記録は、干渉を始める
焚き火は、いつも通りだった。
火の色も。 爆ぜる音も。 肉の焼ける匂いも。
違っていたのは、ひとつだけ。
「……あれ?」
美佳が、串を持ったまま顔を上げる。
「カシャン、静かじゃない?」
いつもなら、そこにいるはずの音。
ジジジ… カシャン… わずかな駆動音が、今日はなかった。
弓勇者が辺りを見回す。
「確かに……いませんね」
プリーストは、手を止める。
「いえ」
小さく、息を吸った。
「います」
そこに。
空間の歪みが、浮かび上がった。
輪郭のない光。 人型でも、物体でもない。 ただ、“そこにある”という圧。
次の瞬間。
音が変わった。
カシャン、ではない。 ジジジ、でもない。
――明確な、出力音。
「……おお」
美佳が、目を輝かせる。
「アップデート入った?」
誰も、突っ込めなかった。
空間が、ひとつ瞬く。
そして。
言葉が、落ちた。
『観測対象・美佳』
『行動傾向、逸脱継続中』
焚き火が、ぱちりと鳴る。
弓勇者は、反射的に弓に手をかけた。
プリーストは、祈ろうとして――やめた。
意味がないと、本能で分かったからだ。
美佳は。
「ん?」
と、首をかしげただけだった。
「名前呼ばれた?」
『呼称ではない』
『識別子』
「ふーん」
美佳は、気にしない。
串をくるりと回す。
「それで?」
空間が、わずかに揺れた。
『質問を受理』
『応答権限、一時解放』
弓勇者が、小声で言う。
「……喋ってますよね」
「喋ってるね」
美佳は即答した。
「でもさ」
一拍。
「あなた、ずっと見てたでしょ?」
沈黙。
否定も、肯定もない。
ただ、次の出力。
『観測は継続していた』
『干渉は、最小限に抑制』
「だよね」
美佳は、納得した顔で頷いた。
「だから、止めなかったんだ」
焚き火の火が、揺れる。
プリーストは、無意識に手を組んだ。
「……なぜ、今になって?」
『閾値を超過した』
弓勇者が、息を呑む。
「なにの……?」
『世界理解度」』
『非自覚的習得』
『影響範囲、拡大中』
美佳は、串を引き抜いた。
焼けた肉を、一口。
「おいしい」
『確認』
『行動動機は、食事』
「うん」
即答。
「お腹空いたから」
沈黙。
空間が、初めて“迷った”ように揺れた。
『……理解不能』
美佳は、にこっと笑う。
「でしょ」
「だからさ」
一歩、前に出る。
「あなた、名前ないの?」
空間が、止まる。
『名称は、不要』
「えー」
美佳は、即座に却下した。
「不便じゃん」
考えて。
「じゃあ、カシャンでいいや」
弓勇者が小さく吹いた。
プリーストは、もう驚くのをやめていた。
『……呼称、登録』
『暫定名:カシャン』
「よし」
美佳は満足そうだった。
「で、カシャン」
串を差し出す。
「食べる?」
完全な沈黙。
次の出力は、ほんの少し遅れた。
『……摂取、不可』
「そっかー」
美佳は残念そうに言う。
「じゃあ見てて」
焚き火の前で、いつも通りの時間が流れる。
だが。
世界のどこかで。
報告書の分類が、ひとつ変わった。
《例外観測対象:継続》
破棄でも。 修正でも。 排除でもない。
ただ――
見続ける。
それしか、選べなくなった。
焚き火の音の中で。
カシャン、という小さな音が、 確かに、混ざった。




