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どうしようない毎日だけど、転生しないで生きてみます。  作者: 山河國破


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第十一話 恋の歌。

今日子ちゃんが来てくれたあの日から、僕の世界はモノクロからセピア色へと少し色づいた。

全身を(さいな)んでいた筋肉痛が消えたわけじゃない。学校で受ける仕打ちが軽くなったわけでもない。

けれど、胸の奥に「彼女が応援してくれている」という熱い塊があるだけで、僕はどこまでも強くなれる気がしていた。


バンシーが課すドリルの量は、日に日に増えていった。


「つかさっち、脳みそが活性化してきたねー。はい、追加!」


そんな無茶振りにも、僕は必死で食らいついた。正答率はコンスタントに八〇パーセントを超えるようになり、ケアレスミスも激減した。数字が、僕の「成長」を証明してくれている。


さらに、バンシーが勝手にお父さんの形見のスマホをいじり、見慣れないプレイリストを勝手に作っていた。


「音楽を聴くのが好きなんでしょ? これ、私がダウンロードしといてあげたから、聴きながら走ってみなよ。テンション上げ上げでいけるよ☆」


最初は、今まで聴いたこともないような不思議なリズムの曲ばかりで、少し耳に馴染まなかった。けれど、走る歩数とビートが重なり始めた時、音楽が僕の肉体を支配する加速装置になった。

イヤホンから流れ込むメロディが、現実の苦痛を遮断してくれる。


一キロの完走。

相変わらず、走り終えた後は心臓が口から飛び出しそうなほどヘロヘロだ。アスファルトの匂いと自分の汗の匂い。惨めで、でも確かな「生」の感触。


「……お、……おぇぇッ……!」

「はいはーい、吐き出さない! 全部飲み込んでー!」


そして、完走後の儀式。「戒めの実」の暴力的な味が舌の上で爆発する。バンシーが僕の喉に無理やり水道水を流し込む。

この味だけは、何度食べても慣れそうにない。毒を飲まされているような感覚。


けれど、今日子ちゃんの笑顔を思い出し、その泥臭い苦みを無理やり胃に流し込んだ。

心の支えが一つあるだけで、人はこんなにも理不尽に耐えられるものなのか。


「……ぷはっ。……今日も、終わった……」


僕は、つぎはぎだらけの眼鏡を直し、夜空を見上げた。

まだ何も解決していない。お母さんはいないし、学校には敵しかいない。

それでも、僕の脚と、僕の頭は、昨日よりも少しだけ「高み」を目指し始めている。


数日後の放課後。

ボロアパートの階段を二段飛ばしで駆け上がった僕の目に、信じられない光景が飛び込んできた。

西日に照らされた廊下に、彼女が、今日子ちゃんがまた立っていた。


「あ! 今日子ちゃん!」

「千葉くん。……また、来ちゃった」


はにかむようなその笑顔を見た瞬間、僕の心臓はドラムの速打ちみたいに激しく鳴り響いた。


「……入ってよ! 今、お茶……じゃなくて、水しかないけど、すぐ用意するから!」


必死に平静を装ってドアを開けようとした僕の袖を、彼女が控えめに引いた。


「あ、ううん。今日は、これ……渡したくて」


差し出されたのは、淡い桃色の封筒。

今時珍しい、けれどだからこそ特別な温もりを感じさせる「手紙」だった。


「なに、これ……?」

「……あとで、読んで。じゃあね。バイバイ!」


今日子ちゃんは夕日のせいか、赤く染めた頬の顔を伏せると、逃げるように走り去っていった。

廊下に残された、彼女の甘い残り香。

僕は、部屋に入ると震える手で丁寧に封筒を開け、中の便箋を広げた。


『千葉くんへ。久しぶりに会えて、自分の本当の気持ちに気づきました。明日、ここで待っているので来てください』


そこには、待ち合わせ場所への地図が添えられていた。


「……バンシー! バンシー! 見てくれよ、これ! 告白……これ、告白だよね!?」


「はいはい、呼んだー? ……あららー、つかさっち、ホントにおめでたいわねー」


ぼわん、と現れたバンシーに、僕は便箋を突きつけた。


「これ、あそこの公園だ! 明日、今日子ちゃんが僕を待っててくれるんだって! ……あ、でも、何時なんだろう? 書いてないな。まあいいや、朝からずっと待ってればいいんだもんね!」


浮き足立つ、なんて言葉じゃ足りない。

僕の身体は、今にも地面を離れて空まで飛んでいってしまいそうだった。

世の中に溢れる恋の歌が、どうしてこんなに多いのか。それが理解できた瞬間だった。全部この瞬間の僕のことを歌っていたんだ。お母さん、お父さん。僕、生きててよかった。生きていたから、こんな素敵なことが起きたんだ!


「ふ、ふふ〜ん♪」


思わず、ランニングの時に聴くあのアップテンポなメロディを口ずさむ。


「はいはーい、お熱いのは結構だけど、今日のノルマは減らないわよー。一キロラン&ドリル、行ってみよー!」

「どんとこーい! 一キロどころか、今の僕ならどこまでだって走れる気がするよ!」


僕の世界は、昨日までのセピア色からさらに、鮮やかな極彩色に塗り替えられていた。

僕は恋の熱に浮かされたまま、夜の街へと力強く蹴り出した。

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