そして十年後、名前を呼ぶ夜
雪は、思っていたよりも静かに降っていた。
街灯の明かりに照らされて、白い粒がゆっくりと舞い落ちる。その一つ一つが、まるで時間そのもののように、確かにここへ辿り着いていることを教えてくれる。
朝倉凪は、コートの襟を少しだけ立てながら、懐かしい建物を見上げた。
「……変わってないな」
かつて通っていた高校。
今は地域の交流施設として使われているその校舎の前に、「クリスマス会」の文字が書かれた控えめな看板が立っている。
――十年。
長いようで、短かった時間。
それぞれが別々の道を歩き、それでも、今日という日に集まる理由は一つだった。
「凪?」
その声に振り向く。
そこに立っていたのは、葭葉咲だった。
昔より少し大人びた服装。
髪は肩より少し長くなっていて、それでも、笑ったときの目元は、あの頃のままだ。
「久しぶり」
「……うん。久しぶり」
それだけの言葉なのに、胸の奥がきゅっと鳴る。
十年前と同じ反応に、凪は思わず苦笑した。
「寒くない?」
「ちょっとだけ。でも、この感じ……嫌いじゃない」
二人は並んで校舎に入る。
廊下の床、階段の角度、窓から差し込む光。すべてが記憶のままで、しかし確実に“過去”になっていた。
体育館では、懐かしい顔ぶれが集まっていた。
笑い声、近況報告、少し照れくさい再会の抱擁。
そして――。
「二人とも、来てたんだ」
齋藤えみるが、少し離れたところから声をかけてきた。
柔らかい笑顔で、穏やかな目をしている。
「えみる」
「久しぶり」
あの頃の痛みも、すれ違いも、すべてが消えたわけじゃない。
でも今は、それを“ちゃんと過去として”抱えられる。
「幸せそうだね」
「……うん。えみるも」
三人は短く言葉を交わし、それぞれの場所へ戻っていく。
それでいい。もう、無理に重ならなくても。
夜が深まり、クリスマス会も終盤。
外に出ると、雪はまだ降っていた。
凪と咲は、自然と二人きりになっていた。
「ねえ、凪」
「なに?」
「十年前のこと、覚えてる?」
凪は少し考えて、ゆっくり頷く。
「忘れるわけないだろ」
「だよね」
咲は立ち止まり、雪の降る空を見上げる。
「名前をつけるのが怖かった気持ち」
「……うん」
「それでも、ちゃんと向き合おうって決めたこと」
「覚えてる」
咲は一度、深く息を吸った。
「私ね、あの時間があったから、今の私があると思ってる」
「俺もだよ」
凪は、ポケットの中で拳を握る。
十年越しでも、やっぱり少しだけ緊張する。
「咲」
「なに?」
「今なら……言える気がする」
雪が、二人の間に静かに落ちる。
「名前をつけるのが怖かったあの気持ちも、遠回りした時間も、全部含めて――」
凪は、咲の目を見る。
「俺は、ずっと君が好きだった」
一瞬、時間が止まったように感じた。
それから、咲がゆっくりと笑う。
「……遅いよ」
「ごめん」
「でも」
咲は一歩近づいて、凪の手をそっと握った。
「待ってた」
その温もりは、確かで、逃げ場がなくて、どうしようもなく大切だった。
名前のなかった気持ちは、もう迷わない。
ちゃんと、ここにある。
雪の降る夜。
十年分の時間を越えて、二人は同じ場所に立っている。
これは、遠回りした恋の物語。
臆病だった心が、少しずつ前に進んだ話。
そして――
恋は、何年経っても、人をこんなにも強くする。
メリークリスマス。
名前を呼べるようになった、僕たちへ。
――完




