絶対零度の世界(アブソリュート)
シリル様が去ってしばらくすれば、ジェレミー様が箱を持って戻ってきた。大人しくベッドサイドに座っている私に、ジェレミー様が偉そうに話しかけてくる。
「キーラ! 魔封じは解けたか!?」
「そんなすぐに解けるわけないでしょう。誰がかけたか、わかってますの?」
「知らん!」
クリストフがかけた魔封じがそう簡単に解けるわけがない。じろりとジェレミー様に視線を移せば、彼の顔が赤くなっていた。まるで、殴られた痕のようだった。
「どうしましたの? 誰かにやられたんですの? あなた、嫌われすぎではありませんか?」
「誰に殴られたと思っている!?」
「恨みを買っている方からやられたのでは?」
「違う! 貴様、覚えてないのか!? 寝ている間に、「殺気!!」とか叫んで私を殴っただろう!!」
「私がですか?」
覚えてなくてあっけらかんと言うと、ジェレミー様は更に怒った。
「他に誰がいる! 寝ている時ぐらい大人しくしてろ!!」
「きっと、殺気を感じるぐらい嫌いなんですわ」
「無礼にもほどがある!」
「そもそも寝ているレディに近づくのが悪いんですわ。何をする気だったのです」
「起こそうとしたんだよ! それなのにっ……」
ジェレミー様が怒りを押さえて拳を握る。ずいぶんと殴られたところが痛いらしい。
「だいたい、今までどこに行っていたんです。私をさっさと解放しないと大変なことになりますわよ」
「今まで、顔を冷やしていたんだよ!」
「それで、部屋にいなかったんですわね」
そのおかげで、シリル様が来たことを知られずにすんでいる。
「とにかく、すぐに開けろ」
「だから、無理だと……」
「魔力回復薬を持ってきた」
「はぁ?」
「お前ぐらいの魔力持ちなら、魔封じを解除できなくても自分の魔力で打ち破れるかもしれない。魔力が尽きれば、その都度回復薬を飲め」
「阿呆ですの? なぜ、私がそんなことをするのです」
「シリルといたくないのか? ずいぶんと可愛がっているらしいな」
「ええ、とっても可愛いですわ」
シリル様を思えば、顔が緩んでしまう。ジェレミー様は、早く出産証明書を手に入れたくてずっとイライラしていた。
「そのシリルといさせてやる。だから、やれ」
「あなたの許可は必要ありませんわ。シリル様はリクハルド様の子供ですもの。このままリクハルド様のところに帰れば、万事オッケーですわ」
「だ・ま・れ!」
その時に、身体はぶるっと震えた。ジェレミー様も、寒さを感じたようで自身の腕をさすった。
「なんだ? 急に……」
暖炉はつけてないけれど、こんな突然に寒さを感じるなどなかった。
「まさか、リクハルド様?」
リクハルド様が苛つけば、周りの温度が下がっていたと思い出した。
「もう嗅ぎつけたのか!? 冗談じゃない!」
焦るジェレミー様。彼も魔法が使えるけど、リクハルド様には到底敵わない。もしかしたら、エヴァンス様はずっと魔法に優れていたのではないのだろうか。あの出産証明書を隠した箱の魔法を、ジェレミー様では打ち破れないのだから。
きっと、エヴァンス様は何かあった時にためにシリル様の大事な出産証明書を隠したのだ。リクハルド様が言っていた。エヴァンス様はシリル様もセアラ様も愛していたと。私もそう思えた。
「行くぞ! キーラ!」
ジェレミー様が叫んだと思えば、彼が魔法で私を拘束した。そのまま、魔法で拘束された私はジェレミー様の風の魔法で身体が浮いていた。
「何をするのよ!」
「場所を移動する!」
「逃げたければ、好きにすればいいではないですの! どうせ、リクハルド様からも、私からも逃げられませんわ! 足掻きたければ好きにすればいいですわ!」
ふんと、鼻を鳴らして言った。
「このっ……」
「だから、離しなさいよ!」
喚く私を風の魔法で持ち上げたジェレミー様が出産証明書の入っているらしい箱を脇に抱えて急いで部屋から飛び出した。
「氷の魔法 氷柱の檻」
冷ややかな声音が聞こえると、廊下が氷音と立てて凍ってきた。それが広がり、邸中が凍っていく。振り向けば、リクハルド様が恐ろしい形相で歩いて来ていた。
「リクハルド様……」
「氷槍」
リクハルド様が一言呟くと魔法の槍が、ジェレミー様へ向かって飛んできた。
「ヒッ……!」
ジェレミー様が必死でよけると同時にリクハルド様が突っ込んできた。
「キーラを返してもらおうか」
リクハルド様がそう言いながら、走り寄ってくる。彼が腰から剣を抜けば、ジェレミー様に繋がれている魔法の拘束に目掛けて剣を振り下ろした。ジェレミー様から、私を拘束していて伸びている魔法の拘束が氷の礫を飛ばして切れた。私の身体が落ちかければ、リクハルド様が私を受け止めた。
「キーラ。大丈夫か?」
「リクハルド様」
リクハルド様に笑顔はないけど、無表情ながらも優しい眼差しで私を見つめた。助けに来てくれたことに胸がじんとした。
「怪我はないか? 何もされなかったか?」
「だ、大丈夫です。怪我もなくて……」
優しいリクハルド様に戸惑う。思わず、照れてしまう。
「シ、シリル様は大丈夫ですか? ここまで来ていて……」
「シリルなら、無事だ。ここを教えてくれた」
その瞬間、ハッとした。ジェレミー様に逃げられてしまう。彼がシリル様の出産証明書を持っているのに。
「シリル様――!!」
リクハルド様を突き飛ばして、ジェレミー様に向かって走り出した。
「待ちなさい!」
「こっちに来るな!!」
逃げようとしたジェレミー様が、リクハルド様が撃った氷につまずいて転倒した。すかさず、彼の持っている出産証明書の入っている箱を掴んだ。
「離しなさいよ! このやろう!!」
「誰が渡すものかっ!」
転倒したままのジェレミー様と箱の奪い合いをしているが、彼は必死で離さない。
「これは、あなたのではないでしょう! シリル様のために両親が残したものよ! 穢らわしい手で触らないで!」
「お前が、離せっーー!!」
ジェレミー様が私に蹴りを入れると、衝撃でその場に倒れてしまう。彼は「クソッ」と言って、その隙に立ち上がって逃げた。
「ふっ……よくも、私に蹴りを入れたわねぇ!」
頭にきて、身体中に力が入る。身体が軋む音がする。もう少しで魔封じが打ち破れそうだと思えば、リクハルド様が私の腕に手を添えて止めた。
「やめろ。キーラ。あんな男のために身体を酷使する必要はない。下手すれば、寿命が縮むぞ」
「このまま逃がせば、シリル様が危ないですわ!」
「シリルが? それよりも、ジェレミーが持っている出産証明書は……」
「それなら、ここにありますわ」
蹴られた時に、何とか奪い取った。それを、リクハルド様に見せた。
「この中に?」
「確認はできてませんが、間違いないかと」
「そうか……感謝するキーラ」
リクハルド様が優しい。仄かに微笑むと彼が抱き寄せてきた。
「で、でも、ジェレミー様が……っ」
リクハルド様の腕で言うと、彼が冷たい視線で逃げているジェレミー様を見た。邸はどこもかしこも凍っていっていた。まるで、氷の宮殿を彷彿させるほどに。
「俺が逃がすわけないだろう」
リクハルド様の視線の先を見れば、ジェレミー様の周りの氷が音を立てて、氷柱のように突き出て来た。
「ギャアッ!!」
ジェレミー様が腕を氷柱に貫かれて叫んだ。
「俺が使った氷の魔法は氷柱の檻だ。この邸全体が氷の檻に包まれているんだよ。逃げられるわけがない」
あまりの美しい魔法に呆けた。それ以上にリクハルド様の魔法がすごいと思える。これだけの範囲を、短時間で氷の世界にしてしまうのだ。
「絶対零度の世界」
リクハルド様が静かに魔法を使う。私の荒々しい魔法と違い、静かで美しい魔法だった。
そうして、ジェレミー様は氷漬けにされた。




