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ヒナ視点 5 底が抜けた箱

 ヒムロさんと話せば話すほど、とても楽しくて。

 まだ冒険を一緒にしていないのに、何時行けるのかワクワクして、待ち遠しくてたまらないのに、それすら楽しくなった。

 それなのに。


 楽しいと思っていても、何だかすごく寂しくて悲しくなってしまう。

 あの言葉を貰っただけで、もう十分だと確かに思ったのに、今は全然足りなくて。

 今まで全然平気だったのに、ヒムロさんと出会ってから、私はずっと寂しい。


 やっと一緒に冒険に行ける! と思ってたのに、ヒムロさんからあと一週間待ってと言われた時。

 すごくショックだった。

 正直、我ながらよく気を取り直して仕事に行けたと思う。

 だけど今だって、本当に約束の日が来るんじゃないかと、不安で仕方ない。


 ヒムロさんと出会った日から、私は『読心』を切っていた。

 最初は、私に対する好意を盗み見ている罪悪感からだった。

 でも今は、「もう私のことなんて大して好きじゃない」と思っているんじゃないかと思うと、怖くて使えない。

 人の心は簡単に裏返る。時間が過ぎれば過ぎるほど、私のイメージは助けられた時に美化していただけなんだと、ガッカリさせてしまうんじゃないか、とか、そんなことを思ってしまう。


「……そんな人なのかい?」


 アーサー君の言葉に、私は首を振った。


 多分、違う。

 人の心で、確かなことなんてないけど。『読心』を切っていたらなおさら、断言なんて出来ないけど。

 なのに「そんなことはない」とわかるぐらい、ヒムロさんの好意は伝わっていた。

 それなのに、ずっと「寂しい」と、「怖い」が行ったり来たりしている。


 私はバルコニーの手すりに額を載せた。大理石で出来たそれは、少し冷たかった。


「……私が空っぽだったのは、何もないからじゃなくて、私自身が壊れていたからかな、って、最近思うの」


 どれだけ注いでも、水が漏れてしまう容器みたいに。

 ちっとも満たされないから、相手の持ち物がなくなるまで、せがんで、困らせて、迷惑をかけてしまいそう。

 そんなのは、絶対に嫌だった。

 もう好きな人から、何も奪いたくない。与えられたものを、ちゃんと返せるようになりたい。

 これが、あの一言に報える行動なのかは、わからないけれど。



 ……なんで私、アーサーくんにこんなことを言っているんだろう。

 明らかに甘えすぎていると我に返り、私は顔を上げた。


「ごめんね、こんな話聞かせちゃって。慰めを期待して言ったわけじゃないんだ」


 話を切り替えようと思って、私が笑う。

 けれどアーサーくんは、真顔で黙っていた。

 思わず、私も笑うことを辞めた。


「……実は、今まで君に言っていないことがあるんだ」

「な、何?」


 思わず緊張して次の言葉を待っていると、アーサーくんはいたずらっぽく笑いながら言った。




「実は私、君にプロポーズすることを考えていたんだよ」



「…………あ、公爵令嬢だから?」



 少し考えて私がそう言うと、「違うよ」とアーサーくんは笑った。

 流石にそこまで言われてしまっては、その意味を理解する。

 クスクスと笑いながら、アーサーくんは畳み掛けてきた。


「本当に気づいてなかったんだね? ヒナタさんは知ってたのに」

「え、ええー!?」


 さすがにビックリして、ひっくり返りそうになった。


「確かに異世界には興味があったし、好きになったきっかけはあのパブで話しかけた時だけど、その後はほとんどは君に会いに行くための口実だよ」

「な、なんで?」


 本当になんで?

 私、滅茶苦茶アーサーくんのことライバル視していたのに。普通、敵意を持たれたら嫌うものでは!? 私がそう言うと、


「相手に想いを返されるから好きになってたんじゃ、鶏が先か卵が先かの話にならないかい?」


 ……確かに?

 いやでも、ゼロから好意が生まれるのと、マイナスから好意が産まれるのはまた別の話では、とか思ったり。

 いや、その前に。

 私、かなり無神経なことと言うか、彼の好意を利用した形になるのでは!?


「ご、ごめんなさい! 私っ、」

「君を救いたかった」遮るように、アーサーくんは言った。


「結婚すれば君を救えると思った。身分も年齢も釣り合うから、公爵は結婚の許可を出すだろうし、君の兄は手を出さなくなると思った。

 けど、ヒナタさんに言われたんだ。『それは結局、あの子の所有者が父親と兄から君に変わるだけの、モノ扱いだよ』と」


 そう言って、アーサーくんは目を細めた。


「あんなことになって、所有でもいいからするべきだったと思ったけれど。……これで良かったと、今日の君を見て心から思ったよ」


「よく聞いてくれ」とアーサーくんは言った。


「私はこの告白を言うつもりなんてなかったんだ。だって君は、私と結婚する気は無いだろう」


 そう言われて、私は気づく。

 そうだ。アーサーくんが私のことを好きだとわかっても、私が答えることはない。

 それは私に好きな人がいるから、じゃなくて。


「…………うん。冒険者、辞める気ないから」


 私は『貴族』である私を捨てた。捨てると自分で決めて、冒険者の『ヒナ』を名乗った。

 貴族の中にも、私の父や王太子のような人ばかりではなく、アーサーくんのような人もいるって、わかっているけど。生まれた時から階級や役割が決まっているなんて、やっぱり変だと思うから。

 だけど。


「ごめんなさい」私は泣きながら謝った。

「こんなに助けてもらったのに、私、なんも返してない」


 アーサーくんの半生を、城で聞いたことがある。

 ――彼は当主を継ぐと決まった時、実の父親から殺されかけている。そして彼は、命からがら、実の父親を殺して生き延びた。

 本人に聞いたことはなかったけれど、それは半ば公式となっていて、彼の周りは今も敵が多い。

 きっと私は、その中で腹の探り合いをしなくてすむ、友人と言える関係だった。あの頃の私はそれを信じられなくて、「利用価値もないのになんで」と思っていた。

 今の私は、それらがよく分かっておきながら、彼の求婚を拒むのだ。そして彼を困らせるとわかっていながら、拒んだことを謝罪している。あの頃みたいに、鈍感なふりをしておけばよかったのに。

 


「いいんだよ、そんなの」アーサーくんは優しく笑った。

「君を困らせたくなかったから、黙っていたんだよ。でも私の告白が君の自信に繋がるなら、言っておこうと思ったんだ」


 あのね、とアーサーくんは言った。


「君はもっと愛されるべきなんだ。もっともっと、君という人間を愛する人が、沢山いるはずなんだ。

 冒険者はどこにあるかもわからないものを探し求める、ロマン溢れる職業だろう? 君が冒険者なら、目の前にいてもいなくても、一生をかけて、君は君を認めてくれる人を探すべきなんだよ」


 ……なんでこの人は、こんなにも優しいんだろう。


「大概は、依頼人に振り回される何でも屋だよ」


 思わず可愛くないことを言ってしまった。けれどアーサーくんは気にせず、「ロマンというのは儚いね」と笑う。

 この人の求婚には答えられない。けれど、この人の優しさに報いたいと思った。


「……冒険者として、受けた依頼は、完璧にこなすよ」


 私がそう言うと、「頼りにしてるよ」とアーサーくんは言った。

 それと、と私は付け足す。

 

「これからも何か困ったことがあったら、何時でも言ってね。――絶対、助けに行くから」


 そう言うと、アーサーくんは少し目を丸くして、そしてまた笑った。

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