触れないまま、近すぎる
文化祭が終わって、
学校は一気に静かになった。
あれだけ騒がしかった校舎が、
何事もなかったみたいな顔をしているのが、
少しだけ腹立たしい。
まるで、
あの日のことが夢だったみたいで。
「……おはよう、咲」
教室に入ると、
朝倉凪がすでに席に座っていた。
いつもより少しだけ、
柔らかい声。
「おはよう」
それだけで、
胸の奥が、きゅっと鳴る。
文化祭の日以来、
私たちは少しだけ変わった。
でも、
決定的に変わってはいない。
手を繋いだわけでもない。
「付き合おう」と言ったわけでもない。
それなのに――
距離だけが、妙に近い。
授業中。
ノートを取っていると、
ふと凪の視線を感じる。
目が合うと、
凪はすぐに視線を逸らして、
でも、耳まで赤くなる。
(……ずるい)
そんな反応されたら、
何もなかった顔なんてできない。
昼休み。
「咲、一緒に食べよ」
凪がそう言って、
私の隣に座る。
クラスメイトたちの視線が、
一斉に集まるのが分かる。
「え、まだ付き合ってないの?」
誰かのそんな声が聞こえた。
凪は一瞬だけ、
困ったように笑った。
「……まだ、ね」
その“まだ”が、
胸に刺さる。
食事中、
凪はいつもよりよく笑っていた。
楽しそうで、
優しくて、
完璧で。
(あれ……?)
ふと、違和感がよぎる。
文化祭のとき、
泣きそうになっていた凪。
弱さを見せてくれた凪。
今の凪は、
それより少しだけ――遠い。
放課後。
「咲、少し残れる?」
凪に呼ばれて、
誰もいない教室に二人きりになる。
夕日が差し込んで、
机の影が長く伸びる。
「……この前は、ありがとう」
凪は、丁寧に言葉を選ぶように話す。
「私、ちゃんと立ててる?」
「……え?」
「マドンナとか、
期待されてる自分とか」
凪は、笑っている。
でもそれは、
文化祭の日の笑顔とは違った。
「咲に、
心配かけたくないから」
その言葉で、
全部分かってしまった。
(ああ、この人は――)
私を思って、
また一人で背負おうとしている。
「凪」
名前を呼ぶと、
凪は少し驚いた顔をした。
「無理しなくていい」
その瞬間、
凪の目が揺れた。
「……それ、咲が言うの?」
かすれた声。
「私が弱くなったら、
咲、離れていかない?」
心臓が、
音を立てて沈む。
そんなふうに思わせてしまったことが、
苦しかった。
「離れないよ」
即答だった。
「凪がどんなでも、
私は……」
言葉にしきれなくて、
途中で詰まる。
凪は、
一歩だけ近づいてきた。
触れそうで、
触れない距離。
「……ありがとう」
そう言って、
凪は微笑んだ。
でもその笑顔は、
どこか寂しそうだった。
帰り道。
並んで歩きながら、
影だけが寄り添っている。
手は、
最後まで繋がらなかった。
家に帰って、
布団に倒れ込む。
胸が、苦しい。
(私、ちゃんと凪を好きって言えてない)
好きなのに。
大事なのに。
守りたいと思うほど、
言葉が足りなくなる。
スマホが震えた。
《今日はありがとう。
咲がいてくれて、救われた》
その一文を見た瞬間、
視界が滲んだ。
――違う。
救われてるのは、
きっと私のほうなのに。
涙が、
静かに落ちた。
この恋は、
まだ名前を持っていない。
だからこそ、
壊れそうで、
どうしようもなく大切だった




