ヒュプノス
私の腕を見れば、魔封じをかけられたことは一目瞭然だった。そのせいで、ジェレミー様が目を見開いて言葉を無くしていた。
「ふん。ざまぁみろですわ。どうやったってあなたの思い通りになりませんわね。日頃の行いが悪いのではなくて?」
腕を組んで憎まれ口を吐いた。驚いていたジェレミー様は、今度はわなわなと震える手で拳に力を込めていた。
「貴様……何をやっている! 魔封じをかけられるなど魔法使いの恥だぞ! しかも、こんな時に!」
「知りませんわよ! ルミエル様の邸を破壊したせいで魔法師団から魔封じが決まったんですもの! お仕置きされたんですのよ!」
「どうするんだ!」
「どうもしませんわよ。私は、箱を持ってリクハルド様のところに帰るだけですわ。シリル様にもそろそろ会いたいですし」
「魔法も使えなくてここから、どうやって帰る気だ!! ここからは出さないぞ!」
「なんですってぇ!!」
「当たり前だ! さっさと魔封じを解けよ!!」
「やかましい! さっさとここから出しなさいよ! この慰謝料バッくれ野郎!」
「何だとぅ!!」
「隙あり!!」
トンカチを拾う機会を窺っていた私は、ジェレミー様が動いた瞬間を狙ってすかさず走り出した。私の視線に気付いたのか、ジェレミー様もトンカチへと前かがみになって手を伸ばした。
「ハッ! トンカチを拾おうったって無駄だぞ! 俺の方が近い! が、どこに行く!?」
「欲しいのなら、ずっと持っていればいいですわ!」
「待てぇい!!」
脱兎のごとく部屋から飛び出した。トンカチはジェレミー様をやっつけるための手段の一つで、私の目的はこの部屋から脱出すること。トンカチが無くても、脱出できるなら、そんな道具にこだわるわけがない。
ドレスのスカートを持ち上げて部屋から飛び出せば、長い廊下が伸びている。窓から飛び降りた方が早いかもしれないと思った瞬間、目の前がくらりと揺れた。
「風魔法 眠りの風」
「なに……?」
力が抜けて膝から崩れるように倒れた。魔法を使ったジェレミー様がゆっくりと近づいてきている。
「ここからは出さないと言ったはずだぞ。一生ここにいてもらおうか」
少し腰を屈めてジェレミー様が私の傍に来て言う。
「魔封じの期限はいつだ? それとも期限をもうけなかったのか? とにかく、魔封じが解けるまでは大人しくしてもらう。どうしても、あの箱が開けられないなら、シリルをどうにかせねば……」
「なんですってぇ……! シリル様に手を出せば、八つ裂きにしてやるわ!」
「そんな状態で何ができる」
「……っ負けないわよ!」
魔封じをかけられているせいか、魔法の抵抗力すら弱くなっている気がする。
眠りに抗おうとして、身体中に力が入ると、そのせいで血管が裂けて腕の包帯から徐々に血が滲んでくる。
「地べたに倒れて、何を言う。何か怖いんだが……腕から血が滲んでいるぞ」
「ぜったいに城壁からぶら下げてやるっ……!」
ジェレミー様を逃せば、シリル様に危険が及んでしまう。すでに、ウィルオール殿下もリクハルド様もシリル様の出生の秘密に動いているのだ。
魔法で閉じ込められた箱のせいで、出産証明書を葬り去ることすらできないジェレミー様にはあとがないのだ。だから、捨てられなかった。この箱から出さないと何もできないのだ。
そのうえ、ルミエル様が捕まった。リクハルド様たちはもうすぐでジェレミー様の持っているシリル様の出産証明書にたどり着いてしまう。
だから、ジェレミー様は焦っているのだ。
そして、出産証明書があれば、シリル様は王位継承者として認められてヘイスティング侯爵家はシリル様のものになる。
あと少しで手に入る出産証明書。早くリクハルド様にここにあると伝えなければと、地べたを這いずりながら思った。
「ぜったいにシリル様は守ってみせるわ……っ」
私の中の魔力が魔封じを打ち破ろうとしている。だけど、クリストフ様がかけた魔封じが強すぎて、私の血管が裂けるだけで魔封じが破れない。
「……リクハルド様」
リクハルド様を思い、名前が自然と口から出てきた。
人生で初めて助けを求めているかもしれない。今の私では、逃げることもできない。
そうして、奥歯に入れた力が抜けていくと同時に瞼が閉じた。




