恋は、壊れそうなほど綺麗だった
文化祭当日の朝。
校舎は、いつもより少しだけ騒がしくて、
それだけで胸が落ち着かなくなる。
廊下には色とりどりの装飾。
聞こえてくる笑い声。
浮き立つ空気。
なのに私は――
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられていた。
(凪、大丈夫かな)
昨日の放課後のことが、
頭から離れない。
「怖い」
あんなふうに言った凪を、
私は初めて見た。
教室に入ると、
すでに準備はほとんど終わっていた。
クラスの出し物はカフェ。
机は整然と並び、
飾り付けも完璧。
そして、そこに――
「……おはよう」
朝倉凪が立っていた。
いつもと同じ、完璧な笑顔。
いつもと同じ、綺麗な立ち姿。
でも、分かってしまう。
(無理してる)
「おはよう、凪」
声をかけると、
凪は一瞬だけ、ほっとしたように目を細めた。
「来てくれてありがとう、咲」
その言葉だけで、
胸が温かくなる。
それなのに――
どこか、遠い。
開会の合図が鳴り、
文化祭が始まった。
お客さんが入ってくる。
忙しくなる教室。
凪は、誰に対しても丁寧で、
笑顔を崩さない。
「いらっしゃいませ」
「こちらへどうぞ」
その姿は、
まさに“クラスのマドンナ”。
――でも。
私は、凪が一人になる瞬間を、
ずっと探していた。
昼前。
少し人の流れが落ち着いた頃。
「咲、少しだけいい?」
凪に呼ばれて、
教室の外に出る。
人の少ない階段踊り場。
「ありがとう、来てくれて」
凪はそう言ってから、
しばらく黙り込んだ。
「……昨日のこと」
やっぱり。
「忘れてもいいから」
凪は、先にそう言った。
「私、ああいう弱いところ、
見せるつもりなかった」
胸が、ちくりと痛む。
「でも、私は――」
言いかけて、凪は口を閉ざす。
そのとき。
「凪」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、
齋藤えみるが立っていた。
えみるは、文化祭用の腕章をつけている。
「少し、話せる?」
凪の表情が、強張る。
「……今は」
「お願い」
えみるの声は、
強いけど、どこか必死だった。
沈黙。
凪は、私を見る。
その視線には、
迷いと、恐れと、助けを求める色が混ざっていた。
私は――
ゆっくり、首を横に振った。
「行って」
凪が、驚いた顔をする。
「大丈夫だから」
本当は、
全然大丈夫じゃない。
でも、凪が逃げ続けるのは、
もっと嫌だった。
凪は、少しだけ唇を噛んでから、
えみるの方へ歩いていった。
取り残された私は、
階段に座り込む。
胸が、苦しい。
(私は、何をしてるんだろう)
好きな人を、
自分の手で遠ざけて。
しばらくして。
足音が、戻ってきた。
顔を上げると、
そこにいたのは――凪だった。
「……咲」
その声は、
今まで聞いたことがないほど、震えていた。
「私、逃げなかった」
そう言って、凪は笑った。
でも、その笑顔は、
今にも壊れそうだった。
「えみるに、ちゃんと話した」
息を吸う。
「怖かったって。
完璧でいないと、
誰にも必要とされないと思ってたって」
凪の目に、涙が溜まる。
「でも……」
一歩、近づいてくる。
「それでも、
そばにいてくれる人がいるって、
言われた」
その視線が、
まっすぐ私を射抜く。
「……咲」
名前を呼ばれただけで、
胸がいっぱいになる。
「私、咲がいないと、だめ」
その言葉は、
あまりにも真っ直ぐで。
心臓が、痛いほど鳴った。
「でも」
凪は、少しだけ視線を逸らす。
「咲の気持ちを、
私はまだ知らない」
空気が、止まる。
逃げ道なんて、もうなかった。
「……好きだよ」
気づいたら、
そう言っていた。
「凪が好き」
声が、震える。
「完璧じゃなくても、
弱くても、
それでも――」
凪が、私の手を取った。
「ありがとう」
涙を浮かべたまま、
でも確かに笑っている。
その瞬間。
外から、拍手と歓声が聞こえた。
文化祭は、
何事もなかったように続いていく。
でも私の世界は、
確かに変わってしまった。
恋は、
甘くて、苦しくて、
壊れそうなほど綺麗だった。
――それでも。
この気持ちを知ってしまったら、
もう、戻れない。
文化祭の午後。
私たちの恋は、
静かに、でも確かに始まっていた




