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渡辺家歴代将軍

作者: 鱈井 元衡
掲載日:2026/03/29

渡辺章三郎しょうざぶろう

1905-1953


哲雄の曽祖父。哲勝によって神君廟に合祀された。


渡辺ただし

1934-2009


哲雄の祖父。本家と獅道家の共通祖先であり、『真祖』と称された。

家業を継ぎ漁師として生計を立て、2005年に行われた愛・地球博で哲雄と共に映った写真が博物館に保管されている。

のち、哲勝によって神君廟に合祀された。


1.渡辺わたなべ哲雄てつお

2000-2084

初代将軍。

2011年、東日本大震災の後に東京へ移住。

2047年、京都支社の崩壊と共に反旗を翻し、救国軍を組織。

2052年、特殊鉄鋼を滅ぼし、事実上の最高権力者となるが、まだこの時点では立憲君主制の権威を重んじ、元の体制を復興することを望んでいた。

しかし、ヤマト貴族団や妙法塾、佐藤一族との泥沼の戦争を経て、もはや社会民主主義の運動その物が困難となってしまったことを悟ると一転して権威体制による統治を志すようになり、2068年、日本政府から権力を移譲して将軍に就任する。


渡辺哲靖ひろやす

2024-2084


長男。周辺諸国へのミサイル攻撃をたくらんだが、それを阻止した哲幸によって暗殺された。

将軍に就任したものの正統な即位とはみなされず、哲義の代になってから名誉回復がなされた。

彼の子哲嗣ひろつぐは将軍家から外され、越辺こしべ氏を名乗る。


2.渡辺哲幸ひろさち

2026-2102


第二代将軍。哲靖の弟。

哲雄を神として崇拝を義務づけ、新生日本の国家体制を整えた。

また哲雄の祖先をも崇拝の対象とし、渡辺家の神聖さを重視するイデオロギーを普及させた。


3.渡辺哲勝ひろかつ

2057-2119


哲幸の子。

初の対外戦争となる南洋戦争に勝利し、神君に捧げることを決定。

彼の時代に国内外の問題の多くが解決され、ようやく社会が安定する。


4.渡辺哲宗ひろむね

2079-2140


哲勝の子。

彼の代から将軍の実権と、周辺の近臣の権力が乖離し始め、しばしば係争が起きる

将軍よりも支持を集めた渡辺道長と激しく争い合った。

民主派による暗殺未遂に見舞われてからは閉鎖的になり、民主化運動を弾圧した。


5.渡辺哲茂ひろしげ

2105-2160


哲宗の子。

当時渡辺道長が台頭し、扇動的な言動で民衆をマイノリティへの抑圧へとたきつけさせた。

道長が支持を得る一方で哲茂の権力はないがしろにされていた。

そこで逆クーデターを計画し、道長を失脚させることに成功。

しかし子はみな夭折し、哲雄の直系の子孫はここで絶える。


6.渡辺哲義ひろよし

2128-2185


獅道家の出身。元の名は道義みちよし

京都において皇族と初めて公式に会談し、天皇家の帰還や二元首論について議論しあった。


7.渡辺哲満ひろみつ

2157-2188


哲義の子。

いよいよ自身の国政を始めようとした所で夭折。

「彼が長生きしていれば、最高の君主となったであろうに」と人々を嘆かせた。


8.渡辺たくみ

2143-2213


歴代将軍の中で唯一傍流の出身。かの道長の曾孫。当時、将軍継承資格のある者が乏しく、また実力のある者を選ぶべきであるという風潮から選ばれた。神祇官渡辺哲元ひろもととともに政治を行った。

厳格な君主ではない、親しまれる者としてふるまうことを好んだが、実際にはその多くはすでに哲宗以降始まった開放的な将軍像の踏襲であった。

渡辺哲郷の反乱以後、病気がちとなる。子供はみな夭逝した。


9.渡辺哲範ひろのり

2184-2255


哲元の子。

匠の改革的な政策に対する反動で、一気に保守的に戻す。批判の意見もあったが、従来の生活に適応した民衆の中には歓迎する者が少なくなかった。

だが歴代将軍の中でもっとも治世が長いため、その社会については一様に語れるものではない。

晩年になると、改革派に対する態度を軟化させ、自由を解禁した。


10.渡辺哲丈ひろたけ

2211-2265


本名は志田しだ丈行たけゆき。十四歳の時、本家に養子入りする。

哲範の晩年の政策を受け継ぎ、改革派に沿った施策を行う。

「国家元首は世襲でなくともよい」という哲雄の遺言を公開した。これは当時国民に広く衝撃を与えたが、神君の意志を絶対とする一派は国家の現状に即してむしろ民主化に踏み切るべきであると主張した。


11.渡辺哲時ひろとき

2216-2267


哲靖の血を引く越辺こしべ家の出身。元の名は盛時もりとき

民主改革派と議論の末、民主化に議論の末合意。突如として謎の死を遂げる。反革新派による暗殺疑惑もある。


12.渡辺譲平じょうへい

2240-2306


2267年、即位数週間で将軍を退位し、その後一般市民として生活した。

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