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どうしようない毎日だけど、転生しないで生きてみます。  作者: 山河國破


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第一話 どうしようもない毎日。

「ばしゃぁぁんッ!」


鼓膜を突き刺すような衝撃と共に、視界が真っ白に染まった。

冷たいバケツの水が、容赦なく頭のてっぺんから叩きつけられる。制服の隙間から肌を()う冷気に、心臓が跳ね上がった。


「……っ、げほっ、……っ」


()せ返る僕の耳に届くのは、耳障りな、鈴を転がすような少女たちの嬌声(きょうせい)だ。


「きゃはははは! 見てよ、今の顔! 傑作なんだけど!」

「超ウケる。ねえ、今の動画撮った?」


「な? こいつ、笑えるだろ」


中心に立っているのは、黒丸乱(くろまるらん)だ。洗練されたオリジナルブランドで(あつら)えた制服を完璧に着こなし、モデルのような端正な顔に歪んだ笑みを浮かべている。


水に流され、教室の隅まで吹き飛ばされた眼鏡を、僕は震える手で探し当てた。歪んだフレームを無理やり顔にかける。レンズは水滴と汚れで濁り、世界はぼやけて見えた。


「……っ、やめてよね……。今、せっかく掃除したところ、なんだから……」


喉の奥まで震えるのを必死に抑え込み、僕は口角を吊り上げた。かつての僕なら、これで教室を爆笑の渦に巻き込めたはずだった。けれど、今の僕から絞り出されたのは、ひどく(かす)れた、惨めな道化の鳴き声に過ぎない。


「は? ……おい、聞いたかよ。豚がブーブー鳴いてるぜ」


黒丸が(さげす)みのこもった視線を向けると、取り巻きの女子たちが一層激しく笑い転げる。


「マジでキモい。喋らないでくれる? 臭いがうつるんだけど」


「行こうぜ。湿気(しけ)た空気吸ってると、こっちまで腐りそうだ」


黒丸は満足げに鼻で笑うと、隣にいた女子たちの肩を抱き寄せ、優雅に歩き出した。


「ちょっと……掃除、は……?」


背中に投げかけた僕の言葉に、黒丸が足を止める。彼は振り返りもせず、すぐ横にあった大型のゴミ箱を、足を大きく振り上げてから、全力で蹴り上げた。


「ガコォォォォンッ!!」


激しい音と共に、僕が放課後を削って集めたゴミが、教室中にぶちまけられる。丸まった鼻紙、消しゴムのカス、食べ残しの生ゴミ。


「お前が一人でやるんだよ、ゴミ。……あ、間違えた。豚だったな」


去り際に放たれた嘲笑が、いつまでも耳の奥で反響している。

静まり返った教室の中、僕はゴミの山に囲まれ、ずぶ濡れのままへたり込んだ。


床に散らばったゴミが、水浸しの僕の足元に集まっている。

ああ、そうだ。

僕は、中学の頃の僕じゃない。

今の僕は、ただのゴミ以下なんだ。


------------------------------------------------------


昔から、人を笑わせるのが好きだった。

僕、千葉司(ちばつかさ)という人間は、高校の門をくぐるまでは、常に輪の中心にいた。僕が何かを言えば誰かが笑い、僕が動けば空気が弾んだ。


「お前がいれば退屈しないな」


そう言われるのが誇らしかった。

その自信の裏打ちになっていたのは、今思えば、大好きだった父の存在だったのかもしれない。

うちはごく普通の一般家庭だったけれど、父は流行りものに敏感で、話題のゲーム機や新作のおもちゃを、誰よりも早く僕に買い与えてくれた。


「司はクラスの人気者なんだろ?」


と笑う父を、僕は心から尊敬していた。


けれど、中学二年生の冬。その父が、あまりに突然、僕らの前から消えた。急死したのだ。


悲しみや喪失感に浸る暇なんてなかった。

残された僕とお母さんの前には、膨大な事務手続きと、現実的な「お金」の問題が突きつけられた。住み慣れた家を追われ、二人で荷物をまとめる日々。


本当は、声を上げて泣きたかった。


「お父さん、行かないで」と(すが)りたかった。


でも、目の前で唇を噛み締め、必死に前を向こうとしているお母さんを見ていると、僕もしっかりしなきゃいけないと思った。

葬式の夜も、引っ越しの日も、僕は一度も涙を流さなかった。

……お母さんも、僕の前では一度も泣かなかったから。


今、僕らが暮らしているのは、築四十年を超える木造のボロアパートだ。

四畳半が二間。隙間風が鳴り、壁の薄いその部屋。

そして、お母さんは僕を育てるために必死に働いている。

昼はスーパーのレジ、夜はスナックの手伝い。

疲弊して帰宅する母の背中に、僕は何度も「学校を辞めて、俺も働くよ」と言った。けれど、母さんはそのたびに、どこか厳しい、けれど祈るような目で僕を見るのだ。


「高校だけは出なさい。司、それだけがお母さんの誇りなの」


そう言われてしまったら、何も言い返せない。

お母さんは僕がたまたま受かった名門高校に通っているのを自慢に思っていたから。


居間には、お父さんの小さな遺影が飾られている。

テレビもない寂しい部屋。たった一人で過ごすには悲しすぎる。

だから僕は、父が遺した唯一の形見であるスマホを、今も大切に使っている。


お母さんの帰りを待ち、部屋で一人、割引のパンを(かじ)る夜。

あるいは今日のように、教室でズタズタに自尊心(プライド)を踏みにじられた日。

僕はイヤホンを耳の奥に押し込み、大好きな音楽の海に沈む。


お父さんが残してくれた音楽。激しいビートや、優しいメロディが脳内を満たしている間だけは、僕は「豚」でも「ゴミ」でもない。

音楽だけが、ボロアパートの薄汚れた天井から、僕を遠い場所へ連れ出してくれる唯一の魔法だった。



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