第八話 葬儀。
次の日、全身の筋肉が断裂したような痛みに耐え、僕は登校した。
役所の男性から連絡があり、「今日、簡素な通夜と葬式をまとめてやる」とのことだった。それまでの時間は「学校にでも行きなさい」と事務的に告げられた。
学校は、お母さんが命を削って通わせてくれた場所だ。ここを辞めることは、お母さんの誇りを捨てることと同じ。僕は歯を食いしばって、教室のドアを開けた。
「……あれ? お前、辞めてなかったの?」
いきなりグサッとくる。
入り口で、黒丸君が心底意外そうな顔をして僕を見下ろした。
「あ、昨日ちょっとね……。今日からまた、頑張るよ」
精一杯、顔の筋肉を吊り上げる。けれど、教室の空気はいつもと違っていた。
「ちょっと、やめなさいよ。この人、お母さん死んだらしいわよ」
女子たちが、汚物を見るような目の中に、わずかな「優越感を含んだ同情」を混ぜてヒソヒソと囁く。
心配なんてしていない。彼女たちはただ、自分より不幸な存在を確認して安心しているだけだ。
「……心配かけて、ごめんね。大丈夫だから」
僕が席に向かおうとすると、黒丸君が肩をすくめて笑った。
「そーだぞ、落ち込むなよ。景気付けにプレゼント、机に置いてやったからな」
嫌な予感が加速する。視界に入った僕の机は、異様な光景に変わっていた。
そこには、葬儀用の菊の花束が乱雑に置かれ、机の天板には赤いチョークで、うねるように巨大な文字が踊っていた。
『おめでとう』
……一瞬、頭の中が真っ白になった。
お母さんが、死んだんだ。
僕のたった一人の家族が、死んだんだぞ。
怒りが、黒いドロドロとした塊になって喉元までせり上がってくる。けれど、ここで暴れれば三田村先生に退学にされる。お母さんの願いが潰える。
僕は、血が滲むほど唇を噛み、震える声で答えた。
「……花、高かったんじゃない? お供えにするね。ありがとう」
「ケッ。……つまんねえの」
黒丸君は忌々しそうに床に唾を吐いた。タイミングよく始業のベルが鳴り、その場は収まった。
その後、僕は一日中、背中に突き刺さる嘲笑と好奇の視線に耐え続けた。
放課後、僕は役所の葬儀施設へ急いだ。
まだ予定まで一時間以上ある。お母さんの顔を見て、一言だけ「ありがとう」と言いたい。
廊下で、担当の男性職員がスマホを弄りながら通りかかるのが見えた。
「あの、千葉です。今日は、母がお世話になります」
「あ?……誰だっけ? ああ、タダの火葬か。……もう終わったよ」
「え……?」
耳を疑った。時間はまだ一時間も前だ。
「ちょっと枠が空いたからさ、先に済ませといた。効率的だろ? そこに骨壷あるから。さっさと持って帰って」
男は面倒くさそうに、机に並んだいくつかの白い壷を指差した。
「そんな……どういうことですか? お別れも、まだ……」
「だから! 終わったの! 何回言わせんなよ。こっちは忙しいんだ、早くしろよ」
怒鳴られ、僕は呆然と骨壷に駆け寄った。そこには名前も何もない。
「あの……どれが、僕の母さんなんですか?」
「は? どれでも同じだろ。どうせ中身見てもわかんねえよ」
男は鼻で笑い、スマホの画面から目を離さずに僕を急かす。
僕は震える手で、一つの壷に触れた。
「あー、ベタベタ触んなよ。割れたら俺の責任になんだろ」
その時だった。壷の蓋の隙間から、鈍く光る小さな金属が見えた。
……母さんの、結婚指輪。
生前、ずっと外さなかった、父さんとの絆。
「これ……お母さんのです。指輪が、入ってる」
「……チッ。やべ、一緒に焼いちまったか。……おい、それ誰にも言うなよ」
男は舌打ちをすると、謝罪の一言もなくどこかへ消えていった。
僕は、まだ熱の残る白い壷を、壊れないように大切に抱きしめた。
帰り道、骨壷を抱えて歩く僕を、道行く人々が怪訝な、あるいは気味の悪いものを見るような目で見ていく。
けれど、今の僕にはそんな視線はどうでもよかった。
白い壷の中から、母さんの悲鳴が聞こえる気がした。
この世界は、死んで骨になった人間にさえ、一欠片の敬意も払ってくれないのだ。




