またね、じゃないけど
雲の回廊は、いつもより静かだった。
風はあるのに、音がない。
白い床に、影だけがゆっくり流れていく。
美佳は、立ち止まった。
「……ここまで、だよね」
誰に言うでもなく。
その声に応えるように、
背後から足音が重なる。
アルテミスが、弓を肩に担いだまま来る。
「もう行くの?」
「うん」
即答だった。
「そろそろ」
アルテミスは少しだけ口を尖らせる。
「弓、置いていかなくていいの?」
「持ってく」
美佳は笑う。
「想い出だから」
「……そっか」
その横で、
鏡の光が、ふっと揺れた。
そこから現れたのは、アフロディテ。
いつも通り、完璧な姿。
でも、今日は少しだけ柔らかい。
「短い滞在だったわね」
「そう?」
美佳は首を傾げる。
「私的には、ちょうどいい」
アフロディテはくすっと笑う。
「人間は、そういうところがいいのよ」
手を伸ばし、
小さな瓶を差し出す。
「これは?」
「香油」
「使い道は?」
「気分転換」
即答だった。
「世界が違っても、女の子だもの」
「ありがと」
美佳は、素直に受け取る。
少し離れた場所で、
イザナミとエウリディケが並んで立っていた。
二人とも、穏やかな顔。
「帰るのね」
イザナミが言う。
「うん」
「振り返らずに?」
「多分」
美佳は少し考えてから答えた。
「でも、振り返っても怒られない世界に帰るから」
エウリディケが、微笑む。
「それなら、大丈夫」
イザナミは頷いた。
「行きなさい」
「また来てもいい?」
何気ない質問。
でも、全員が一瞬だけ黙る。
アルテミスが、先に言った。
「来たい時に来ればいい」
アフロディテも。
「扉は閉めないわ」
イザナミは、最後に。
「帰る場所があるなら、それでいい」
美佳は、少しだけ照れた。
「じゃあ」
一歩、後ずさる。
「お世話になりました」
深くは、頭を下げない。
でも、きちんと目を見る。
それが、美佳の礼だった。
カシャンのホログラムが、横に現れる。
『転送準備完了』
『……記録終了』
美佳は、カシャンを見る。
「ありがと」
『……』
一瞬の間。
『こちらこそ』
ほんの、ほんの僅かに、
声が遅れた。
雲の切れ間が、開く。
下界が、遠くに見える。
「……あのへんかな」
美佳は、身を乗り出して。
「それっ」
跳んだ。
落ちる感覚は、なかった。
ただ、白が消えて。




