いただきますは、呪文ではありません
焚き火が、ぱちりと鳴った。
火のそばに、皿が並ぶ。
焼いた魚。
串に刺した肉。
香草と塩だけの、素朴な匂い。
鎧姿の調査団は、一定の距離を保ったまま動かない。
視線は焚き火と、美佳の手元に集中していた。
美佳は、特に気にせず座り直す。
両手を、胸の前で合わせた。
「いただきます」
一瞬。
空気が、凍った。
「……今のは」
調査団の一人が、低い声で言う。
「詠唱か?」
別の者が、半歩前に出る。
「儀式だな?」
「いや」
三人目が、剣の柄に手をかける。
「神名を呼んだ可能性が――」
美佳は、きょとんとした。
「え?」
首を傾げる。
「ごはん食べる前の挨拶だけど」
沈黙。
焚き火が、もう一度ぱちりと鳴る。
「……挨拶?」
「うん」
美佳はスプーンを手に取る。
「食べ物に、感謝するやつ」
調査団の視線が、さらに鋭くなる。
「感謝……?」
「誰にだ?」
「神か?」
「土地か?」
「供物の宣言では?」
美佳は魚をひと口食べて、もぐもぐする。
「おいしい」
それだけだった。
数秒後。
「……呪文では、ないようだ」
「だが、確実に“切り替わった”」
「戦闘前でも、交渉前でもない……」
誰かが、困惑した声で言う。
「開始の合図に近い」
美佳は気にせず、隣の皿を指す。
「食べる?」
調査団、完全に固まる。
「……我々に?」
「うん」
美佳は笑う。
「一緒に食べたほうが、美味しいよ」
沈黙が、もう一段深くなる。
やがて。
最年長らしい一人が、兜を外した。
「……毒見は、不要か?」
「しないよ」
即答。
「私が先に食べてるし」
それは、理屈ではなかった。
だが、否定もできなかった。
焚き火のそばに、人数が増える。
誰かが、恐る恐る言う。
「……いただき、ます」
美佳は、にっこりした。
「うん」
焚き火が、ぱちりと鳴った。
その夜。
調査団は報告書にこう記した。
・詠唱なし
・神名なし
・供物なし
・敵意なし
・ただし、空気の転換あり
追記。
※「いただきます」は呪文ではない
※しかし、場を変える力がある
※分類不能
管理側は、頭を抱えた。
「文化だ……」
「世界観の外だ……」
「対策が、ない……」
焚き火のそばで。
美佳は、最後の一口を食べ終える。
「ごちそうさま」
それもまた、
彼らには新しい“終わりの合図”に見えた。




