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どうしようない毎日だけど、転生しないで生きてみます。  作者: 山河國破


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第九話 戒めの実。

帰宅した僕は、お母さんの遺骨を、お父さんの遺影の隣にそっと置いた。

そして僕は骨壷の中から、唯一残ったお母さんの生きた証……お父さんとの結婚指輪を取り出した。

煤けて黒ずんでいても、その奥には確かな「金」の輝きが宿っている。それを二人の前に供えると、僕は静かに背後を振り返った。


「……いるんだろ、バンシー。出てこいよ」


空気がかすかに揺れ、「ぼわん」とバンシーが口で言うとあの光が現れる。


「はーい、お呼びかなー? つかさっち、今日はなんだかお通夜みたいな顔……あ、本当にお通夜だったね! ゴメンゴメーン☆」


場違いなジョークを飛ばしながら、バンシーが宙でくるりと回る。僕はその軽口を、ただ無表情で(さえぎ)った。


「前置きはいらない。走りに行こう」


「あらー?」


バンシーが意外そうに目を丸くし、僕の顔を覗き込んできた。


「どうしちゃったの? らしくない、らしくないわよ、つかさっち。いつもなら『筋肉痛で死ぬー』とか『無理ー』とか、もっと面白いリアクションしてくれるのに」


おどける彼女を無視して、僕は玄関で運動靴を履こうとする。

かつての僕なら、彼女のペースに巻き込まれていたかもしれない。でも、今は違う。

怒りと、情けなさと、世界への断絶。

それらを全て飲み込んで、僕は今の自分を焼き尽くすための熱を求めていた。


「……そうだ」


僕は台所の戸袋から、中学の頃に使っていた古い水筒を引っ張り出した。水道水を勢いよく注ぎ、「喉が渇くからさ」と自分に言い聞かせるように呟く。


「いいじゃない、その準備。グッジョブ!」


珍しくバンシーが僕を褒めた。その言葉を背中で聞きながら、僕は固く、固く運動靴の紐を結び、家のドアから飛び出した。


夕暮れの茜色が残る街並み。

不思議と、身体が軽い。全身を(さいな)んでいた筋肉痛が、怒りという麻酔に塗りつぶされている。


「今日はいける……いけるかも!」

「その意気だよ、つかさっち!」


威勢よく叫び、僕は風を切った。……だが、そんな気概が持ったのは、ほんの数分だった。


「は、ひぃ、……っ、げほっ……!」


結局、数分後の僕は、いつも通りの無様な姿を晒していた。

上がらない足を必死に振り上げ、アスファルトの上を這うように進む。自分の身体なのに、自分の意志がまったく届かない。

大量の汗が目に入り、鼻水と涎で顔はぐちゃぐちゃだ。


「……あと、……なん……メートル……っ?」

「あと、五百メートル……かなぁ。頑張れー」


バンシーは既に飽きたようで、空中を漂いながら手元のタブレットに夢中になっている。

喉が焼ける。僕は震える手で水筒の水を口に運んだ。けれど、荒れ狂う呼吸のせいで上手く飲み込めない。


「げふぁっ、……ごほっ、ごほっ!」


咳き込み、水を吐き出す。

ちょうど帰宅時間と重なったせいか、通りゆく人々が僕を見て、一様に顔を顰める。「見てはいけないもの」「壊れた人間」を見るような、侮蔑(ぶべつ)と拒絶の視線。


(見てればいいさ……)


心の中で告げる。この中の誰が僕を救ってくれる? 誰一人、僕の痛みなど知りもしない。仮に今、誰かが手を差し伸べたとしても、それは「可哀想な奴を助けた」という自尊心を満たすための道具にされるだけだ。


僕を救えるのは、この世界で僕しかいない。

壊れてもいい。いや、壊れるまで走り抜いてやる。


「ぐぬぬぬぬ……っ!」


喉の奥から獣のような(うな)り声が漏れた。

最後にあと一歩だけでも。魂を削り出すように地面を蹴った瞬間、僕は派手に前へ転倒した。


「……か、は……っ、かは、……は……」


冷たい地面に頬を押し付け、仰向(あおむ)けに転がる。

空はもう暗く、遠くの街灯が滲んで見えた。


「……ひぃ、……あ、明日……また、頑張るよ……バンシー。……あと、何メートル、だった……?」


息も絶え絶えに問いかける。


「あ、ごめーん。ちょうどドラマがいいところで見てなかったわ」

「……そっか」


慣れっこだ。期待する方が間違っている。

バンシーは悪びれもなく空中の数値を指差した。


「えーっと、今……一千百メートルだね」

「……え?」

「……え?」


二人は、顔を見合わせた。


「クリアしてんじゃん! つかさっち、完走だよ、完走!」

「……っ、……はぁ、はぁ……。だったら、もっと早く止めてよ……」

「いやー、いけると思ってなかったからさー! ケラケラケラッ!」


この妖精は、本当に僕のことなんて興味がないらしい。

バンシーは空中で華麗にターンを決め、僕の鼻先に小さな実を差し出した。


「はいはーい。じゃあ、約束の『ご褒美』ね!」

「……っ。それ、食べれば、魔法でも……使えるようになるの、かい?」

「いいからいいから。はい、あーん!」


拒否する暇もなく、バンシーの手によって僕の口に「実」が放り込まれた。


「ん……? ……ッ!! な、なんだ、これ……ッ!!」


噛み砕いた瞬間、僕の味覚が崩壊した。

苦い、辛い、酸っぱい。そして口の中が焼け付くようにヒリヒリする。

人生で味わったあらゆる「不快」を凝縮したような毒々しい味が、脳を直撃した。


「おえっ……ぺっ、ぺっ!」

「ダメダメ、吐き出しちゃ! ほら、水、水!」


バンシーが僕の水筒を無理やり口に押し込み、水を流し込んでくる。

猛烈な吐き気に襲われながら、僕は死に物狂いでその「不味い実」を飲み下した。


「……っ、げほっ! ……殺す気かよ……。……それで、効果は? これ、何の実なんだよ」


荒い息を整えながら聞くと、バンシーはケロッとした顔で答えた。


「それはね、『(いまし)めの実』。成功して有頂天にならないように、謙虚な気持ちを取り戻すための実だよ!」

「へ……? ……じゃあ、その、能力アップとか、そういう効果は……」

「特にない☆」


僕は、そのまま仰向けに大の字になった。

がっかりした。全身の余力はもう一欠(ひとか)けらも残っていない。

口の中にはまだ、あの呪わしい味がこびりついている。


けれど。

夜空を見上げる僕の胸には、不思議と、これまで味わったことのない熱い何かが宿っていた。

一キロ。たったの一キロ。

ゴミだと言われた僕が、自分の足だけで、この世界の地面を一キロ分、走れた。

その確かな達成感だけが、僕の傷ついた心に静かな興奮を灯していた。

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