文字は、そこにあった
掲示板があった。
木製で、やたらと大きい。
紙が何枚も貼られていて、文字も、記号も、図形もある。
美佳は、少し首を傾げた。
文字は見える。
形も分かる。
でも――意味が、入ってこない。
「……読めるけど、読めないな」
一枚、二枚、三枚。
順番に目で追ってみるが、頭の中で何も繋がらなかった。
諦めるのが早いのは、美佳の長所だった。
「ま、いいや」
掲示板から離れ、周囲を見渡す。
人が多い。
装備を着けた者、紙を抱えた者、武器を背負った者。
行き交う動線が、どこか一定している。
「……あ」
美佳は、ひとつの建物を見つけた。
石造りで、入口が広く、扉が開け放たれている。
中から、人の声と、足音と、何かを叩く音が聞こえる。
「ギルドっぽい」
根拠はない。
でも、今までの経験上、こういう建物はだいたいそうだった。
美佳は、迷わず中に入った。
中は、思ったよりも騒がしい。
掲示板よりも小さな紙が壁に並び、奥には長いカウンター。
人が並んでいる。
「受付だな」
美佳は、列の最後についた。
順番が来る。
カウンターの向こうにいる女性が、こちらを見る。
口が動く。
声が聞こえる。
だが――
意味が、分からない。
音はきちんと届いているのに、
言葉が、頭の中で形にならなかった。
「……あれ?」
美佳は、もう一度、相手の顔を見る。
受付嬢は、普通の顔をしている。
困ってもいないし、怒ってもいない。
もう一度、何かを言った。
やはり、分からない。
「……えっと」
美佳は、少しだけ困った。
ほんの少しだ。
どうしようか、と考える前に、
無意識にポケットへ手を入れる。
指先に、硬い感触が当たった。
――月の欠片。
その瞬間だった。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
言葉が、意味として、すとんと落ちてきた。
美佳は一瞬、瞬きをする。
「……あれ?」
受付嬢は、首を傾げる。
「ご用件は?」
分かる。
完全に、分かる。
美佳は、そっと指を離した。
「……?」
音は聞こえる。
でも、意味が消えた。
もう一度、触る。
「新規登録でしょうか?」
戻った。
美佳は、欠片を指でつまんだまま、しばらく黙った。
そして、小さく頷く。
「……なるほど」
もう一度、離す。
分からない。
触る。
分かる。
試すのは、二回で十分だった。
「これ、触ってると分かるやつだ」
美佳は、納得したように言った。
受付嬢は、意味が分からない顔をしている。
美佳は気にしない。
「じゃ、お願いします」
欠片をポケットに戻しながら、そう言った。
受付嬢は、一瞬だけ驚いたあと、
何事もなかったかのように手続きを始める。
紙を取り、何かを書き、説明を続ける。
全部、分かる。
美佳は、ぼんやりと思った。
月の欠片は、
宝物でも、武器でも、神の遺物でもなく。
ただ――
「世界を読むためのもの」なのかもしれない、と。
「月、便利だな」
ぽつりと呟く。
それは、感想でしかなかった。
だがその瞬間、
この世界はひとつ、想定外の前提を受け入れてしまった。
美佳は、もう――
読めない世界に、立ち止まらない。




