×××××××視点8 別れ(前編)
死体は私の周りを囲むように、血の海に沈んでいる。
父の指先や瞼は痙攣していて、どこかまだ生きているようにも見える。
けれど、心の声は聴こえない。
さっきまで生きていた人間が、こんなあっさりと死ぬなんて、なんだか現実味がなかった。
構えられた剣の先から、ポタポタ、と血が滴る。剣にはうっすらと、呆然と佇む私の顔が映っていた。
ヒナタさんがふらついた。私は慌てて立って彼女を支えようとしたが、動けなかった。
ヒナタさんは持っていた剣を床に刺して、体勢を整える。
「動ける?」
「逃げるよ」淡々とヒナタさんは言った。
ヒナタさんの着ている服は真っ赤に染まっているのに、顔は真っ青だ。それなのに、汗だくでもある。
私はなんとか身体を起こし、ヒナタさんの手を掴んだ。
逃げている時、時折城が揺れた。
あちこちから、爆音と悲鳴が聞こえる。窓を見ると、夜空を赤く染める火が見えた。警備はそちらの消火活動に忙しく、こちらへ向かってこない。
廊下を走っていると、血まみれの遺体が白い飾り柱に寄りかかっていたり、大理石の床の上に転がっていたりした。
「……全部! ヒナタさんがやったの!?」
爆音に負けないよう大きな声で私が尋ねると、「大分! 腕が鈍ってたみたい!」とヒナタさんも声を張り上げて返す。
「本当は! 殺さないようにしたかったんだけど! ちょっと余裕がね! 無理!」
どうしてそんなこと。なんて、聞くまでもない。
ヒナタさんは私を助けるために単騎で城へ乗り込み、私を助けるために人を殺した。
私の短絡的な行動は、この人の手を汚させてしまったのだ。
「……ごめんなさい」
謝罪は、なんの意味ももたなかった。その上出てきた声はあまりにも小さすぎて、きっとヒナタさんには届いていない。
けれどヒナタさんは、なんてこと無くこう続けた。
「まあ、計画にはなかったけど! 都合良いことにしましょう!」
「都合?」
「このままこの国から逃げる! アーサー君のとこ行けばまあ何とかなるでしょ知らんけど!」
長い廊下を抜け、私たちは玄関ホールの階段を降りる。
けれどその前に、立ち塞がる人物がいた。
ヒナタさんが足を止め、私を庇うように前に立って剣を構える。
「お前ら、何をやってるんだ」
それは兄だった。
兄の黒い目が、私たちを見る。咄嗟に私は目を逸らした。
兄の『魔眼』は、さほど威力は無い。けれど、ヒナタさんと同じ目の色とはとても思えないほど、その目の色は澱んでいた。
「なんで、城が燃えている。どうして人が死んでいる」
「お前たちがやったのか」兄はそう言って、一歩前へ歩いた。
その時だった。
前に立っていたヒナタさんが、バタン、と倒れる。
「……ヒナタさん?」
倒れたヒナタさんの体を、私は起こす。
ヒナタさんは喉を手にやり、荒い呼吸を繰り返した。
「ヒナタさん!? ヒナタさん!」
兄の『魔眼』が通じることは滅多にない。
兄の魔力はほとんど無く、大抵の人は魔力抵抗で防いでしまうからだ。
けれど病身であり、体力を消耗したヒナタさんには、ひとたまりも無いことに気付く。
……どうして私は、こうも最悪の状況に気付くのが遅いの!
兄がまた一歩、また一歩近づいてくる。
私はヒナタさんを床に下ろして、剣を構えた。
「……おいおい、足が震えているじゃないか」
兄が嘲笑いながら、腰に携えた剣を抜く。
剣が重い。構えるだけで、ふらりと倒れてしまいそうだ。
ヒナタさんはこんなものを振るって、走ってきたのか。
兄を躱しながら、ヒナタさんを抱えながら逃げる力は、私にはない。
兄に勝てる気もしない。
さっきみたいに、レベルやスキルが進化するのを期待する気はなくなった。
けれど一撃だけ。それがあれば、『魔眼』の効果が解けて、ヒナタさんだけでも逃げることが出来るかもしれない。
お願いします、神様。どうか、――この人を守る力をください。
先に動いたのは、兄だった。
どう動くかは、『読心』で先にわかった。けれど、だからと言って身体が追いつくわけじゃない。
とっさに剣を振るって防ごうとしたけれど、あっという間に弾かれてしまった。
組み伏せられ、馬乗りにされた私は首に手を添えられる。
「はん! 無駄無駄! 空っぽなくせに、立ち向かうとかさあ!」兄の顔は、今までないぐらいの怒りで満ちていた。
「『読心』があるなら、僕の求めていることがわかるだろ!? お前は僕のそばにいればいいんだよ!」
その言葉に、私は唐突に兄の行動に納得した。
今まで、兄が執拗に私を傷つけようとしながら、私から離れない理由がわからなかった。
『読心』を恐れた父が私から距離を置いていたように、多くの人は自分を侵害するものから離れる。
けれど、兄は私から絶対に離れない。
今ならわかる。
兄は、一緒に惨めな気持ちになってくれる人間を求めていたのだ。
私がヒナタさんに対して、心に寄り添ってもらいたかったように。怒りの渦に、父を巻き込みたかったように。
でも。
「……お兄様が決める傷なんて、私にわかるわけないじゃない」
どれだけ相手を傷つけても、相手は自分の気持ちを理解することなどない。
父を煽ることは出来ても、父は私の怒りを理解しなかったし、私も父の傷はついぞ理解できなかった。
私に拒絶された兄は、一瞬、途方に暮れて泣き出しそうな迷子の顔をした。
けれどすぐに噛みちぎりそうなほど奥歯を噛み締め、私の首を締めようとする。
その時、ふと、影が落ちた。
同時にザシュッ、という、重く鈍い音がした。
「…………あ?」
兄が不思議そうに、声を漏らす。
いつの間にかヒナタさんが、兄の背後に回っていた。
兄の肩から背中にかけて斬りつけたヒナタさんは、今度は兄の首を斬った。
血が吹き出る。
兄の黒目が、上を向き、そのまま横に倒れた。
ヒナタさんは兄が絶命したのを見届けた後、そのまま同じようにして倒れた。




