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穏やかな日々に、名前のない不安が混じる

夏が、近づいていた。

朝の空気が少しだけ湿っていて、

窓から入る風が、肌にまとわりつくようになった頃。

教室のカーテンが、

ゆっくりと揺れている。

「……暑くなってきたね」

朝倉凪が、

何気ない調子でそう言った。

「うん」

それだけの会話なのに、

胸の奥が少しだけ温かくなる。

最近の私たちは、

驚くほど穏やかだった。

えみるとのことも一区切りついて、

凪は以前よりも、

柔らかく笑うようになった。

クラスメイトたちも、

私たちを特別扱いしなくなってきている。

「もう付き合ってるでしょ」

そんな軽口を叩かれることも減った。

――たぶん、

“落ち着いた”ように見えているんだと思う。

でも。

(本当に、落ち着いてるのかな)

授業中、

ノートを取る凪の横顔を見る。

背筋が伸びていて、

姿勢がいい。

完璧に見えるその姿に、

ふと、胸がざわついた。

(また、頑張りすぎてない?)

昼休み。

凪は、

クラスメイトに囲まれていた。

楽しそうに笑って、

相手の話をちゃんと聞いて、

誰に対しても丁寧。

その輪の中に、

私は入らなかった。

入れなかった、の方が近い。

(邪魔したくない)

そう思った自分に、

少しだけ驚く。

――いつから私は、

こんなふうに距離を測るようになったんだろう。

放課後。

「咲、今日もありがとう」

凪は、

そう言って軽く手を振る。

「生徒会の仕事、あるから」

「うん、頑張って」

笑って返す。

それが、

“正解”だと思った。

凪は忙しい。

責任もある。

期待も背負っている。

だから、

私が甘えるのは違う。

……そんな考えが、

いつの間にか自然になっていた。

帰り道。

一人で歩く夕暮れの道は、

昼間の熱をまだ残している。

アスファルトの匂い。

遠くで鳴る蝉の声。

(夏、か)

スマホを取り出すと、

凪からメッセージが届いていた。

《今日は少し遅くなるけど

ちゃんとご飯食べてね》

優しい言葉。

でも、

胸の奥が、少しだけ痛む。

(私、心配される側でいいのかな)

返信を打ちかけて、

消す。

《大丈夫だよ》

その一文が、

なぜか冷たく見えた。

結局、

《ありがとう。凪も無理しないで》

そう送った。

凪は、

すぐに既読をつけて、

スタンプを返してきた。

それで会話は終わる。

夜。

窓を開けると、

風が入ってくる。

カーテンが揺れて、

影が壁に映る。

ベッドに横になりながら、

天井を見る。

(静かすぎる)

喧嘩もしていない。

すれ違っているわけでもない。

なのに、

胸の奥に、小さな不安が溜まっていく。

それは、

名前をつけられない感情だった。

――近いのに、踏み込めない。

――優しいのに、触れられない。

凪の言葉を思い出す。

『私、まだ怖いけど

逃げないって決めた』

その“怖い”は、

まだ消えていない。

そして、

私も同じだった。

「……このままで、いいのかな」

独り言は、

夜に溶けていった。

数日後。

クラスで、

夏休みの話題が出た。

「海行こうぜ!」

「泊まりで行きたい!」

そんな声が飛び交う。

凪は、

少し遅れて笑った。

「……楽しそうだね」

その声は、

どこか他人事みたいで。

私は、

なぜか、凪の横顔から目を離せなかった。

(夏は、距離を近づける)

薄着。

強い日差し。

同じ時間を長く過ごす日々。

――隠してきたものが、

否応なく表に出る季節。

凪は、

それを分かっている気がした。

だから、

少しだけ身構えている。

そして私は。

(この夏、

ちゃんと踏み込めるだろうか)

穏やかな日常は、

壊れそうに見えない。

でも、

何も起こらない時間ほど、

心を試されるものはなかった。

その静けさの底で、

次の季節が、

確かに息をひそめていた。

――この先に、

近すぎる距離と、

逃げ場のない夜が待ってい

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