帰りましょう!
――数日後。
ヘイスティング侯爵がすでに他界していたために、シリル様が正式にヘイスティング侯爵の爵位を引き継ぐことになった。
爵位を授かるためには陛下に拝見する必要がある。そうして、正装姿のシリル様が陛下に跪いて爵位を授かり、王位継承者第二位としても認められた。
正装姿のシリル様に付き添いやって来ているが、シリル様の顔はどこか浮かないままだった。
「シリル様。どうしました?」
シリル様の目線に合わせて聞くが、シリル様はいつも通りの無表情だった。
「シリル様。言いたいことははっきりと言いましょうね」
「……あのね。僕、マクシミリアン伯爵家から出て行くのですか?」
「えっ……」
そんなわけないけど、シリル様は悩んでいたようで俯いて言った。
「どうしてそう思いますの?」
「僕、お父様の子供じゃなかった……本当のお父様がいて……でも、お父様はいるのに……ヘイスティング侯爵家に行きたくない」
キュッと唇を噛み締めてシリル様が言う。
「ずっと悩んでいましたのね。でも、そんな悩みは無用ですわ」
泣きそうなシリル様の手を取って言う。
「リクハルド様は、一生シリル様のお父様ですよ。あんなにシリル様を想ってくださるお父様はいませんわ」
「本当に?」
「ええ。それに、爵位を継いでもリクハルド様と別れる理由はありませんわね。貴族には、稀に爵位を二つ持つ人もいますし……シリル様の場合は、たまたま血の繋がりと育ての親が違うだけですわ」
笑顔で指を立てて言う。
「シリル様は、みんなに愛されていますのよ。セアラ様もエヴァンス様もシリル様が大事でした。だから、大事な出産証明書を隠していたのです。誰にも奪われないように……それをリクハルド様が手に入れてくれた。それって、すっごく素敵なことですよ。私もシリル様が大事ですよ。だって、こんなに可愛いんですもの」
ギュッとシリル様を抱きしめると、シリル様が小さな手で私を抱き返した。
しばらく、シリル様を抱き寄せているとリクハルド様が陛下の元から帰ってきた。
「どうした?」
目を赤くして私に抱き着いているシリル様を見て、リクハルド様が手を伸ばした。
「シリル。泣いていたのか? 何かあったか?」
リクハルド様が心配気にシリル様を抱き上げた。
「リクハルド様。シリル様は、エヴァンス様のことで悩んでいたようですわ」
「エヴァンスのことで? ……ああ、そうか」
父親が二人いることに戸惑っていたことに気づいたリクハルド様が、シリル様をギュッと抱き寄せる。
「そんなことで悩んでいたのか? バカなことを……誰が何と言おうとシリルは俺の子供だ」
「本当に?」
「当たり前だ。お前が大事だと言っただろう。愛しているよ。シリル」
シリル様がリクハルド様に抱き着いたままで涙を流していた。子供なりに悩んでいたのだろう。ここ数日の不機嫌そうな顔はそのせいだったとわかるほどに。
「では、急いで帰るぞ」
「今からマクシミリアン伯爵領に?」
「いろいろ面倒なお方がいるからな」
「ええーと、そもそも、何をしていたんですか?」
「ちょっとな……ああ、それとクリストフ・エイディールはシリル付きの小隊になった。彼の部隊がマクシミリアン伯爵領の警備につくから、一緒に帰ることになった」
「まぁ! クリス様が?」
「ウィルオール殿下が決定した。嫌でも、変えられない」
ムスッとした顔でリクハルド様が言う。シリル様を抱っこしたままで、リクハルド様は早足で馬車へと進んでいた。
「クリス様は、とってもいい人ですよ」
「あんまりくっつくと怒るぞ」
「それって、ヤキモチですか?」
図星だったようで、リクハルド様は唇を引き締めていた。
馬車に乗るために城の建物から出ると、リクハルド様が足を止めた。
「キーラ。シリル。見ろ」
何を? と思いながらリクハルド様の視線の先を見れば、驚いた。シリル様も何が何だかわからないで目がテンになっている。
城壁に氷漬けにされたジェレミー様がぶら下がっているのだ。
「そのままぶら下げようとすれば、汚物が流れて汚いだろうということで、もう一度氷漬けにした。これならキレイなものだろう」
リクハルド様が淡々と言う。どうやら、ウィルオール殿下と決めて二人でぶらさげたらしい。
「どうだ? キーラ。少しはスッキリしたか?」
「リクハルド様……グッジョブですよ」
リクハルド様の手をギュッと握れば、彼が嬉しそうに笑った。
「シリルもどうだ? お前の両親の仇だ」
「よくわかんない」
「そうか……だが、いずれわかる。お前は賢いからな。それと、二度とジェレミーはヘイスティング侯爵家には近づけさせない。安心しろ」
「僕、ヘイスティング侯爵家に行くの?」
「まさか……ヘイスティング侯爵家はお前のものだが、シリルは俺の子供だろう。まだまだ一緒に暮らすんだ。ヘイスティング侯爵領には、管理人でもおけばいい。キーラとの結婚式もすぐだ。忙しくなるから、覚悟しておきなさい」
「はい!」
シリル様が安堵したように返事をした。
「では、すぐに城を出る。陛下が追いかけてきては堪らんからな」
「陛下に?」
「ウィルオール殿下とやったとはいえ、勝手に城からぶら下げれば陛下はお怒りになる。見つかる前にマクシミリアン伯爵領に帰る」
リクハルド様とウィルオール殿下の悪戯に驚いた。そして、クスッと笑いが出た。
「リクハルド様。最高ですよ。すぐにマクシミリアン伯爵領に帰りましょう」
そうして、私たちはマクシミリアン伯爵領へと帰路についた。
♦
「ウィルとリクハルドはどこだーー!!」
ウィルオールとリクハルドが共謀して、ジェレミー・ヘイスティングを勝手に牢屋から出して、仕置きだと言って王城の城壁にぶら下げた。そして、二人は瞬く間に逃げた。
「あの、クソガキどもめぇ!!」
ワナワナと震える手で、目の前の机を叩きつけた。
「なぜ、儂からあんな性格の悪い王子が……っ!」
儂も妃も、穏やかな夫婦だった。それなのに、唯一の子供のウィルオールは、頭はいいのに性格が悪かった。そのうえ、気の合う友人は氷の伯爵と呼ばれるほど冷酷非情なリクハルド。
「さっさと、ウィルを呼べ!!」
「陛下……それが、ウィルオール殿下はシルヴィアなる令嬢とすでにどこかへ行ってしまい……」
「リクハルドはどうした! さっさと、氷を溶かせるのだ!!」
「そのマクシミリアン伯爵もすでに城から出発しています」
今にも血管がブチ切れそうなほどだった。
「シリルはあんなに可愛かったのに……本当にリクハルドの子供か!」
「陛下……少し落ち着きなさってください」
王位継承者第二位となったシリルは、行儀正しい子供だった。本当にリクハルドの子供かと思えるほどに。
「とにかく、さっさとジェレミー・ヘイスティングを下ろせ! 誰にも接触させないように独房にでも入れておけ!」
「ハッ!!」
そうして、ジェレミー・ヘイスティングは、しばらく氷漬けのまま独房で過ごすことになった。




