているのだな」
「だから、奴らにそんな力なんぞ無いと言っているだろう!」
「皆が冒険者ギルドの力を知っている。知らないのはお前だけだ。このまま支払わ無いつもりなら、一月以内に身内から刺される覚悟をするんだな。お前が死ねば権利は委譲されるからな」
知己の商人は底冷えする程の殺気を放って言い捨てると出て行った。
「あいつらのせいだ。あの詐欺師どものせいだ。俺は絶対に詐欺師に屈服などはしない!」
ミヤンキの中では案内人を含めた冒険者達が詐欺師になっていた。その行動の監視報告も受けていたのに、いつしか監視者も奴らの仲間だと思うようになっていたのだ。
ミヤンキは金を奪い取られると怒っているようだが、俺は儲け過ぎて困っていた。
俺のしたことといえば爺の依頼をこなした以外には、爺にヌマヌッシーが乱獲の危機にありと知らせて、その活動にリオカさん達の金で資金提供しただけである。冒険者ギルドに少し支援金も払ったが、約30億SDの資産のうち、爺経由でミヤンキ商会取り潰しと、ヌマヌッシー保護のために領主に払った2割と、交渉代理を任せた商人への支払い1割を引いて、約21億SD儲かったことになる。赤字仕事がものの見事に大儲けとなった。『損して得取れ』『情けは人の為ならず』とはよく言ったものだ。
何はともあれ儲け過ぎた事は事実である。俺は大金を持っていても使い道が無いし、ミヤンキ商会を潰したために、この地域の資本が減少してしまうのは困りものである。金は常に流れていないと利益を生まないのだ。貯蓄だけして使わないのは地域経済の悪化を招く。これを釣りに例えると、漁場から一気に食べ切れないほど魚を釣ってしまった状態である。何もしなければ釣った魚は腐るし、漁場からは親魚が居なくなることで、新たに稚魚が生まれなくなるしで良い事は無い。金は腐らないだろうと突っ込む無かれ、金の価値は変化するのだ。
ヌマヌッシーの肉を知り合いに捌くために、1週間の旅から帰ってきて困ったのはそれだ。そこで爺に相談して何らかの事業を起こすことにした。
「爺、どうしようか? ミヤンキ商会潰した穴を埋めないと拙いよ」
「お前の好きにするがいい」
「いやいや、爺も考えてくれよここら辺の有力者なんだろ?」
「この町は流通拠点だ。不足しているものは無い」
「そうすると、大資本投入すると同業者の邪魔になって恨まれるよねぇ」
俺としては大変頭の痛い問題だ。ミヤンキ商会が潰れた所為で路頭に迷う連中も多いだろう。かといって他の連中の邪魔するわけにも行かない。
「十分ありえる可能性だな。ミヤンキは確か仲買人だ。漁師相手の買い付けをしている」
「そうすると漁師は売り先が無くて困るわけだね? ミヤンキは買った魚をどうしているの?」
「ここら辺の料理店に売っているはずだ」
「あ~、ここらの燻製の品質が安定しないのはその所為かな?」
町で売る魚の燻製は味付けや保存法等、色々参考にしたいので興味を持って見ているが玉石混合といった具合なのだ。これは恐らく料理店が燻製を作っている所為だ。
「料理店が燻製を作って卸しているが何の問題がある? 燻製なんてどこの家庭でも作るだろう?」
「自分で作って自分で食べる分にはいいんだけどね。旅行者が保存食に買った物が旅の途中で腐るのは困るんだよ。料理店じゃ小売規模でしか燻製は作れない、だから店によって品質に差が出る。良い品質のものはいいけど、悪い品質のものはこの町で燻製を買わない理由になるんだよ。よし燻製工房作ろう!」
何とか抜け道が見つかったみたいだ。
「料理店が困るだろ?」
「まあ、それはそうなんだけど、町の発展のためには品質の良い保存食は必要だし仕方ないね。それに流通拠点に魚が集まってくるなら、買取業者が必要だし。料理店には新鮮な魚を提供できるようして穴埋めしよう。冒険者ギルドに相談の上氷を売れば魚の保存がましになるだろ。この辺て氷の扱いはどんなもんですかね?」
「高級品といったところだな、氷で保存した魚など庶民の手には渡らんだろうな」
「まあ、そこはそれ、食い詰めの魔法使い達に頑張ってもらいましょう。技術指導員が必要だねぇ。あ! リオカさんが居るじゃないか!」
「よかったな、任せたぞ」
「いやいや爺、任されるのは爺だよ。だって根回しから人の採用まで全部爺がやるんだもの」
他人事のような爺に、俺はニヤニヤしながら爺に言ってやった。
「わしはもう隠居する、俗世のことには関わりたくない」
「爺の引退なんて認めません。ついこの間領主に圧力かけたばかりじゃないですか、それの責任を取らずにどうするの? 皆期待してるよ? この辺りの有力者集めて直談判に行ったってね?」
「アレは例外だ。首が飛ぶのを覚悟で最後の奉公をしただけだ」
「じゃあ、俺がこの金もって他所の土地に投資しても良いと? 隣町に投資しちゃうかもよ?」
完全な脅しである。これが実行されると町と町のパワーバランスが崩れる恐れがある。変化は少なくない争いを生む、土着の民の代表者みたいな爺にはまったくもって歓迎できない事である。
「この性悪小僧が!」
こうして俺は爺の協力の下、1週間の旅から帰った直後から準備を始め、ミヤンキ商会が潰れる2週間で新たな商売を起こすのだった。その間は怪我がようやく治りつつある爺の老骨に鞭を打ちまくったのである。俺は金を出す係、爺が働く係である。普通逆だがそれでも何とかうまく行った。流石にこの辺の代表者だけあって人が集まってくるしバランス調整も上手い。ただし老人特有の年功序列の気風が強かったので、頑張れば若くても評価される仕組み作りだけは俺が指図する必要があった。その間に冒険者ギルドに相談の上で、リオカさんに氷を作り出す魔法の技術指導のお願いをしたところ、快く引き受けてもらえた。
結局冒険失敗の報告から3週間後にして、領主からの支払命令が出たが、ミヤンキはこれに領主の使者への面会を避け沈黙で答えた。そして即刻ミヤンキは契約不履行による詐欺罪で資産没収の上投獄された。これはシハヤの町にハゲタカと呼ばれる冒険者が集まってきた結果である。ハゲタカとは冒険者ギルドに支払いを行わず、楯突いた連中の私財を付狙う冒険者達のことを指す。彼らは盗賊といっても間違いではない。治安機関に現場を抑えられれば当然逮捕されるのだが、冒険者ギルドによる報復処置が行われると、事件が大量発生するのでそのうちの何人か捕まえたところで意味が無い。報復対象にほんのちょっとでも関係があれば、自宅に強盗が入るようなことになる。当然治安はこの上なく悪化するが冒険者ギルドは治安維持に協力しない。もう1週間ミヤンキの契約不履行を領主が放置していれば、それが現実となっただろう。
結局は冒険者ギルドから報復措置の開始命令は出なかったが、シハヤの町にスタートダッシュを狙ったハゲタカが流入したことで、治安が悪くなりつつあった。当然領主としては対応せざるを得ず、爺を通して得た6億SDの手切れ金に加えて、ミヤンキの商会の資産を加えても、領主はくたびれ儲けの銭失いという結果になったのではなかろうか?
そうして若干治安が悪い状況で、爺の働きのおかげで燻製工房が新築された。建築場所は町の外れの風下である。敷地面積は大きな倉庫1棟を2分割した感じだ。片側で燻製を燻しつつ、もう片方で燻製にするための仕込を行うのである。燻煙スペースは一度に鯉100匹を燻製に出来る燻製小屋を、10軒程建てそれを屋根で覆った感じである。長期保存する燻製というものは燻す期間が長い、1週間から数ヶ月かけて燻すため、大量生産しないととてもではないが元が取れない。だが失敗すると大量の失敗作が出来上がり、恐ろしいことになる。逆に言えば大量生産すればするほど、庶民に売れるほど安くなる。責任者の役割は大変重いので、爺の伝手で地元の燻製名人を引っ張ってきた。とはいえ個人でやっていた名人は、大量の失敗作を作る危険のある工場型の燻製工房は経験が無い。そのために失敗しても赤字が補填できるように、小分けに燻製を作れる燻製小屋を用意したのだ。徐々に大きな燻製小屋でチャレンジしていってもらいたいものである。安定するまでは俺自身も技術指導のために、ちょくちょく様子を見に来なければならない。本当に面倒臭いことになった。
氷の生産はリオカさんが技術指導したおかげで目処が付いた。これは冒険者ギルドの管轄で俺の管轄ではない。正確には魔法使いギルドも噛んでいるようだが丸投げしたので知らない。爺がその辺バランス調整していたから大丈夫だろう。適当な水で氷を作られると病気の発生原因になりかねないので、管理者が必要だったのだ。
後は買い付けの商人や流通の販売人などを手配すればよい。これはミヤンキ商会取り潰しであぶれた連中を使うことにした。利益を還元しない商売方法を改善する必要はあるが、ミヤンキ商会がやって来たことを全てなくす必要も無い。これまでは村人が血抜きした温い魚を町まで持ってきていたが、今後は氷を持った買い付け商人が各村を回ってできるだけ早く、氷につけて持ち帰ることとなった。彼らの監視は爺がすることになっている。漁師に利益を還元し従業員が食べていければ利益は出なくても良いので、それほどシビアなことにならないだろう。ミヤンキがやっていた危ない商売を切り捨てれば、実に健全堅実な商売のみが残った。
ミヤンキの支払いや、燻製工房の運営まで、全体の見通しが立って後は爺が何とかしてくれる段階になるまで、更に1週間が必要だった。結局シハヤの町周辺に5週間足止めされるのはかなり痛かった。1週間の旅の間に各地に使いをやって遅くなる旨は伝えたが、各拠点の協力者からはこう返事が帰ってきた。『働け!』と。働いてる、働いてるよ! お前ら俺が居なくても問題ないだろ? 何で働かせるんだよ!
ともかく一段落着いたので、リオカさん達と爺を招待して食事会を開くことになった。会場は燻製工房である。当然メインは各種燻製だったが、長期保存を狙った冷燻料理だけでは寂しいので、熱々の熱燻料理も提供したことでそこそこ華やいだ食事になった。ただし燻製工房だけあって鼻が馬鹿になるほど煙が漂っている。最近では虫も寄り付かないと評判になりつつあるくらいだ。そのうち工房の周りに食料保存系の倉庫が立ち並んで、虫除け代わりに使われそうなくらいである。町の外郭の外側に建ててよかった。壁の内側に建てたら文句言われたかもしれない。食料を扱うのに壁で囲まれていないために、腹をすかせた魔物に襲われる危険があったが、煙の所為で魔物も寄り付かない。
「それにしてもイペンサさんのお金の使い方はまるで貴族のようです。風来坊のような生活をしているのに、凄いです!」
リオカさんが褒めてくれるのが、大変嬉しい。
「いや、それほどでもないですよ」
ハッハッハ、などと笑っているとイアンが呆れた声でツッコミを入れる。
「これだけできるなら、商店主としてどっしり構えていたほうが、ありがたい連中が多いだろうにお前という奴は……」
「だが私達も見習うべきかも知れないぞ、いつまでも冒険者をやるのはリスクが高いし、儲けるという意味では拠点をもたないのは辛い。それもあって領主様に半お抱えとしてもらったわけだが、こうして協力者に資金提供してその分を後で利益をもらうなら、リオカが子供を作っても安定して生活が出来る」
イヴァーツは感心してしきりに拠点作りの方法を聞いてくる。まだ若いのに先のことを考えるとはさすが長男。冒険者には多いもののリオカさんも年齢的には行き遅れですからね。とはいえ冒険者の結婚最適期間を農民と一緒にするのが間違いだろう。15やそこらの小娘では冒険者としては駆け出しもいいところだ。
「ああ、それはいいですね。ただし都合の良い時だけ長期滞在したりしていると、『寄生虫め出て行け!』と追い出されますから、色々と気遣いやらなんやら必要ですからね。他にも裏切られるとかなり酷いことになりますよ、向こうは金持っているの知っているわけで、食事に毒を混ぜられかねません」
「実感こもっていらっしゃいますね」
リオカさんが菩薩モードを発動している。イアンは「それは面倒臭いな」と反応し、イヴァーツは「だが、ためになる」とまじめに考察している。確かに30億SDもあれば俺の真似は出来るだろうけど、かなり大変なのであまりお勧めはしない。
「俺は自分の趣味に金を貢いでいるつもりですよ。利益が金として返ってくるとは思っちゃいない。出資者が金出してこその成功なのだから、当然利益は還元されるべきなのですが、経営権を持っていると、それが自分のものだと思ってしまう人間の多いこと多いこと」
「本当にご苦労されているんですね。私と同じくらいなのにそんなことを経験するとなると、あまり羨ましく思えません」
おお、理解者がここに! ええ、金持ってても何でもうまく行くわけではないのです。
「今回のこの工房は監督が爺なので、爺が死ぬまでは大丈夫でしょうけど、代替わりしたら利益返って来ないだろうなぁ」
「確かにわしの死んだ後までは責任の持ちようも無い、それまでには工房の出資資金を返して置くとしよう」
爺の言葉が胸にしみますねぇ。爺が作ったんだから返さなくてもいいのに。
「なるほど、これほどに信頼できる協力者が必要なのか、それは難しいな」
イヴァーツに少しだけアドバイスをしておこう。
「裏切りが心配なら、あまり商売っ気の無い人を選んだほうがいいですよ、でもその分商売が失敗する可能性も高まりますけどね。爺は経験豊富なくせに引退したいんだから最適な人材かもね」
「どこが最適だ! 老骨に鞭を打ちおって、わしなんぞとっととくたばってしまうぞ」
「え~、でも、利益で元手を完済するとなると、どんなに早くても10年は掛かるから長生きしてもらわないと」
「親しい間柄の方にこうして迎え入れてもらえるなら、拠点作りはいいことかもしれませんね」
リオカさんは少し羨ましそうに、俺と爺を眺めていた。そしてロタはあまりの煙に鼻がもげそうと顔をしかめながら、燻製にされる前の魚を食べていた。今回は野菜付き、生野菜は高いんだしっかり栄養取れよ。
翌日別れの時が来た。俺はこれから南へと向かっていく、リオカさん達は北のゾエ国に帰っていく。だから町の中心でお別れすることにした。まだ朝靄の残る早朝にて、人もまばらな町の広場の噴水を横に挨拶を交わす。
「では、色々お世話になりました。兄を救ってくださり本当にありがとうございました」
「いえいえ、こっちも全財産一時的にでもぶん取っちゃって悪かったね」
ちなみにリオカさんたちにとっては今回の件、巻き込まれただけで儲けが無い。むしろ赤字である。依頼に失敗したのだから評判としてはマイナスになっているし、金銭的にも貸したお金が返ってきたのと変わらない。とはいえイアンの機嫌は上々である。イアンは自殺指令のような仕事を、ひどい安値の成功報酬で受けさせられたので、当初は本当にミヤンキを殺しかねないほど怒っていた。ミヤンキが逮捕されると、一転して笑い転げていた。依頼主が大損するのは冒険者にとってはマイナスなのだが、評判が落ちるのは気にしないようだ。
「世話になったな、どうせどこか出会うだろ、またな」
「命を救ってもらっただけではなく、我々の将来の参考にもなった礼を言わせてもらおう」
イアンの冒険者らしい挨拶、イヴァーツの堅苦しい挨拶、この二人も中々味のある人物であった。
「俺がゾエ国に行くとしたら、予定変更が無きゃ、夏くらいになります。その時は挨拶しに行きますよ」
「絶対ですよ。私達の居場所は冒険者ギルドに聞いてくださいね。伝えるようにお願いしておきますから」
リオカさんが初めて俺に媚びる様な視線を向けてくる。その艶っぽさに思わず、こう答えた。
「ええ、では必ずお伺いしましょう」
お互いに旅暮らし、確実に会えるとは限らない。
「その時再会して私がまだ独身だったら、今度は本気で口説いてくださいね」
「ええっと」
「今回は私を砂漠のオアシスのように、貴重に扱っただけで、そのオアシスに住む気は無かったでしょう? だから、今度は本気でお願いしますね」
「結婚を前提にでしょうか?」
「ええ、でも、その時私に恋人が居なかったらですよ?」
今度はいたずらっぽい笑顔だ、早くしないと無くなっちゃうぞと。
「ははあ、では、リオカさんも俺と同じく旅暮らしでも構わないか、それまでに考えて置いてくださいね」
「ええ、必ず。では夏にお会いするのを楽しみにしています」
こうして再会を約束したイドラ三兄弟との冒険は終わった。振り返ってみると中々楽しい釣り旅行であった。来年の夏ねぇ、一年先だとリオカさんはますます綺麗になっているだろうな。
次編もなんとなくプロット構想中
投稿日:2013/07/24
第一回訂正:2013/07/25
辻褄合わせも若干入りました。
第二回訂正:2013/08/21
誤字脱字訂正
第三回訂正:2013/08/22
句読点と誤字脱字を修正
第四回訂正:2013/08/23
誤字脱字を修正