ヒナ視点 2 その一言が 前編
■
水晶から手を離す。
空間は暗いのに、荒く削られた水晶の面には、人の顔が写っていた。
――見知らぬ顔をした人物が、泣いている。
睫毛すら真っ白な銀髪に、大きな金の瞳は、女の子を思わせた。
これが、今の俺の顔らしい。
「ホント、誰だよ。これ」
はは、と笑いながら乱暴に涙を拭った。
「……行くか」
目の前には、水晶が縦続きに並んでいる。
俺は、一番近い水晶に手を触れた。
その途端、世界は真っ暗な空間から、真っ白な空間に変わった。
■
パーティーを追放されて、三回目だ。
懐かしい。三年前、リンちゃんがギルドに加入して、三度目の追放である。
……いや、五歳も年下の子に、メルランを任せるのは、大分心が痛いんだけど。
けれどリンちゃん曰く「ヒナがいたらコイツ、際限なく借金を繰り返す」と言われ、一年目に清算した彼女の腕前を見ると、もう何も言えなかった。
メルランを甘やかしすぎたかなあ。
あるいは、私がしっかりしていないためか。
ヒナタさんから貰った『スキル:異常無効』は、どうやら老化を止める効果があるらしい。
あの頃より少しだけ背が伸びたが、それ以降はほぼ変わらない。ハッキリ変わったのは、髪ぐらいなものだ。
そのため、リンちゃんと並んでも、リンちゃんと同い年どころか、リンちゃんの方が年上に見られる。
ヒナタさんのような人になりたいと思っても、所詮私は私でしかなかった。
自分のことで手一杯で、誰かの失敗や間違いをフォローできるほど、要領よくないし。ヒナタさんの戦闘記憶とスキルで戦っているから、教えるのも下手だし。
おかげでギルドの皆からは、「すごすぎて自分の存在が霞んでしまうから組みたくない」とか、「教官にすると教え方下手すぎて初心者の心が折れる」とか言われてしまう。
心の声では、自分より若く、人間の、それも女性である私たちが上位ランクの冒険者であることに、複雑な気持ちを抱く人もいる。嫉妬する人ならまだしも、「自分が『努力』不足だと責められている気がする」と言う声を聞いた時は、大分凹んだ。
人といるのは好きだ。でも、何やかんや、一人でいるのが性に合う。
クエストのほとんどは依頼内容が冒険者が複数人であることが前提なので、受けることが出来ないけれど。
代わりに一人でダンジョンに入り浸るのが、この時期の私の日課だ。普通なら危ないからと言われるところだけど、ギルドマスターから直々に「あなたは強いですし大丈夫でしょう」とお墨付きを貰っている。
――「一人で寂しくないの?」。
リンちゃんから聞かれたことがある。
寂しくない、と思う私は、薄情なんだろうか。
ヒナタさんと別れた時だって、寂しいと思ったことはあまりなかった。もちろん悲しかったし、最期の日を思い出すと、涙は零れたけれど。
歳を重ねていくうちに、心はどんどん凪いで行く。
ヒナタさんと別れた後は、今まで受けてきた傷を傷だと認識して、その時の感情が激しく噴き出した。些細なことに意味もないほど泣いて、訳が分からないほど怒っていた。
この激しい波がいつ終わるのかわからなくて、苦しんで、早く終わって欲しいともがいていたら、いつの間にかそのトンネルをくぐり抜けていた。
代わりに、あまり物事に心が動かされなくなった。
昔みたいに苦痛に耐えているわけじゃない。ただ、昔はもっと、一つ一つのことに驚き、戸惑い、喜びを感じてもいた。今は他人や物に、あまり興味を示さない。他者に過剰に期待しない分、心が乱されることもない。
昔より今の方が、空っぽのような気がする。
それはそれで楽だから、昔みたいに、悪いとも思わないのだけど。
カッターン!!
……それにしてもなんか、ずっと音が聞こえるな。
そう言えば、ダンジョンで「どこともなく聴こえる物音がする」と噂になっていた。そりゃダンジョンなんだから魔物が住み着いていてもおかしくないのでは? と思ってたんだけど。
絶えずに鳴る「カタカタ」という音は、あちこちで反響するものの、音の居所は割とすぐわかった。魔水晶が生えるエリアからだ。
去年も一昨年も深層部まで潜ったことがあったけど、あそこ、ダンジョンの魔物が出たことってあったっけ?
見ると、青く光り輝く魔水晶のエリアに、開けた空間があった。
まるで祭壇のような、あるいは舞台のようなそこに、天井からわずかに漏れた太陽の光が降り注ぐ。舞っていた埃が、その僅かな光の筋を捉え、反射していた。
その下には、一つの宝箱が、カタカタと蓋を開閉していた。
まごうなき魔物だ。
それも、とても綺麗な魔物だ。
汚れなんてどこにも無いほど白く、金の装飾が施されたその宝箱は、とても美しかった。
まるで、神様の宝箱みたい。
けれど、人がいないのに、ミミックがあんなに激しく動くことがあるんだろうか。
そう思った時、カタカタという物音と重なるように、わずかに心の声が聴こえた。
どうやらこのミミックは、意思を持って激しく鳴っているらしい。
私は物音とともに聴こえる心の声を拾ってみる。
カタ、カタ、カタ、カタ。カタ。カタ、カターン、カタ、カタ。カタ、カターン、カタ、カタ。カターン、カターン、カターン。
一つずつ拾いながら、私はその言葉を口にした。
「Hello……?」
そう呟いて、私の頭はようやく、「あ、これ挨拶なのか」と認識した。その途端。
――「……ええと、Hello?」。
気づいたら私は、ミミックの前に立っていた。
それはただの挨拶だ。そこに意味を込めて言う人はいないだろう。
けれどその言葉は、まるで呪文みたいに、私の心臓を激しく突き動かした。




