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月は、行ける場所だった

舟は、しばらく進んでいた。


鬼ヶ島を離れてから、 どれくらい経ったのかは分からない。


水音はある。 揺れもある。 だが、どこか違う。


美佳は桃の縁に腰掛けたまま、 ぼんやりと空を見上げていた。


そのときだった。


「――では、わたくしは」


かぐや姫が、静かに口を開いた。


「このあたりで」


誰も、すぐには意味を理解できなかった。


一寸法師が櫂を止める。


「……このあたり、とは?」


金太郎が首を傾げる。


「陸、ねぇけど?」


浦島太郎は何も言わず、 ただ、かぐや姫の足元を見ていた。


そこには―― 影が、なかった。


舟の上に立っているはずなのに、 影だけが、どこにも落ちていない。


「わたくしは、  ここから帰ります」


かぐや姫はそう言って、 小さく微笑んだ。


「帰るって……」


誰かが言いかけて、言葉を失う。


帰る、という言葉が、 この場に似合わなかった。


どこへ? どうやって? そんな疑問が浮かぶ前に、


美佳が、ぴくりと反応した。


「……月?」


ぽつりと、呟く。


かぐや姫が、 ほんの一瞬だけ目を細めた。


「ええ」


それだけだった。


その瞬間。


美佳の中で、 何かが、きらりと光った。


――月。


見上げるもの。 遠いもの。 帰れない場所。


……だと思っていた。


美佳は、にやりと笑う。


「行ってみたい」


全員が、一斉にこちらを見る。


「……は?」


「え?」


「行くって、どこへ?」


美佳は立ち上がり、 かぐや姫の隣に並んだ。


「月」


即答だった。


「だってさ、 帰るって言ったよね?」


かぐや姫は、何も言わない。


否定もしない。


止めもしない。


ただ、黙って美佳を見る。


送るために用意された場面で、

別の誰かが、先に歩き出した。


誰も理解できなかった。


だが、 美佳だけは理解していた。


これは―― 呼ばれていない。


選ばれてもいない。


でも、 行ける。


「じゃ、行くね」


美佳は振り返って言った。


軽く。 いつもの調子で。


一寸法師は櫂を止めたまま、

小さく口を開いた。


「行くって……」


「どこまで行くかは、分かんないけど」


金太郎が目を丸くする。


「え、それ言う!?」


浦島太郎は、

もう何も言わなかった。


かぐや姫が、そっと歩き出す。


水の上に、 足跡が残らない。


舟と、 世界との境目が、 ゆっくりと薄れていく。


美佳は一歩、 踏み出した。


落ちない。


沈まない。


ただ、 浮いた。


「……あ」


振り返る。


舟の上の皆が、 少しずつ遠くなる。


誰も、 追ってこない。


誰も、 呼び止めない。


見送られている。


――初めて。


音が、消える。


風も、水も、 全部、下に落ちていく。


上にあるのは、 白い光だけ。


「月ってさ、見上げるもんだと思ってた」


美佳は、前を向いたまま言った。


かぐや姫は、 何も答えなかった。


答える必要がないからだ。


二人の足元で、 世界が、完全に切り離される。


舟は、 もう見えない。


代わりに。


静かで、 眩しくて、 どこか生活感のある場所が、 目の前に広がっていた。


「……着いた?」


美佳が言う。


かぐや姫は、歩きながら答えた。


「ええ」


一拍。


「歓迎は、されませんが」


美佳は、肩をすくめる。


「観光だしね」


そう言って、 ポケットに手を突っ込む。


何かを探す仕草。


「お土産、 なににしよっかな」


月は、 行ける場所だった。


そして――


ここから先は、 昔話ではなくなる。

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